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【要約と感想】服部倫卓・原田義也編著『ウクライナを知るための65章』

【要約】ウクライナの自然・地理・歴史・民族・言語・宗教・文化・芸術・観光・衣食住・産業・経済・外交・軍事・日本との関係について、トピックごとにまとめてあり、知りたいことが手っ取り早く分かります。ウクライナとロシアの関係は、2014年以降、緊迫の一途を辿っています。

【感想】2018年出版の本なので、2019年に大統領に就任したゼレンスキーについては一切触れられていない。が、現在のロシア・ウクライナ関係に至る伏線については、かなりよく分かる。2014年にはマイダン革命によって親露政権が倒れ、それに伴ってクリミア併合とドンバス紛争が発生したが、その事情については丁寧に解説してある。ロシアもロシアだが(2008年にはグルジアと戦争してるし)、ウクライナの方もたいがいだということが分かる。まあ、たいがいだからといって主権国家に戦争を仕掛けていいという法はないし、苦しむのはいつも一般庶民なのだが、それはそれとしてウクライナの国内問題についても視野に入れておかなければいけない。特に問題なのは、右翼ナショナリストの挑発活動だろう。プーチンがゼレンスキーを「ナチだ」と決めつけていたが、ゼレンスキーの思想信条はともかくとして、2014年に親露政権を倒したマイダン革命でネオナチ支持者を含む右翼過激ナショナリストが公然と武装して破壊活動を行なったことについては知っておいて損はないのだろう。いま、敵の敵は味方ということで反露右翼過激ナショナリストたちにも現代兵器が渡っていて(しかもアメリカから)、この紛争が収まった後で地域全体の安全保障に禍根を残すことにならなければよいのだが、しかしまずは目の前に敵が迫っている以上、背に腹は代えられず、後先考えている場合ではないということも分かる。この後どう転んだとしても、この侵略行為はロシアにとっても悪手になるのだろう。
 読んでいて思わず涙が出てきてしまったのは、若い世代のポップカルチャーに関する記述を読んでいたときだ。日本のマンガやアニメが好きな子どもや、張り切ってお洒落をして自撮り画像をSNSにアップする女の子とか、ラップなど新しい音楽を楽しむ若者とかが、キイフのお洒落なカフェに集まって青春を謳歌しているという話が書いてあったが、若者たちで賑わっていたお洒落なカフェは、砲弾を浴びて瓦礫の山と化してしまっている。ウクライナやロシアの大人たちのほうにいろいろ後に引けない複雑な事情があることは本書を読んでよく分かったのではあるが、それにしても若者たちを巻き込んでこんな酷い目に遭わせていい道理などない。ウクライナの若者たちがキイフのお洒落なカフェで自撮画像をSNSにアップできる日常を取り戻すために、私にできることは、まず「知る」ことだ。さしあたって、ロシア軍の攻撃を受けて破壊された世界最大の飛行機アントーノフAn-255が、2011年の東日本大震災の時に支援物資を載せて日本に飛来していたことは、この本を読んで初めて知ったし、もう忘れない。ありがとうウクライナ。

服部倫卓・原田義也編著『ウクライナを知るための65章』明石書店、2018年

【要約と感想】黒川祐次『物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国』

【要約】ウクライナは、何度やられても、不撓不屈の精神で何度でも立ち上がります。

【感想】ちょうど20年前に出版された本で、その間に世界情勢は大きく変化しているが、ウクライナという国の歴史と文化を知ろうという向きにとっては、まったく古くなっていない。落ち着いた筆致で、さくさく読める分かりやすい文章だが、内容は熱い。周辺の大国に蹂躙されながらも、独立への熱意を失わず、自らの文化を保持し続けたウクライナの歴史がよく分かる。
 ただし、2002年出版ということは、オレンジ革命(2002年)、マイダン革命とクリミア分割およびドンバス紛争(2014年)については当然一切触れられていないということなので、最新事情については丁寧にアップデートしておく必要がある。

【個人的な思い出】バトル・コサックは、実質的にはウクライナだったんだよ!?
 ウクライナを語る重要キーワードのひとつが「コサック」だ。コサックが歴史の表舞台に現れるのが15世紀後半頃ということで、西洋史的には大航海時代やルネサンスの時期にあたり、日本史的には応仁の乱から戦国時代に向かう時期に当たる。で、「コサック」とは大雑把には国家未満の独立武装集団のことで、日本史で似ているとすれば応仁の乱後の権力空白期に地域を実効支配した戦国大名という感じか。ちなみに著者は、ウクライナのコサックは、日本の「侍」と精神性が似通っていると書いている。
 で、私の世代(1972年生)としては、「コサック」と聞くと、つい思い出してしまうのが『バトルフィーバーJ』(1979年放映)だ。いわゆる戦隊ヒーローものの最初期番組にあたる。バトルフィーバーJには5人の戦士が登場する。バトル・ジャパン、バトル・フランス、バトル・ケニア、ミス・アメリカ、そしてバトル・コサックだ。子供心にいちばんインパクトがあったのはバトル・ケニアで、その野性味溢れるアニマルアクションに「これがアフリカか」と偏見に満ちたイメージを脳味噌に刻んだわけだが、逆にいちばん意味が分からなかったのがバトル・コサックだ。当時小学校低学年だった私も、世界中にいろいろな国があることは一応知っていて、ジャパン、アメリカ、フランスについては漠然としたイメージをなんとなく持っていた。そしてケニアについては、後に映画『少年ケニヤ』(1984年公開)などもあってだんだんイメージが固まっていくものの、しかし一方「コサックって何だ?」という疑問については、長い間解消されることがなかった。大人に聞いても要領を得なかった。両親も、そして学校の先生もコサックのことはよく知らなかった。子供ながらに心得たのは、「どうやらコサックという国は存在しない」というところまでだった。しかしどうしても分からなかったのは、ジャパン、アメリカ、フランス、ケニアは独立国家なのに、どうしてバトルフィーバーJは5人の戦士の中に独立国家でもないコサックを入れたのか、ということだった。子供心に想像したのは、「ソ連というヤバい存在」が何らかの関係を有している可能性だった。たとえばバトルフィーバーJの6人目の戦士として、バトル・イスラエルとかバトル・北朝鮮とかバトル・リビアが登場すると、いろいろ面倒なことになる。同じような理屈で、バトル・ソビエト連邦が登場するのは、かなりマズい。だから制作側としては本来「バトル・ソ連」としたかったところ、大人の事情でバトル・コサックになったのだろう、という想像だ。本当はどういうことだったのか、未だに事情は分からない。
 次に「コサック」と出会うのは、ストリートファイターⅡのザンギエフだ。ストⅡがアーケードゲームとして登場するのが1991年。奇しくもウクライナ独立の年にあたり、個人的には高校を卒業して東京に出てきた年に当たる。この頃は「エリツィン14歳」などと言って喜んでいた時期でもある(分かる人には分かるギャグ)。で、ストⅡでロシア出身のザンギエフがコサックダンスを踊っていたこともあり、コサック=ロシアという漠然としたイメージがさらに強化されたのだが、じゃあコサックが何なのかという本質的なことについては相変わらずさっぱり理解していない。
 で、コサックについてようやく概要を理解するのは、21世紀に入ってから、インターネットが急速に発達して、Wikipedia等で事項検索が容易になってからのことだった。コサックは、ペテルブルクとかモスクワのようなロシア中心部とは無関係で、黒海北岸に割拠した武装集団だということを、ようやく理解し始めるのであった。
 そして本書を読んで、ようやくにしてコサックの具体的な姿を初めて掴めたような気になっている。日本の戦国史で喩えると、上杉(北)と武田(西)と北条(南)に囲まれた北関東戦国武将(真田家や長野家や佐野家)のようなものだ。ウクライナのコサックは、北にロシア、西にポーランド(当時は強国だった)、南にトルコと、強大な勢力に囲まれていた。そして北関東戦国武将たちと同じように、ロシアについたり裏切ったり、ポーランドについたり裏切ったりなどしながら、生き馬の目を抜く戦国の世を生き抜いていく。日本では真田家が西の武田につき、長野家が北の上杉家についたように、ウクライナもドニエプル川の西がポーランドにつき、東がロシアにつきやすいようだった。日本と違うところと言えば、犠牲者の数がまさにケタ違いに多い、というところになるのだろう。

【個人的な心配】今後の展開
 2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以降、いろいろなニュースを目にしてきたが、気になったのはロシアのお婆さんが「ウクライナ人はみんなテロリストだ」と言っていたことだった。国営放送のプロパガンダに染まっているという単純な話ではなく、まさにロシアの歴史教育が本質的にそういう世界観を醸成しているだろうことが、本書の記述からも伺える。実際、ウクライナは大国の占領下にあっても独自の文化を失わず、不撓不屈の精神でレジスタンスを構成し、根気強くゲリラ戦を展開してきた歴史を持つ。逆に言えば、ロシア側(特に年寄り)から見れば、ウクライナはパルチザンの巣窟ということになる。おそらく、プルシェンコなどロシア愛国者たちも本気でそう信じているのだろう。ロシアのお婆さんやプルシェンコの世界観が一方的な偏見であることは間違いないとしても、ウクライナ人の伝統的な戦い方にロシア(帝政ロシアでもソ連でも)が苦しめられた歴史を反映した偏見でもある。本書は、焦土作戦とゲリラ戦を得意としたウクライナ人の戦い方についてこう記述している。

「ここで我々が気づくのは、このユーラシア大平原ではその後2000年以上たってもほぼ同じことが繰り返されている点である。すなわち、ナポレオンのロシア遠征(1812年)やナチス・ドイツのソ連への侵攻(1941-45年)に対しても撤退・焦土作戦とゲリラ戦法という基本的には同じやり方が用いられている。コサックもゲリラ戦法を得意としていた。」13頁
「反乱を起こすと、コサック以来の伝統があるので、この地の農民は強い。反乱の指導者は、歴史上のコサックの首領にでもなった気分になる。」194頁

 都市化が進んでさすがに15世紀の戦国時代とは状況や環境はまったく異なってはいるが、ウクライナが「コサック」の伝統を誇りに思い、受け継ごうとしていたのであれば、大国からの侵略に対して同じことは起こりえる。
 ウクライナの国民的詩人が「遺言」(1845年発表)という詩の中でこう歌っているのを、本書が紹介している。

わたしを埋めたら くさりを切って 立ち上がれ
暴虐な 敵の血潮と ひきかえに
ウクライナの自由を かちとってくれ
(146頁)

 こういう誇り高い詩を歌い続ける人々を、仮に一時的に屈服させることができたとしても、支配し続けることは、きっと不可能だ。ロシアが諦めない限り、この戦争は終わらない。誰も幸せにならない憎しみの連鎖を、どうにかして止めて欲しい。私にできることは、まずは「知る」ことだ。

黒川祐次『物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国』中公新書、2002年