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教育概論Ⅱ(栄養)-8

前回のおさらい

・1958年版学習指導要領:高度経済成長。
・1977年版学習指導要領:オイルショック。
・臨時教育審議会。民営化、規制緩和の論理。

学習指導要領の変遷(3)

1998年の学習指導要領改訂

・「生きる力」の育成。教育内容の厳選、「総合的な学習の時間」の新設。
・世間一般が言ういわゆる「ゆとり教育」は、この時期の教育を指します。学校週五日制=1995年から月2回。2002年から完全実施。
学校週5日制のめざすものは…

学校週5日制は、学校、家庭、地域社会の役割を明確にし、それぞれが協力して豊かな社会体験や自然体験などの様々な活動の機会を子どもたちに提供し、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの「生きる力」をはぐくむことをねらいとしています。
子どもたちの「生きる力」をはぐくむためには、豊かな体験が不可欠です。自然体験などが豊富な子どもほど、道徳観や正義感が身についているという調査結果も出ています。

・授業時間削減=公的部門の割合を減らし、市場に委ねる割合を増やすことです。公的な学校の時間を削減した分、私的に自由に使える時間が増えました。
・ゆとり教育の本質とは、「公・官/私・民」の配分の問題です。

自由化、民営化、規制緩和、構造改革のデメリット

(1)本当に「個性」の育成につながるのでしょうか? 単に「序列化」が進行し格差が拡大するだけではないでしょうか?
(2)本当に質が向上するのでしょうか? 競争に際して不正を行う者が多いとどうなるでしょうか。
(3)教育は「サービス」なのでしょうか?

学力格差の拡大

・いわゆる「学力低下」の実態。
・授業時間削減:教育の市場化によって格差が拡大しました。十分な教育資金で子供を塾にやれる家庭と、アルバイトをしてしまう子供がいる家庭との格差が広がります。
・学校選択制:文化資本の差によって格差が拡大しました。十分な教育情報を集める文化資本(金・時間・情報・人脈)がある家庭とない家庭の格差が広がります。
*春学期に扱った「自由のワナ」を参照のこと。

競争の底抜け

・賞味期限詐欺、耐震偽造詐欺←規制緩和によって未熟なプレイヤーが競争に参加してしまったのが問題です。
・競争の質。真っ当に努力した者が報われているのでしょうか?
・たとえば2011年の大津市いじめ問題。大津市には学校選択制が導入されていましたが、いじめは隠蔽されてしまいました。理屈通りなら学校選択制によっていじめがなくなってもいいのに、現実にそうならなかったのはなぜでしょうか?

教育とサービス消費

・教育は本質的に「サービスの消費」ではなく、生徒との共同的な「価値の生産」の過程です。
・学生に人気のある先生は、本当に良い先生でしょうか?

学習指導要領の変遷(4)

・2003年、学習指導要領の一部改訂。(ゆとり教育の終わりの始まり)
・2008年、学習指導要領改訂。授業時間増、指導内容の充実。

PISAショック

*PISA:学習到達度調査。Programme for International Student Assessment。高校1年生対象。
*OECD:経済協力開発機構。Organisation for Economic Co-operation and Development
*PISAショック:2003年と2006年の調査で日本の順位が大幅に下がったことに教育関係者一同衝撃を受けたこと。←しかし2009年と2012年の調査では順位が上昇します。
・「活用力」と「学ぶ意欲」が課題であることが明確になります。
*全国学力・学習状況調査:2007年より毎年実施。小6と中3を対象。
・A問題とB問題の違い。

復習

・「ゆとり教育」という見かけの教育問題の下で、本当に進行していた自由化・民営化・規制緩和・構造改革について把握しよう。
・市場化のメリットとデメリットについて押さえよう。

予習

・「生きる力」について調べておこう。

教育概論Ⅱ(栄養)-7

▼10/30

前回のおさらい

・学習指導要領の変遷。1947年版=法的拘束力なし、道徳科なし。
・1958年/1968年版=法的拘束力あり、道徳科登場。←逆コースと高度経済成長。

学習指導要領の変遷(2)

学習指導要領(1977年版)(1989年版)

・いわゆる「ゆとり教育」が開始されます。「個性」の尊重が合い言葉となります。
*「ゆとり教育」という言葉が意味するものについて、注意しましょう。見かけの教育現象ではなく、日本社会で本質的に進行していた事態に目を向けましょう。
・この時期(あるいは現在まで)の教育を理解するには、1984年の「臨時教育審議会」が決定的に重要です。

オイルショックと産業構造の転換

・1973年にオイルショックが起こり、高度経済成長が終わ、低成長時代に入ります。ただし日本だけ早期に復活します。Japan as No.1(1979年)からハイテク景気とバブル景気へ。
・重厚長大型産業(石油を莫大に使用する産業、少品種大量生産)から軽薄短小型産業(ロボットとコンピュータ、多品種少量生産)への転換に成功しました。
・生産主導から消費主導へ=マーケティングと宣伝広告の重要性。
・人材雇用の転換=アウトソーシング。終身雇用から流動的な雇用へ。
・知識観の転換=知識や技術の賞味期限の短縮。暗記型(知識の量)から検索活用型(思考力・判断力・表現力)へ。
・教育観の転換=「まじめ」から「個性」へ。
→1977年の学習指導要領改訂:「ゆとりある充実した学校生活の実現=学習負担の適正化」
→1989年の学習指導要領改訂:新学力観個性
・どうしたら「個性」を育てることができるのでしょうか?

臨時教育審議会

*中曽根康弘総理が1984年に総理府に設置し、教育改革ブームとなります。
・中央教育審議会(文部省)と臨時教育審議会(総理府)。内閣が直々に「教育改革」の前面に出てくるとはどういう事態なのでしょうか。
・キーワード=民営化、自由化、規制緩和、構造改革、小さな政府。
・電電公社→NTT(1985年)、専売公社→JT(1985年)、国鉄→JR(1987年)。
・自由化、民営化のメリット=公共部門の縮小による歳出削減。市場原理(競争原理)により、個性が伸張し、サービス全体の質が向上します。
・自由化、民営化のデメリット=後述します。
・学校における競争原理=学校選択制によって個性が伸張し、全体的にレベルアップします。「学区制」との違い。
・たとえば、いじめはどうしたらなくなるでしょうか? 大学の授業がつまらないとしたら?
→バウチャー制度。私立学校も含めて競争原理に巻き込みます。
→学校民営化。すべてを競争原理に委ねます。

聖域なき構造改革

*高校多様化:1990年代~。中高一貫校。総合学科。単位制高等学校。
*小泉純一郎:構造改革特区(2002年)。

・学習指導要領によらない多様なカリキュラム編成が可能となりました(構造改革特区研究開発学校制度)。
・株式会社による学校設置が容認されました。
・不登校児童生徒等の教育を行うNPO法人で一定の実績等を有するものの学校設置の容認されました。
・大学設置基準が緩和されました(校地面積,運動場設置,空地確保の弾力化)。
・教員の特別免許状の授与権者として特区市町村教育委員会も追加されました。
・インターネットを利用した教育を行う大学・大学院についての各種施設基準が弾力化されました。
・「公私協力学校」の設置が可能となりました。
・学校施設の管理及び整備に関する権限を教育委員会から地方公共団体の長へ移譲しました。

→小学校1年生から英語の授業を実施。
→小中一貫、9年間を4・3・2に区切って教育課程を実施。
→「市民科」や「情報科」を新設。
→小中高12年一貫教育で、授業を全部英語で行う。(構造改革特区第1号)

復習

・いわゆる「ゆとり教育」に関して、実際には臨時教育審議会(1984)による規制緩和と構造改革が進行していた事実を認識しておこう。
・1977年と1989年の学習指導要領改訂の背景について押さえておこう。

予習

・民営化のデメリットについて考えておこう。

教育概論Ⅱ(栄養)-6

▼10/23

前回のおさらい

・教育勅語のどこがどのように問題だったか←主権在君と神話的国体観。
・教育基本法と学校教育法の意義。

学習指導要領の変遷

・「学習指導要領」の内容は、ほぼ10年ごとに改訂されています。
・それぞれの時代背景が内容に反映しています。
・ゆとり→詰め込み→ゆとり→詰め込み?という「波」として把握すると分かりやすいでしょう。

学習指導要領(1947年版)

・「学習指導要領(試案)」。「試案」とはどういうことでしょうか。
・法的拘束力がありませんでした。
・道徳科がありませんでした。
・社会科が新設されました。←「主人公」として生きるためには、基本的人権だけでは不十分で、ガイドブックも必要になります。
・家庭科が男女共修になりました。

生活綴方(せいかつつづりかた)

*無着成恭『山びこ学校』。1948年、山形県山元中学校。1951年、クラス文集を『山びこ学校』として刊行しました。
*綴方:いわゆる作文のこと。

学習指導要領(1958・60年版)・(1968・69・70年版)

・法的拘束力ありとなりました。
・特設道徳が登場しました。
・家庭科/技術が男女別学となりました。
・学習内容が大幅に増加し、受験競争が激化しました。→詰め込み

逆コース

・中国(1949年)と朝鮮半島(1950年)の情勢が変化し、冷戦体制によって、GHQの方針が転回しました。
サンフランシスコ平和条約(1951年)。
池田ロバートソン会談(1953年)
・教育二法(1954年)。「教育公務員特例法の一部を改正する法律」と「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」。
・地方教育行政の組織及び運営に関する法律(1956年)。教育委員選出を公選制から首長による任命制に転換。
スプートニク・ショック:1957年、ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功します。
教育の現代化:ブルーナー『教育の過程』。発見学習。「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階の子供にも効果的に教えることができる。」→1968年の学習指導要領改訂に多大な影響を与えます。

高度経済成長

・1955年~1973年にかけて日本は圧倒的な経済成長を遂げます。1964年=東京オリンピック、1970年=大阪万博。
・日常生活が急激に変化しました。三種の神器(白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)
・大卒初任給が急激に増えました。貧乏→豊か。
・産業構造が転換しました。農業→工業。3チャン農業。出稼ぎ。
・進学率が上昇しました(高校:50%→90%、大学:10%→30%)。半分しか高校進学できなかった時代から、ほとんど高校進学する時代へ変化します。
・親の権威の低下します(親が子供に教えてやれることは何もない)→教師の権威が増大します(高校進学・大学進学の実態について知っているのは教師だけ)。
・教育に関して親が頼れるのは学校と教師しかないという状況になり、学校と教育の黄金時代を迎えます(見かけ上)。
・実態は、「でもしか先生」でした。教師に「でも」なるか。教師に「しか」なれない。
・受験競争が激化し、詰め込み教育が横行します。
・親が子供にかける期待が増大します。マンガの事例。
・「ムラを育てる教育」から「ムラを捨てる教育」へと変わりました。

復習

・冷戦構造と高度経済成長によって教育が大きく変化する理屈を把握しておこう。

予習

・オイルショックと「臨時教育審議会」について調べておこう。

教育概論Ⅱ(栄養)-5

▼10/16

前回のおさらい

・日本語廃止論と方言矯正。
・日本のナショナリズム。教育勅語は3つのパートにわけると理解しやすいです。
・第一パートを理解するためには、日本神話(とくに天孫降臨)に対する知識が不可欠です。

日本のナショナリズム(つづき)

教育勅語の構造

・第二パートの徳目は、「儒教」の伝統的徳目に近代主義を混ぜたものです。
・教育勅語を中心とした教育体制が構築されます。修身、国語、歴史、地理との関係。
・しかしそもそも、教育勅語は本当に日本の伝統に合致していたのでしょうか?

日本近代と戦争

・日本が外国とどれくらい戦争したか、考えてみよう。
・日本の歴史全体を考えたときに、近代の戦争の特徴について考えてみよう。

ナショナリズムの力と問題

・身分制秩序を破壊して、国民を平等に向かわせる力を持っています。
・異質な集団を一つにまとめる力があり、戦争に強くなります。
・一方で、異質なものを排除しながら「純粋」さを追求していく傾向を強めます。
・排除したものを「敵」として固定し、憎しみを増幅させる作用があります。
・巨大な力と、コントロールの難しさを、併せ持っています。

教育基本法体制

・1947年法律第25号。日本国憲法と密接に関係。(2006年改訂)
・日本国憲法が国作りの「理念」を表現しているとすれば、教育基本法は具体化への「方法」を示していると言えます。
・「教育勅語」と正反対の理念が示されています。

教育勅語の失効

・1948年、衆議院と参議院での決議。何が問題だったのでしょうか?
・問題は「主権在君」と「神話的国体観」にありそうです。

主権在民と基本的人権

*主権在民:国民ひとりひとりが「主人公」であるという政治体制。人間は誰か別の存在のために使われる「脇役」ではありません。
*基本的人権:ひとりひとりが自分の人生の主人公となって生きることができるためには、これだけはどうしても必要になるという最低限の権利のことです。幸福権や職業選択の自由や財産の自由や身体の自由などなど。

学校教育法

・1947年法律第26号。いわゆる「6・3・3制」
・複線制(フォーク型)から単線制へ。
・女性の地位の変化。
・教員養成の変化。師範学校から開放制へ。

学習指導要領(1947年版)

・「学習指導要領(試案)」。「試案」とはどういうことでしょうか。
・法的拘束力なし。
・道徳科なし。
・社会科の新設。「主人公」として生きるためには、基本的人権だけでは不十分で、ガイドブックも必要になります。
・家庭科の男女共修。

復習

・教育基本法体制の仕組みについて押さえよう。

予習

・高度経済成長について調べておこう。

教育概論Ⅱ(栄養)-4

▼10/9

前回のおさらい

・フランス革命の展開。ナショナリズムの強さの理由。
・各国の国歌。国民を統合する役割がある一方、取り残される人々の問題がありました。
・国語には国民を統合する機能がありますが、一方で方言は撲滅されていきます。

日本のナショナリズム

・明治維新(1868年):身分制社会から国民国家へ転換しました。
・文明開化:日本の伝統文化をことごとく否定し、外来文化を崇拝するムーブメントです。鹿鳴館時代とも言われたりします。
・学制(1872年):フランスの真似をした教育制度です。教育内容も西洋の翻訳にとどまります。
福沢諭吉:『学問のすすめ』など、学制の基本的な考え方に影響を与えています。立身出世主義、国民皆学、実学主義、受益者負担。
・日本の日本らしさとは何でしょうか?→天皇の再発見。

日本の祝祭日の由来について考えてみよう。

・日本の祝祭日には、必ず連休になるものと、火曜日や水曜日ならそのままになるものと、2種類に分けられます。どうしてこのような違いがあるのでしょうか?

教育勅語

・1891年渙発、1948年失効確認(衆議院、参議院)。
元田永孚(もとだながざね)と井上毅(いのうえこわし)が中心となって作成します。儒学主義と近代主義がミックスされた内容になっています。

日本近代と戦争

・日本が外国とどれくらい戦争したか、考えてみよう。
・日本の歴史全体を考えたときに、近代の戦争の特徴について考えてみよう。

教育勅語の構造

・3つのパートに分けると、理解しやすくなります。
・教育勅語には「いいことも書かれている」とか「普遍的なことも書かれている」と主張する人々は、第二パートにしか注目していません。しかし、もし単に「いいことも書かれている」だけで良いとしたら、聖書でもコーランでも論語でも良くなってしまいます。なぜ、聖書でもコーランでも論語でもなく「教育勅語」である必要があったのでしょうか。
・「日本人」という自己意識の形成にとって決定的に重要なのは、第一パートと第三パートです。第一パートの理解を抜きにして第二パートを語ることはできませんし、語る意味がありません。
・第一パートを理解するためには、日本神話(とくに天孫降臨)に対する知識が不可欠です。
・第二パートの徳目は、「儒教」の伝統的徳目に近代主義を混ぜたものです。
・教育勅語を中心とした教育体制が構築されます。修身、国語、歴史、地理との関係。
・しかしそもそも、教育勅語は本当に日本の伝統に合致していたのでしょうか?

ナショナリズムの力と問題

・身分制秩序を破壊して、国民を平等に向かわせる力を持っています。
・異質な集団を一つにまとめる力があり、戦争に強くなります。
・一方で、異質なものを排除しながら「純粋」さを追求していく傾向を強めます。
・排除したものを「敵」として固定し、憎しみを増幅させる作用があります。
・巨大な力と、コントロールの難しさを、併せ持っています。

復習

・「教育勅語」の構造について押さえておこう。
・教育基本法と教育勅語の違いについて押さえておこう。

予習

・「カリキュラム」という言葉の意味について調べておこう。