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渡辺秀樹・金鉉哲・松田茂樹・竹ノ下弘久編『勉強と居場所―学校と家族の日韓比較』

【要約】日本と韓国の若者を比較すると、韓国の若者が「学校の勉強」に大きな価値を見出しているのに対し、日本の若者は「学校を居場所」として価値を見出していることが分かりました。家族の経済資本や文化資本のほか、親との日常的な会話などの「社会関係資本」に注目して調査を行ないました。
現在、日本の若者は勉強に対する関心と意欲を失っていると言われていますが、どうしたら意欲を取り戻すことができるのか、国際的な比較から様々な示唆を得ることができます。

【感想】極めて有意義な本だと思った。数字にから結論を導き出すことの意義がよく分かる研究だ。データに対して謙虚で、都合の良い無理な結論を引き出していないのも好印象だった。力作だと思う。勉強になった。

韓国の教育事情や若者の置かれた立場についてもたいへん勉強になったが、やはり日本の若者の意識に関しては、私自身が日常的に学生たちと触れていることもあって、いろいろ思うところがある。価値が多元化して、意識が「コンサマトリー化」したというのは、私の実感としても、ある。
(ちょっと気になるのは、consummatoryという英語とconsumeという英語の関係で、この共通する語幹には何らかの意味があるのか。不勉強にして知らず。)

ともかく、そのような現状に対応すべく、いま「社会関係資本」とか「繋がり」とか「ネットワーク」という概念が重要度を増していることも理解した。やはり、「個の自律」と「公共性の創出」という課題を同時に達成していくのが、教育の役割ということになるのだろう。

【今後の研究のための備忘録】
やはり「子ども/大人」の関係と「アイデンティティ」については、言質を取っておこうと思う。

「いまや30歳になっても一人前になれない時代になった。」
「エリクソンは、青少年期のモラトリアムがこれほど長くなるとは、想像もできなかっただろうが、いまの現象は、心理的なモラトリアムというより、高まりつつある社会の不確実性から生じるモラトリアムである。」21頁、金執筆箇所

「というのも、現在の若者にとって、多元的な関係性を取り結び、多元的なアイデンティティを使い分ける技術は生きる上で不可欠な能力だからである。」146頁
「もちろん、アイデンティティや人間関係が多元的で流動的であることは、現代の若者の不安の大きな源泉にもなっている。」147頁、阪井執筆箇所

まあ、そうですよね、という。
Z・バウマンの本『アイデンティティ』も読まなくては。

渡辺秀樹・金鉉哲・松田茂樹・竹ノ下弘久編『勉強と居場所―学校と家族の日韓比較』勁草書房、2013年

【要約と感想】志水宏吉『学力を育てる』

【要約】学力低下の実態について調べてみると、全体のレベルが下がったわけではありません。できる層は昔と同じようにできますが、できない層が昔よりさらにできなくなったのが実態です。できるかできないかは、家庭の「文化資本」に依拠します。真の問題は「学力格差拡大」にあります。そんななか、格差拡大を食い止めている「力のある学校」が実際に存在します。力のある学校の特徴は、スパルタ式の特訓ではなく、集団づくり・仲間づくりを積極的に進め、学力を手厚く保障する体勢を作ったところにあります。学校にできる仕事は、「社会関係資本」を高めることです。

【感想】見所の一つは、学力低下が実際にはどういう現象なのかを客観的データで示し、問題の本質が家庭の文化資本の格差にあることを示したところ。まあ、本書でも挙がっているブルデューなりバーンスタインなりの論理から容易に予想されていたところではあるが、数字でわかりやすく出てきたのはありがたい。

また、その格差をどのように克服するかが極めて具体的に示されている所も、大きな見所。「学力の樹」という理論と「力のある学校」でのフィールドワークが見事な往還をなして、たいへん説得力がある記述になっている。単にドリルをこなしたり勉強時間を増やしたりするだけで学力が上がるのではなく、「社会関係資本」を重層的に保障することで学力が上がっていくことが、とてもよく分かる。

食い足りないのは、「何のために学力を上げるのか?」が見えにくいところ。本書は、学力向上が善であると前提している。いま学力が落ちているのは、「学力を上げてもいいことなどない」とか「コストに見合わない」という感覚が広がっているからでもある。あるいは、学力が二極化したところで何が問題なのか(むしろ望むところだ)という感覚である。新自由主義の論理は、この功利主義的感覚につけ込んでくる。新自由主義の論理に陥ることなく、全ての子どもが学力を上げるために努力しなければならないことの意味について語る言葉が必要なのだが、そのためにはやはり背景となる人間観とか哲学を真剣に考えなければならないのではないか。本書で「社会性」を育てるという言葉は強調されても、「人格」という言葉が出てこないことが気にかかるわけだ。

志水宏吉『学力を育てる』岩波新書、2005年