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【紹介と感想】植上一希・寺崎里水編著『わかる・役立つ教育学入門』

【紹介】大学一年生向けに、教育学の役立ちポイントを解説しています。特に教員を目指さない人も、対象にしています。
子どもの貧困・外国籍の子ども・性・いじめ・制服・進路など身近なトピックや、ICT・地域連携・AIなど最新トピックを扱います。教員にならなくとも、目の前の現実や自分の人生を考える際に、教育学の知見はとても役に立ちます。

【感想】「知識の活用」という観点に絞って、教育思想家の名前をほとんど出さないところは、なかなか潔い編集方針だと思った。
気になったのは、「学力」や「授業/アクティブ・ラーニング」を前面に出したトピックがなかったところだ(貧困に絡んで話題には出てるけれど)。「学力問題」はもう過去のものだという判断か、あるいは全体的に触れているという判断か。教育行政についても、ほぼ触れられていないなあ。まあ入門書だし、ないならないでもちろん問題ないんだけど、編集方針は多少気になるところ。

【言質】
エリクソンの理論が時代遅れだと指摘しているところは、記憶しておこう。

「さて、エリクソンがアイデンティティについて研究した20世紀半ばは、人は就職と結婚を経て成人期へ移行していくとシンプルに考えられていた時代でした。現在、働き方や働く条件の変化、婚姻形態の多様化などにより、大人になる時期の遅れ、大人になることの困難化は多くの先進国で報告されています。」171頁

植上一希・寺崎里水編著『わかる・役立つ教育学入門』大月書店、2018年

【紹介と感想】田中耕治他『教育をよみとく―教育学的探究のすすめ』

【紹介】高校生や学部1年生向けに書かれた、教育学入門書です。定番の教育課題に対するアプローチの仕方や、論文の書き方に関するお作法、さらに教師として実践的な力をつける道筋が記されています。

【感想】京都大学教育学研究科の英知を結集しただけあって、必要な情報がコンパクトにまとめられている。類書(初心者向入門書)と比較すると、アプローチの仕方やお作法などの記述が厚いためか、クールな印象を受ける。政治と教育との絡みが後景に退いているのが、多少気になるというくらいか。

【備忘録】
個性とメガネに関する言質を得たのでメモしておく。

「ただし、「個性」は「個人差」と同じものではありません。(中略)つまり、個人差に応じる教育とは、到達度や、習得に必要な時間の差などの量的な測定データをもとに、子ども一人ひとりに合った指導を行うことであり、一方、個性に応じる教育とは、子どものそれまでの経験や興味・関心などをベースにした個人の主観的・主体的な判断で進める学習に合わせる指導といえるでしょう。このように区別することによって、学力格差(個人差)を個性だとして容認するといったリスクを減らすことができます。」(51-52頁)

実践的な場面では、確かにこのような構えでうまく回るのかもしれない。とはいえ、「個性」を哲学的に考えた場合は、もっと別の景色が見えてくるようにも思う。まあ、本書の主題と話の流れから言って、ないものねだりではあるが。

それからメガネについて。

「概念という装置は、顕微鏡や望遠鏡といった重く存在感のあるものではなく、手軽に持ち運びができるメガネのようなものです、かけ続けていると、かけていることすら忘れるくらいに体になじんでいきます。したがって私たちは、日常生活において、概念というメガネを通して世界をみていることを意識することはありません。それゆえに、日常生活においてかけているメガネを、探求を行う際にも無意識にもち込んでくることになります。それ自体は悪いことではありません。しかし、探求を進める過程においては、日常生活でかけているメガネは度が弱すぎて、実は世界がよくみえていなかったということに気がつきます。わかっていると思っていたことがわからなくなる、これまで疑いもしなかったことについて改めて考えてみないと一歩も先に進めなくなる。実はこれが探求の醍醐味の1つです。不安になる必要はありません。このような状態になることは、普段使っているメガネを捨てて、精度の高い学問的なメガネを手に入れつつあることを示しています。むしろ成長の証なのです。」(81頁)

なるほど、「概念」をメガネに喩えるのは、うまいかもしれない。かねてから、世間では「観念」と「概念」が使い分けされていないと感じていた。「頭で思うこと」は単に「観念」であって「概念」ではないのだが、世間的には「頭で思うこと」を「概念」と言ってしまったりする。しかし私の理解では、「概念」とは世界を理解するための素子みたいなもので、これが精緻であればあるほど解像度の高い像を得ることができる。解像度の高い世界を手に入れるという意味で、概念をメガネに喩えるのはうまいかもしれないと思った次第。

田中耕治・石井英真・八田幸恵・本所恵・西岡加名恵『教育をよみとく―教育学的探究のすすめ』有斐閣、2017年

【紹介と感想】小川佳万・三時眞貴子編著『「教育学」ってどんなもの?』

【紹介】高校生向けに、「教育学」がどんな学問か、日々の疑問に答えながら、易しく解説します。

【感想】広島大学教育学部の叡智を結集した教育学入門書で、なかなか熱い。この熱さは、私にも初心を思い返させてくれて、とてもいい。私がどうして「教育学」を志したか、確認するいい機会になったのであった。

が、私が学部に進学したときは、吉澤先生は「反教育学」だったし、寺崎先生はフーコー権力論だったし、先輩たちからは筑波や広島(旧高等師範)に対する悪口(?)を聞かされるしで、教育の現実に対して前向きに取り組む姿勢は身につかず、近代教育の相対化に日々勤しんでいたのであった。ははは。なんだかんだ紆余曲折があって、今は教育学徒の一兵卒を自認しているわけではあるが、まあ、そんな人生。

【備忘録】
教育学の役目に関する記述が、若々しくて、熱い。

「ここからは私の個人的な意見ですが、いろんな研究者がそれぞれの目的に応じて教育の過去・現在・未来について研究することで、全体として教育学が、これまでの教育についてのできるだけ正確な地図を描き、それを踏まえて現在地を確定しつつ現在の状況を解明し、見据えるべき未来へと至る過程を提示する、これが教育学の学問としての役割なのだと思っています。」(183頁)

こういうメッセージをダイレクトに発する本って、実はあまりないよなあ。私も微力ながら一兵卒として頑張る所存である。

小川佳万・三時眞貴子編著『「教育学」ってどんなもの?』共同出版、2017年

【紹介と感想】南本長穂・伴恒信編著『子ども支援の教育社会学』

【紹介】教育社会学の知見を広く集めた学生用のテキストです。

【感想】幅広い教育社会学的トピックが扱われているのはいいとして、それぞれ分量が極めて少なく、個人的には食い足りない。まあ、学部一年生にとってはこれくらいがちょうどいいという判断なのかなあ。
まあ、エリクソンのアイデンティティ論に対する批判の言質をとれたのは、個人的な収穫ではある。

 

「これまでの生涯発達論は1950年代以降の人類にとって比較的好運な右肩上がりの安定した経済成長時代の産物であって、成長神話の崩壊した21世紀にそぐわない発達論となってきているのではないだろうか。」(24頁)

「しかしながら無藤(1999)は、「自分自身のあり方・生き方について悩んでさまざまな試行(役割実験)をしながらいくつかの選択肢を検討して自分自身の判断をしていくといった、いわば、自立的独立的な自己確立の経過は優勢ではなくなってきている」と現在の若者たちの思春期や青年期の発達が従来の発達課題理論では考察できない可能性を指摘している。」(48頁)
無藤清子「青年期とアイデンティティ」『アイデンティティ』日本評論社、1999年

「社会学では現在アイデンティティは、絶対的で唯一に確立されるものという捉え方ではなく、石川(1992)の指摘するように「わたし」とはアイデンティティの州尾久、アイデンティティの束という捉え方になってきている。」(49頁)
石川准『アイデンティティ・ゲーム』新評論、1992年

南本長穂・伴恒信編著『子ども支援の教育社会学』北大路書房、2002年