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【感想】伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

 東京国立博物館で開催されている「伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」」を見てきました。タイトルに偽りなく、確かに天台宗の法統を一通り網羅していて、とても見応えのある展覧会でした。
 専門の教育史的関心からは、国宝の「光定戒牒」に大注目でした。奈良時代までの僧侶教育が、これを転換点として決定的に変わります。正式な僧侶になるためには受戒しなければいけませんが、戒壇院は奈良時代には東大寺、太宰府観世音寺、下野薬師寺の三箇所にしかありませんでした。最澄は延暦寺にも大乗戒壇を設立すべく、僧侶教育の方針を「山家学生式」に著すなど努力を重ねますが、その願いは生前には叶いませんでした。このあたりの事情は、私が大学で受け持っている「教育原論」の日本教育史パートでもしっかり触れるところです。さて、最澄入滅後11日経ってから、大乗戒壇院設立の勅許が降ります。これを受けて翌年、光定が延暦寺一乗止観院で大乗菩薩戒を受け、嵯峨天皇から正式な僧侶としての身分証である「戒牒」を与えられます。これを転機として日本における僧侶教育のあり方が大きく変わっていきます。延暦寺で学んだ僧侶たちが個性的な主張を展開する鎌倉新仏教の隆盛も、ここに起点を持つということになるでしょう。ちなみに嵯峨天皇の確実な真筆はこれのみだとも言われているようですが、筆跡は優雅なのに力づよく、実に見事で、眼福でありました。実物を見たという経験を加えて、今後の私の授業の説得力も多少は増すと良いのですが。
 しかし展示を一覧してしみじみと思ったのは、中学高校の教科書レベルでは天台宗=最澄でファイナルアンサーということになっているけれども、実は天台宗を土台で支えていたのは最澄の弟子たち(光定・円仁・円珍など)の献身的な努力だったんだなあということです。教科書には現れない弟子たちの努力があって、実は初めて師匠の最澄の業績が輝くことになります。「教育」というものの意味と機能を考える上でも、いろいろな示唆を受けるような気がしました。最澄と弟子たちの関係に留まらず、その後も延暦寺が教育機関としてズバぬけた力を発揮したことの理由と意味は、しっかり考えていく必要があるように思います。(2021年11/12観覧)