【要約と感想】徳善義和『マルティン・ルター』

【要約】ルターは聖書を真剣に読んだ結果、カトリック教会のデタラメに気がついて、真実の信仰と救いを聖書の言葉のなかに求めました。ルターの主張は広い共感と指示を得て、宗教改革に結びつきました。

■確認したかったことで、本書に書いてあったこと=聖書を重要視して教会を批判するという点で、ルターとヤン・フスとの類似性は当時から広く認識されていた。ルター自身もフスとの近似を認めていた。

ルターのドイツ語著作は、書き言葉がマスメディアとしての役目を果たした歴史上初めてのケースだった。ルターの著作はどれもこれもベストセラーとなった。ルターは学生に配布するプリントにも印刷術を有効活用していた。

16世紀初頭は、土地に根ざした農業中心の世の中から、貨幣経済中心へと切り替わりつつあった。ルターを支持した勢力は、こうした新しい貨幣経済の担い手であった。また、ドイツ・ナショナリズムの担い手である領主層も、反教皇・反皇帝という点からルターの支持勢力となった。

宗教改革は、哲学を神学から切り離しただけではなく、絵画や音楽も宗教から切り離した。教会からの発注を期待できなくなった芸術家は、市民の中に新しい市場を見出さなければならなくなった。

■図らずも得た知識=ルターという名前は本名ではない。それは「自由であって僕」という逆説的な意味を持つものとして自覚されていた。この「自由」と「僕」のアポリアは教育を哲学的に考える上で極めて重要な論点なのだが、吟味してみれば、確かにそれは本来は信仰に関わる問題として決定的な論点だ。

■要確認事項=ルターが教育権の思想を述べていること。子供には教育を受ける権利があり、親はその権利を実現する義務を負い、各都市の参事会は親の委託を受けて教育義務の一翼を担うと、ルターは教育義務を理解していた。とすれば、近代的な教育権の思想が既にルターに確立していたこととなる。

また、自分の良心に従うことを明言したルターの発言を、本書では個人の人格や主体性、信念や信条を尊重する近代的意識の先駆けと表現している。本書はさらに踏み込んで、キリスト教的一体世界が崩壊したとして、1517年を中世と近代とを画する時代の転機と表現している。同時期にヨーロッパで起こっていた他の様々な出来事と比較したとき、ルターの重要性をどこまで評価するべきか。

【感想】改めてルターの思想を概観してみると、親鸞の考え方と似ていることに驚く。人間の努力の限界、律法の形式性への不信、人間の弱さの自覚、自力救済の諦め、外部からやってくる救い、信仰そのものへの傾斜。しまいには既存の権威を否定して、結婚して子供をもうけるところまで同じという。もちろん内容は大きく違ってくるけれど、考え方の道筋というか、思考の論理形式は、驚くほどそっくりのように思う。単なる偶然とは思えない。人間本来のあり方に即して救いの問題に直面したとき、洋の東西に関わらず、必然的に導き出される普遍的な結論なのではないか。

徳善義和『マルティン・ルター―ことばに生きた改革者』岩波新書、2012年