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【茨城県つくば市】小田城を語るときには北畠親房も忘れないでね。附:関城・大宝城

茨城県つくば市の小田城跡に行ってきました。
国指定史跡だけあって、極めて保存状態が良好な城跡で、たいへん見応えがあります。

小田城は、関東戦国史最大の萌えキャラと呼び名の高い(?)小田氏治との関係で語られることが多い城です。何度も何度も落城しているのに、なぜか部下が活躍して取り戻してくれるんですね。

が、私個人としては、断然、北畠親房ゆかりの城として興味があります。

東の虎口から城跡を眺めるの図。

堀にかかる橋の向こうに筑波山が見えます。小田城は、筑波山のほぼ真南に位置しているので、夜になると北極星が筑波山の真上に見えるわけですね。北畠親房に何か霊感を与えていないでしょうか。

城の南側から本郭を見下ろすの図。立派な庭園があったような雰囲気です。

西側の虎口。ここを抜けると南西馬出がありますが、さすがに親房が滞在していた頃にはまだなかったでしょうね。

南西馬出しにあった案内板。北畠親房が神皇正統記を書き始めたことなど、事跡も少し説明されています。小田城包囲後、関城に移ったことも書かれています。

本郭にある案内パネル。

本郭を出て北西の方に行くと、神皇正統記起稿之地碑があります。ある意味、日本の歴史を決定づけた本がここで書き始められたわけですね。

北畠親房は、後醍醐天皇崩御の後、後村上天皇に献上するために、日本を神の国とする「神皇正統記」の執筆を開始します。そして親房の皇国史観は山﨑闇斎や水戸学に影響を与え、幕末尊皇思想の流れを作り、明治期以降の国体思想にも反映していくわけですね。日本の保守思想の土台を理解するためには、神皇正統記の内容と執筆背景を押さえておく必要があるなあと。

小田城を後にして、北畠親房が逃れた先の関城へ。といっても、訪問したのは2013年6/6でした。

小田城からは西北西に20km弱という感じでしょうか。

関城も国指定史跡に指定されています。保存状態は小田城には劣りますが、大規模な開発から逃れて、遺構もしっかり残っており、たいへん見応えがあります。

城主の関宗祐の墓。南朝に尽くした忠臣ということで、明治以降は人気が出たんでしょうね。

案内板によると、北畠親房が神皇正統記を完成させたのは関城にいた頃のようですね。関城は1343年、北朝の高師冬に攻められて落城し、城主は討ち死に、親房は吉野に逃れているようです。案内板に「下妻城」とあるのは、次に行く大宝城と同じ城のはずです。

関城の東側に回ると、筑波山が遠くに見えます。南北朝の時代には、このあたり一帯は沼になっていて、難攻不落の要塞になっていたんでしょうね。今は一面の水田になっています。

続いて南朝のもう一つの本拠地だった大宝城へ。

大宝城は、関城から南へ1kmほどのところに位置しています。南北朝の当時は、関城と大宝城の間には沼があって、舟で行き来していたようです。

大宝城の石碑の脇に、紫陽花が咲いていました。

案内板。こちらには小田城から逃れた春日顕国が入っているようですね。

跡地に立つ八幡宮の御由緒。南朝方に感情移入するような説明になっています。

1343年の戦いで討ち死にした大宝城主、下妻政泰の忠臣碑。明治になってから、忠臣として顕彰されたんでしょうね。

搦め手の方には、紫陽花園があります。

南北朝時代には大激戦地でしたが、現在は紫陽花が咲き誇って、とても平和です。

そんなわけで、皇国史観の土台を作った茨城県を都道府県魅力度ランキング47位にしてしまう日本人って浅はかかもねと思いつつ、茨城県を離脱するのでした。そういえば小田城・関城・大宝城とも百名城にも続百名城にも選ばれていないなあ……
(2018年2/5訪問)

【茨城県水戸市】展望台・五角堂に男の浪漫を見た

回天神社の近くに、「展望台」「五角堂」があったので、寄ってきました。住宅街を抜けると、展望台の看板が。その先に、角材で組まれた展望台?らしきものが見えてきます。

とても狭くて急な階段を、おっかなびっくり登って踊り場へ。

確かに眺めは素晴らしいなあ。展望台から那珂川を臨むの図。

展望台の脇には、「五角堂」が。自由に入れるという男の隠れ家らしいので、ありがたく自由に入ります。

那珂川に臨む崖の上に建物が。

自由に入れる。

自由に入ってみると、中は予想以上に男の隠れ家でした。

那珂川が一望できる、絶景のロケーション。ソファにゆったりともたれながら本を読むのにちょうどいい気がします。

が、クーラーがないので、この季節は5分といられないのだった。いちおう団扇は置いてあったけれど、流れ落ちる汗を止めることはできません。

平成18年に完成、総工費18万円らしい。やるなあ。

想像以上に男の浪漫が形になっていた五角堂を、感心して後にしたのでした。
(2017年8/28訪問)

【茨城県水戸市】回天神社に幕末水戸藩の悲劇を見た

水戸は何度か訪れていて、メジャーどころは一通り回っているので、今回は行きそびれていたところを廻ってみました。

ということで、回天神社。幕末に国事のために命を落とした水戸藩士が中心となって祀られている神社です。幕末の水戸藩では極めて陰惨な殺し合いが続く(そしてそれは日本全体に及ぶ)のですが、その犠牲となった霊を鎮める神社ですね。

境内にはずらりと殉難志士の墓が並んでいます。これだけの人間を死に追いやるまでに至った「水戸学」の思想というのは、一度きちんと体系的に押さえておかないといけないなと、改めて思いました。「今こそ水戸学を学ぼう」と主張する人々が定期的に現れるけれど、この思想を原理主義に信奉することが政府転覆実行に繋がり、極めて多くの有望な若者を死地に追いやったという事実は、重く受け止めるべきだと思うな。

回天神社の鳥居。「回天」という名前は、個人的には人間魚雷回天という形で知ったんだけど(人間魚雷回天は靖国神社に展示されている)、もともとは水戸学の学者である藤田東湖の『回天詩史』という書物の名前が由来ですね。藤田東湖が生きていたら、水戸学原理主義過激派を押さえることはできたのかなあ。

ここで思い出したのは、2012年5/19に茨城県鹿嶋市の史跡「天狗党の墓」に訪れたこと。とても良く晴れていた日だったのに、この天狗党の墓周辺は薄暗く沈んでいたのが印象深かったです。茨城県各地に、こういった幕末殉難志士の史跡が残っていますね。下はその薄暗い写真。

回天神社には「常磐共同墓地」が隣接していて、ここに有名な学者がたくさん眠っています。たとえば時代劇の水戸黄門で「格さん」として知られている安積澹泊の墓。ドラマでは武闘派として描かれているけれど、もちろん本物は歴とした学者です。

墓地の奥の方には、藤田東湖の墓。この人が生きていたら水戸藩の動きが変わり、ひいては日本の幕末の命運が大きく変わっていたのではないかと思うにつけ、つくづく残念な気持ちになる。

思い出すのは、2013年3/11に水戸を訪れたときに見た東湖神社の光景。なんと東湖神社の境内で猿回しをやっているという。まあ、猿回し自体はいいんだけれども。藤田東湖の業績が地元民にちゃんと伝わっているのかどうか、不安になる事案ではある。下の写真は、東湖神社の境内で猿回しの後片付け中の図。

また回天神社には、保和苑が隣接しています。こちらは散歩に気持ちいい日本庭園。かなり広い敷地で、若者がスケボーの練習をしていたりしました。

ところで、水戸城大手門が復元整備中らしいですね。

まだまだ基礎工事もこれからという感じですが、平成31年には完成ということで、楽しみです。また水戸には遊びに行きたいと思います。
(2017年8/28訪問)