「神社」タグアーカイブ

【埼玉県西所沢】福徳稲荷は、子持ちの狐

台地の端っこに立っている小さな神社なんですが、お稲荷さんが子持ちでした。

子持ち。

おっぱいを吸っているようです。

阿のほうも、もともと子持ちだったのかな。壊れてしまって、元がどういう形なのかは分かりませんでした。

子持ちのお稲荷さんはそこそこいろんなところにあるのですが、どういう規準で子持ちになっているか、よく分からないですね。
(2017年8/30訪問。ものすごい大雨の日)

【栃木県宇都宮市】蒲生神社の鳥居にいるキャラはなんですか?

宇都宮の神社を回ってきました。

宇都宮に来たので、とりあえず、餃子を食べます。「宇都宮餃子 来らっせ」は、市内の餃子店が一カ所に集まっていて、食べ比べができてとても便利。昭和な雰囲気も素敵です。安定の顔出しパネルのネタは、宇都宮駅前にある餃子女神像。

来らっせから徒歩10秒で、下野国一宮の二荒山神社。街中にいきなり現れる巨大な鳥居が印象的。
主祭神は豊城入彦命という東国の支配を担当したと言われる伝説の皇族となっています。宇都宮周辺は古墳も多く、下野薬師寺や国分寺など官立の寺も多いですね。地方支配への権威付けのため、伝説の命が主祭神として仮託されているように想像されます。

二荒山神社から15分ほど歩くと、八幡山公園に。その中腹に塙田八幡神社。この、参道の整備が行き届いていないワイルドな感じが、味わい深いですね。

八幡神社の隣の尾根には、蒲生神社。主祭神は、宇都宮出身の学者、蒲生君平。学者が祀られていることから、学問成就の神社として信仰されているようです。せっかくなので、レフリー論文がたくさん通るようにお参りしてきました。通れ~。

ここには、宇都宮出身の初代横綱、明石志賀之助も祀られています。郷土の偉人を神として讃える趣旨の神社のようです。

境内にはいくつか不思議なものがありました。ジャンボすべり台の残骸とか。

参道入り口の鳥居の下には、謎のキャラクター。これは、なんでしょう? 台座が賽銭箱を主張しているのも、ちょっと意味がわかりません。「學」って書いてあるのは、学問の神社をアピールしているんでしょうけれども。

ただ、背後に回ると、「夢」って字を背負っています。意味がよく分かりません。

このキャラクターが何なのか、ご存じの方がいましたら、教えてください。
(※2018年10/6追記)
このキャラクター、分かりました。中国の「貘」を模した「夢福神」というキャラクターでした。悪い夢を食べて良い夢を与えてくれます。栃木県内に夢福神は9体あるそうで、「九難除け」として巡るそうです。特に蒲生神社は「学業成就」を担当しているとのこと。いやあ、偶然にも私がいちばん求めている福だったぞ。ああ、すっきりした。

(2017年8/29訪問)

【茨城県水戸市】回天神社に幕末水戸藩の悲劇を見た

 水戸は何度か訪れていて、メジャーどころは一通り回っているので、今回は行きそびれていたところを廻ってみました。

 ということで、回天神社。幕末に国事のために命を落とした水戸藩士が中心となって祀られている神社です。幕末の水戸藩では極めて陰惨な殺し合いが続く(そしてそれは日本全体に及ぶ)のですが、その犠牲となった霊を鎮める神社ですね。

 境内にはずらりと殉難志士の墓が並んでいます。これだけの人間を死に追いやるまでに至った「水戸学」の思想というのは、一度きちんと体系的に押さえておかないといけないなと、改めて思いました。「今こそ水戸学を学ぼう」と主張する人々が定期的に現れるけれど、この思想を原理主義に信奉することが政府転覆実行に繋がり、極めて多くの有望な若者を死地に追いやったという事実は、重く受け止めるべきだと思うな。

 回天神社の鳥居。「回天」という名前は、個人的には人間魚雷回天という形で知ったんだけど(人間魚雷回天は靖国神社に展示されている)、もともとは水戸学の学者である藤田東湖の『回天詩史』という書物の名前が由来ですね。藤田東湖が生きていたら、水戸学原理主義過激派を押さえることはできたのかなあ。

 ここで思い出したのは、2012年5/19に茨城県鹿嶋市の史跡「天狗党の墓」に訪れたこと。とても良く晴れていた日だったのに、この天狗党の墓周辺は薄暗く沈んでいたのが印象深かったです。茨城県各地に、こういった幕末殉難志士の史跡が残っていますね。下はその薄暗い写真。

 回天神社には「常磐共同墓地」が隣接していて、ここに有名な学者がたくさん眠っています。たとえば時代劇の水戸黄門で「格さん」として知られている安積澹泊の墓。ドラマでは武闘派として描かれているけれど、もちろん本物は歴とした学者です。

 墓地の奥の方には、藤田東湖の墓。この人が生きていたら水戸藩の動きが変わり、ひいては日本の幕末の命運が大きく変わっていたのではないかと思うにつけ、つくづく残念な気持ちになる。

 思い出すのは、2013年3/11に水戸を訪れたときに見た東湖神社の光景。なんと東湖神社の境内で猿回しをやっているという。まあ、猿回し自体はいいんだけれども。藤田東湖の業績が地元民にちゃんと伝わっているのかどうか、不安になる事案ではある。下の写真は、東湖神社の境内で猿回しの後片付け中の図。

 また回天神社には、保和苑が隣接しています。こちらは散歩に気持ちいい日本庭園。かなり広い敷地で、若者がスケボーの練習をしていたりしました。

 ところで、水戸城大手門が復元整備中らしいですね。

 まだまだ基礎工事もこれからという感じですが、平成31年には完成ということで、楽しみです。また水戸には遊びに行きたいと思います。
(2017年8/28訪問)

【神奈川県湯河原市・真鶴町】温泉は素晴らしいね!+子宝パワースポット

一泊で温泉に浸かってきました。熱海と湯河原は、東京からだと絶妙な近さで、素晴らしいね。

あと、行こう行こうと思いながらなかなか行けていなかった、真鶴岬の先っちょにも行ってきました。やっぱり先っちょはいいね。先っちょには行きたくなるよね。

温泉宿は、湯河原駅からバスで15分くらい。バス停の目の前。

露天風呂、男湯の方はほぼ貸し切り状態。女湯のほうは混んでいたようですが。

宿泊した「水の香里」は、お料理も大満足で、コストパフォーマンス的にも文句なしで、ゆったり楽しんできました。

近くの万葉公園には清々しい散歩道が用意されていて、気分良くリフレッシュできます。湯河原いいなあ、日帰りでもこられる距離だし、また来よう。

お昼は熱海の温泉宿デイユースで貸し切り露天風呂。「湯宿一番地」の貸し切り露天風呂は、値段の割にゆったりできる度は極めて高かったです。駅からも近いし。素晴らしい。

貸し切り露天風呂では、家の風呂はできないようなことにもいろいろチャレンジできて、素晴らしいね。文化の極みだね。

で、真鶴には子宝パワースポットがあるということで、お参りにし行ってきました。「子之神社」と書いて「ねのじんじゃ」と発音します。

本堂の両脇にある左右一対の狛犬は、全国でも唯一ではないかと言われているらしい「子連れの狛犬」です。左側の母親狛犬が抱いている子犬を撫でれば「子授け・安産」の御利益、右側の父親狛犬が背負う子犬を撫でれば「無事成長」の御利益があるとのこと。

お参りの仕方が、二拍手ではなくて四拍手というのが意外でした。四拍手というと出雲周辺の神社の仕来りという印象が強いのですが、子之神社は出雲系と何か関係があるのでしょうかね?

また、「祈りの石 美女石」なるパワースポットもありました。

女陰の形をした石ということで、本社に夫婦そろってお参りした跡、夫がこの石をまたげば子が授かる御利益があるとのことです。なるほど、じっと見ていて、だんだん女陰に見えてきたのは、きっと暑さのせいではない。どどんと跨がってきました。御利益がありますように。

近くにある荒井城址にも、階段を登って行ってみました。公園として整備されていて、遺構は確認しにくかったなあ。階段を振り返ると視界に入ってくる海の景色は、夏の陽射しにギラギラ照らされて眩しかったです。(2017年8/24~8/25訪問)

鵜殿の野望【第二章】鵜殿氏一門の墓

 鵜殿氏一門の墓は、鵜殿城の隣の山にあります。(2016年8月訪問)

「鵜殿氏一門の墓」の案内板

 一門の墓の脇にある案内板では、鵜殿氏の履歴がなかなか詳しく解説されています。熊野大社に深く関わっていた海賊だということが分かりますね。
 一門の墓自体は、貴弥谷社という神社にあります。ちなみに貴弥谷社は、社略記によると、熊野神が2500年前に神倉山からこちらにお移りになった神社だそうです。その貴弥谷社は、極めて行きにくいところにあります。

 貴弥谷社にたどり着くためには、中学校の校庭を経由しなければいけません。本当に大丈夫かと多少の不安を抱えながら学校の校庭を抜け、階段を登ると、いきなり熊野古道のような山道に入ります。人の気配は一切なく、鳥の鳴き声だけが響き渡ります。かなり登ったところに鳥居が見えてきます。

貴弥谷社の鳥居

 静かな山の中で、とても落ち着きます。真夏の猛暑日に行ったのですが、ここは不思議と涼しかったです。熊野三山はどこも観光客で溢れていますが、ここは隠れた癒やしスポットだと思います。

鵜殿氏一門の墓

 これが鵜殿氏一門の墓。地元の方が綺麗に管理してくれています。熊野の鵜殿氏自体は大坂夏の陣で滅びてしまったのに、たいへんありがたいことです。しっかりお参りしてきました。

鵜殿の野望シリーズ

【第一章】鵜殿城という城がある
鵜殿一族は、平安時代に紀伊半島の熊野大社に関わる海賊として頭角を現します。

【第二章】鵜殿氏一門の墓
大坂夏の陣で滅びた鵜殿一族の墓を、現在も地元の人が大切に管理してくれています。

【第三章】上ノ郷城で徳川家康と戦う
鵜殿一族は、戦国時代に今川義元配下の武将として頭角を現し、徳川家康と死闘を繰り広げます。

【第四章】桶狭間の合戦で何をしていた?
桶狭間の合戦においても、鵜殿氏は重要な役割を果たしています。

【第五章】蒲郡に君臨する鵜殿一族
愛知県蒲郡市には、鵜殿一族が構えた城の痕跡がいくつか残されています。

【第六章】吉田城と鵜殿兵庫之城
鵜殿氏は、徳川家康との戦いの末、愛知県豊橋市に残る吉田城にも立て籠もります。

さらに続く。刮目して待て??