「塾」タグアーカイブ

【要約と感想】横田増生『中学受験』

【要約】私立中高一貫校の受験熱が盛り上がっています。受験産業によるゆとり教育ネガティブ・キャンペーンに踊らされた保護者がたくさんいたようです。
でも、ちょっと冷静になってみてください。私立中高一貫校にもいじめはあります。中途退学者の末路は、哀れです。お金も異常にかかります。中学受験に成功しても、人生に成功できるとは限りません。
教育の機会均等の観点から考えれば、私立中高一貫校や塾など受験産業は、公共性を度外視して、商業主義に走りすぎています。やりすぎです。
家庭の経済格差による学力格差拡大を、日本人は受け容れつつあります。このままでは、教育の機会均等は崩れ、日本社会の活力も失われるでしょう。

【感想】塾に行く必要など一切ないと思ってしまうのは、まったく塾に行くことなく東京大学に現役合格した私の人生経験からすれば当たり前の見解なのだった。
が、まあ、それは地方公立高校で手厚い指導を受けられた者のポジショントークではある。時代と場所が変われば、もちろん考え方を変えていく必要はあるのだろう。「塾」というものの機能と役割は、教育学を生業とする者にとってはなかなか厄介な問題である。とはいえ、見て見ぬ振りをするわけにもいかない。しっかり視界に捉えておかなければならない。

まあ、教育の公共性という観点からすれば、現在の日本の教育構造が極めていびつな状態になっていることは間違いない。しかしそれを単に塾や私立中高一貫校の責任に押しつけることも不毛ではある。教育だけでなく、「自分さえ良ければ他人はどうなっても自己責任」という狂った新自由主義的自己責任論を蔓延させるに至った日本社会全体の構造的な問題を見据える必要がある。
公共性とは「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」の精神である。一人の子どもの教育のために大人たちみんなが責任を負い、子どもは成長したらその知識と能力をみんなのために使う。そうやってみんなで助け合って生きていけばいいじゃないか。だがしかし、今は、「私は誰にも頼らずに知識と能力を身に付けたのだから、私の知識と能力は私の金儲けのためだけに使う」という新自由主義的自己責任の精神が蔓延している。これでは日本は破滅する。いやはや。

横田増生『中学受験』岩波新書、2013年

【要約と感想】小宮山博仁『塾の力―21世紀の子育て』

【要約】学校で身に付ける「学校知」は原理や仕組みを論理的に理解するための基礎で、塾で身に付ける「受験知」はテクニックです。両方とも必要です。
これからは、学校が必要ないとか、塾が必要ないとか悪口を言い合うのではなく、力を合わせて「学ぶ楽しさ」を子どもたちに与えていくべきです。というのも、21世紀には、従来の詰め込み知識が役に立たなくなり、学ぶ姿勢や態度などのソフトスキルが重要になってくるからです。今後の入試では、創造的な力を要求する「新学力観」に基づく問題が増えるでしょう。
塾は、難関校への合格者数を誇るのではなく、自らの教育方針や理念を積極的に打ち出すべきです。保護者も偏差値に踊らされず、教育方針や理念をしっかり踏まえて塾選びをするべきです。「学校スリム化」の時代に突入し、学力が二極化することは容易に想像できますが、家庭や地域社会は頼りないので、塾の力に期待するのがいいでしょう。

【感想】ちょうど20年も前の本で、さすがに各種情報は古くなっている。が、「答え合わせ」として読むと、なかなか感慨深いかもしれない。というのは、著者は「学校から合校へ」や「学校スリム化」の政策に関わっており、本書も文科省(当時は文部省)の主張と同じ方向を見ているからだ。その視点から描かれた未来予想図がどの程度当たっているかという関心をもって読むと、そこそこおもしろい。
まあ、本書が出た直後に「ゆとり教育批判」と「学力論争」が巻き起こり、文科省が方針を一部撤回したため、本書の見通しのいくつかは外れることになった。が、大きな筋道はズレていないのかもしれない。時代の雰囲気を証言する本としては、なかなか使い勝手がいいかもしれない。

小宮山博仁『塾の力―21世紀の子育て』文春新書、1999年