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【要約と感想】奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』

【要約】日本の従来の学校教育で行ってきた集団一斉教授はオワコンになりつつあります。教師や学校は、今こそ新しい教育にチャレンジするべき時です。時期学習指導要領の目玉キーワードになるであろう「個別最適な学び」と「協働的な学び」について、具体的な授業実践を土台にしながら解説します。子どもたちの「学びたい」という気持ちを信じ、教師が教科の本質を捉えた上で丁寧に学習環境を整えれば、子どもたちは本来の「有能な学び手」の力を発揮します。教師は、従来の一斉授業観を放棄し、新しい時代の新しい学びにふさわしい新しい役割を担うべきです。ICTはへっちゃらで使いこなしましょう。

【感想】おもしろく読んだ。単に頭の中で考えた理論ではなく、具体的な授業実践を積み上げながら鍛え上げた話なので、説得力を感じる。子どもに先生の役割を委ねて授業を進行させる「自学・自習」の取り組みは、なかなか刺激的だ。が、確かに教師が事前に環境を整備して資料を豊富に用意しておけば、成立する取り組みのように見えた。というか、教師の役割が「アナウンサー」とか「アクター」というものから「ディレクター」へ、あるいはさらに「プロデューサー」とか「監修」といったものに変わっていくということなのだろう。
 しかしこのレベルまで実践が高まると、現行制度による縛りが授業実践の足かせになる。具体的には例えば、教科書採択の権限が各学校ではなく教育委員会にあるのはどうなのか。またあるいは「学習指導要領」の法的拘束性はどう考えるべきか。「特別の教科 道徳」の設置など、むしろ時代に逆行しているのではないか。本書内では、もっぱら授業方法が時代遅れだと強調していたが、現場の先生たちは一生懸命に頑張っていて、むしろ中央集権的な教育制度や教育行政のほうが現場の足を引っ張っているのではないか。役にも立たない研修を制度化して強制するより、現場を信じて先生方に大きな権限を与えるのが一番うまくいくのではないか。教育行政が現場を信じていないことが、実は日本の教育が抱える諸問題のいちばん根っこにあるのではないか。教育最前線の現場では「子どもの力を信じて自由を与える」ことによって素晴らしい実践が行われている一方で、教育行政が「教師の力を信じないで自由を奪う」ことによって現場の活力が削られていくのであった。

【個人的な研究のための備忘録】エージェンシー
 「エージェンシー」という言葉への言及があったので、サンプリングしておく。

「近年、OECDがエージェンシーという概念を提起しています。直訳すれば「行為主体性」ですが、OECDは「私たちが実現したい未来」を具現化する上で不可欠なものであり、「変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力」と説明しています。先生の支援を受けながら、自分たちの意思と力で自分たちが望む授業を仲間と協働しながら創り出していく「自学・自習」の経験が、子どもたちにエージェンシーを育んでいくことは間違いのないところでしょう。」(38頁)

 やはり、従来は「personality」と呼ばれていた対象を、意図的に「agency」と呼び換えてきているような印象を受ける。「行為主体性」とか「責任をもって行動する能力」などは、従来はpersonalityという概念が内包していた観念のはずだ。これをわざわざ新しくagencyという言葉でもって言い換えてきているということは、逆に言えばpersonalityという言葉に実践的な力がなくなってきていることを意味するのだろう。personalityという言葉に様々な手垢がついて、従来担っていた意味内容の輪郭がぼやけ、伝えたい内容が伝わらなくなったということなのだろう。「人格」という日本語についても、あまりにも意味内容が拡散し、本来この言葉が担うはずだった役割を果たさなくなっているので、おそらくこれに代わる新しい言葉が必要になっている。英語のagencyに相当するような新しい日本語は、さて、誕生するのかどうか。これからもカタカナで「エージェンシー」と呼び続けることになるのか。

■奈須正裕『個別最適な学びと協働的な学び』東洋館出版社、2021年