教育学Ⅰ(新松戸)-13

▼新松戸キャンパス 7/14(金)

前回のおさらい

・産業革命による階層分化。労働者を速成する教育。
・隠れたカリキュラム。

「近代教育」のさまざまな形

(1)リテラシーの教育

前近代では、人々は所属する身分や共同体で生きるのに必要な知識・技能を身につけるため、基本的に親と同じような人間になればよかった(形成、イニシエーション)。リテラシーは必要なかった。しかし近代以降、印刷術による情報伝達に対応するため、リテラシーが生きる上で必要不可欠な知識・技能となる。
さらにコンピュータの登場に典型的なように、情報伝達手段が大きく変化した時、新しい知識・技能に対応できなければ、生き残ることができなくなってしまう。

(2)人格形成の教育(自由権としての教育)

市民社会の形成に伴って、新しいタイプの人間が必要となる。前近代では、身分や共同体に応じた人間形成を行っており、身分や共同体の違いを超えた普遍的な人間形成は必要とされなかった。しかし市民社会においては、すべての人間を生まれながらに自由で平等なものと考える。すべての人間に共通する教育が、新たに必要とされる。
かけがえのない個性を自覚し、アイデンティティを確立し、責任を伴った自由を獲得し、理性を育み、自分自身の人生を自分で決定する(自己実現)。自分の人生を決めるに当たっては、どんな権力者からも命令されるいわれはない(自由権)。

(3)義務教育(社会権としての教育)

産業革命の進展によって、資本家と労働者の階層分化が激しくなり、資本家は自由権としての教育を享受することができる一方で、貧しい労働者の子供たちは児童労働を余儀なくされていた。すべての子供たちが教育を受ける権利を保障されるためには、有利な側の人間たちの自由を制限し、自分では自由に到達できない人々に実質的な自由を与えるような、新しい権利が必要となる(=社会権)。社会権を保障するのは、国家に期待される役割となる。

(4)産業が必要とする教育

急速な階層分化により、都市には貧しい労働者たちが大量に流れ込み、衛生や治安に関する問題が発生した。この新たな都市問題を解決しようとする時、安く早く大量に優秀な労働者を作るような学校システムが開発される。
一方で、産業をさらに発展させるためには、有能な人材をより難しく重要な仕事に、取り柄のない人材を誰でもできる単純な仕事に割り振るなど、適材適所の人材配分を行う必要がある。人々の個性を見極め、適切に配分する機能が教育に期待される(メリトクラシー、学歴主義)。難しい仕事を受け持つことが期待される優秀な人物には最先端の知識を着実に身につけてもらう必要がある(正式のカリキュラム)が、特に難しい仕事をする訳ではない人々には難しい知識を身につけてもらう必要はない。しかし自分の生活と切り離された(分業された)単純労働を文句も言わずに黙々と続けてもらうための能力は、知らず知らずのうちにいつの間にか身につけてもらう(隠れたカリキュラム)。

(5)国民国家(ナショナリズム)の教育

教育学Ⅱで詳述。

現代教育のうごめき

・「近代」から「現代」へ。
・近代と現代の境界線については様々な議論があるが、ある特定の年代を想定するわけではない。近代という時代の特徴(市民社会・資本主義・世界史等)を踏まえた上で、その有効性が崩れてきている新たな時代を「現代」と捉える。

(1)メディアと教育

・ポストマン『子どもはもういない』1985年。子供のような大人、大人のような子供。秘密のないメディア。大人と子供の境界性の崩壊。
・インターネットの急速な展開。コミュニケーション様式の根底からの変貌。「1×1」→「1×n」→「n×n」。タテマエとホンネの境界線の崩壊。
・そもそも教育にとって学校という形は絶対に必要なものなのか?

(2)自己実現のワナ

・「自由」は本当にすべての人々を幸せにするのか?
・すべてを自分で決めなければいけないことのつらさ。「夢を持つ」ことの難しさ。「やりたいこと」や「なりたい自分」が見つからないとき。
・たとえば「自由に作文を書け」と言われた時の子供たちの困惑。「内面」の強制的な捏造。むりやりに「やりたいこと」や「なりたい自分」を捏造しなければならない圧力。
・肥大化する自己愛と自己顕示欲。リア充アピール。
・承認の欠如。自分探しの旅と自己啓発セミナー。ひきこもり。
・個人主義の限界。そもそも「何が幸せ」なのか、わかっているのか?
・かといって「絆」とか「愛は地球を救う」などという言葉に信頼を置けるか?

(3)権利としての教育?

・貧困の再生産。権利を保障されない子供たち。
・単なる再配分機関としての学校。偏差値至上主義。権利を権利と思えない子供たち。学校に期待を寄せるどころか、学校によって希望を奪われる。
・学校化する社会。マンガ家養成校、アイドル養成校等。あらゆる専門知識が学校知に分解・再編成され、パッケージ化され、商品化・市場化される。学校に行けば(金を払えば)必要な知識が手に入る。
・教育は市場化されたサービス(消費財)の一種に過ぎないのか?→「教育と市場」に関わる問題は、教育学Ⅱで詳述。

(4)労働と教育

・分業体制によって、「働く」ということの意味が拡散。生活することと働くことの乖離=疎外。生活することが「消費すること=お金を使うこと」と同じ意味になってしまうと、働くことは生きることではなく単に「お金を稼ぐこと」になる。
・生活の全体性(生きる意味)を取り戻すことはできるか?
・AI(人工知能)への恐怖と期待。仕事を奪われるのか、それとも人間が働くことの意味を取り戻すのか?
・人間だからこそやれることとは、何か?

復習

・近代になって成立した「教育」の形を総合的に捉えよう。
・近代教育が崩れかけて様々な問題が生じていることを認識し、これからの教育の姿を構想してみよう。