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【要約と感想】沢山美果子『近代家族と子育て』

【要約】いま私たちが当たり前と思っている家族の形は実はつい最近になってから新中間層の台頭に伴ってできあがったものですが、そういうことを改めて暴きたいのではなく、男女関係や子ども観に埋め込まれた矛盾を浮き彫りにしながら、近代家族という観念が人々の生き方にどう関わったかを明らかにします。
 近代家族という観念は、女性に対しては家庭の中で子育ての責任を一手に背負わせ、男性に対しては資本主義社会の競争圧力によって自己実現を阻み、子どもに対しては「純真無垢」という空想的観念を当てはめながら学歴競争に曝します。様々な矛盾を外部から隔離された近代家族内に押し込めることで、国家と資本主義は展開していきます。

【感想】とてもおもしろかった。序章では近代家族研究史のレビューを踏まえて研究の目的を明確にし、本章では具体的な事例を軸に過不足ない分析を手際よく施し、終章で成果を明確にして現代的意義を述べる。学術的な著述のお手本のような展開で、感服した。
 まあ、数の上では少数だった新中間層が近代家族のモデルを第一次世界大戦後あたりから形成し始め、その核家族の理念型が高度成長後に広く一般化し、専業主婦が学校の下請けとして専門家の言説に影響を受けながら子育てを一手に担い始め、男性が資本主義の競争圧力の中で疎外されていったというストーリーは、様々な文献から摘まみ食いしてなんとなくアカデミズムの中では共通見解になっているような印象を持ってはいたが、やはり元祖の論文をしっかり読んだほうが分かりみが深い。

【個人的な研究のための備忘録】人格
 新中間層が社会から家庭を隔離しながら純粋無垢な子どもを教育しようと意志するところで「人格」という言葉が連発されていた。

「では、鳩山にとっての教育とは、どのようなものか。それは、「人格の完成」を目的に、「隔離」された教育的世界のなかで、子どもの「頭脳を明晰にする」ことであった。」106頁
「彼女たちの育児の目的は「子供の人格をつくる」(鳩山)「人格の完成、換言すれば人間として生きる為の最善の道を会得する」(田中)ことに置かれた。(中略)その目的とする「人格の完成」とは、自由=個人の解放と独立=個の自覚にあり、個人の解放とこの自覚を実現することが、この社会を「よりよく」生きることにつながるのであった。
 「人格の完成」という教育目的のために「生活全部が教育」(田中)となる。」196頁

 「人格の完成」という教育目的は、もともと新中間層に特徴的なものというよりは、ヘルバルトあたりからT.H.グリーンあたりにかけてのゲーテ的なロマン主義に影響を受けていたであろう教育学者・倫理学者によって主張されていた。あるいは「無垢な子ども」という概念も、ロマン主義的な傾向を素直に引き継いだものだ。それが大正期の新中間層の子育て観(日本に限らない)にダイレクトに反映しているのは、伝統的な共同体から「個」を引き離したいという資本主義社会における適合的な身振りに完全に噛み合っているからなのだろう。教育の目的が「共同体の中で特定の役割を果たすことができる」ではなく「人格の完成」となっているのは、教育学の論理内から自明に導き出せることではなく、もちろん近代家族の論理内から自明に導き出せることではなく、共通の背景となっている資本主義社会の論理が決めたことだ。

【個人的な研究のための備忘録】裁縫
 明治前期から中期にかけての裁縫教育を調査しているところで、本書の趣旨とはまったく関係ない記述だが、見つけたのでメモしておく。

1902年『東京市養育院月報』21号、「将来如何なる人にならんと思ふか」という教師の問いに、尋常科1年38人中4人が「裁縫教師」と答えている。(137頁の表1)

沢山美果子『近代家族と子育て』吉川弘文館、2013年

【要約と感想】濱貴子『職業婦人の歴史社会学』

【要約】大正から昭和戦前期の「職業婦人」に関して、各種統計から量的に、雑誌記事から質的に検討しました。量的には一貫的に女性就業者は増加し、特に第三次産業に従事する女性が目立ちましたが、行政は職業婦人を低賃金で周辺的位置づけと見なし続けました。マス段階に入った女子高等教育機関の卒業者については、マス段階の農村部では就職率が下がって良妻賢母化が進みましたが、都市部では第三次産業で職業婦人化が進みました。
 女性向け雑誌では、対象読者によって職業婦人の描かれ方が異なり、時期によって重点が変わります。同じ職業婦人といっても、主婦として内職で家計補助のために働くか、結婚までの腰掛修行か、社会的自立を目指すか、読者の出身階層と時期によってニュアンスが異なります。1920年代には職業婦人は公領域(政治経済)で男性労働や参政権との関係で語られがちだったのが、1930年代以降は政治経済から排除されて私領域(家庭)で良妻賢母の概念に包摂されてきます。この歴史的経緯は、戦後の日本社会でも大きな影響を持ち続けています。

【感想】勉強になった。おもしろく読んだ。個人的には1900年前後の女性就労状況を知りたかったので、直接的にその興味に応えるものではなかったものの、1920年代~30年代の実相と問題についてはよく分かった気になった。公領域から私領域への移行という分析軸にも説得力を感じた。そして実は職業婦人の語られ方だけでなく、「子ども」についても同じような語られ方の変化があったのではないかという直感がある。子どもの教育を公領域で語るスタイルから、私領域で語るスタイルへの変化。つまり「家族」とか「家庭」というもの全体の問題に連動しているということだろう。
 また裁縫の技術がどれほど女性の経済的自立に結びつくかも読み取りたかったのだが、1930年の段階でもやはり裁縫技術はほとんど家庭内の衣料調達で完結していて、大規模に市場化されている様子は伺えなかった。少数ながら「被服裁縫業主」や「裁縫工」が内職・副業に絡んで言及されていて、換金の手段として認知されていることは分かった。このあたり日本に特殊な現象ではなく、全世界的にも事情を同じくしているような印象はある。

【個人的な研究のための備忘録】人格
 個人的に進めている渡邊辰五郎の研究にも関わって、「人格」という言葉に反応する。

「戦前期の女子高等教育における「人格」教育の重視という教育理念も「良妻賢母」の養成と矛盾するものではなかった。この点について、天野正子(1986)は、「「知的」教育よりも忍耐・努力・克己の精神といった「人格」教育を、知育よりも徳育を重視する立場が、高等女学校の教育を支配した「良妻賢母主義」と矛盾するものではなく、むしろそれを補強するものであった」と指摘している。」11頁

 この文脈で言う「人格」とは、カントが言うような独立した責任主体としての人格という意味ではなく、ただ単に儒教的な道徳性を身に付けたことを意味している。「忍耐・努力・克己の精神」は、カント的人格とは何の関係もない。それが悪いということではなく、本来はドイツ観念論(あるいはロマン主義)的なものとして入ってきた「人格」という言葉にすぐさま儒教的なニュアンスが流れ込んでいき、ただの儒教的道徳性陶冶のことを「人格教育」と呼ぶようになったという事実について確認しておきたい。そして渡邊辰五郎が裁縫教育に「人格教育」を見出していたのは、どういう意味なのか。

東京市社会局(1924)『職業婦人に関する調査』「此等の職業婦人(むしろ婦人労働者と目すべきものもある)は労力に対する報酬は最も低廉で剰へ人格を無視されてゐる事は今更云ふまでもない。」
東京市社会局(1931)『婦人職業戦線の展望』「人格を認められたい」

 ただし職業婦人が自ら残した「人格」という言葉には、「人間の尊厳」という意味が込められているように見える。記憶しておきたい。

濱貴子『職業婦人の歴史社会学』晃洋書房、2022年

【要約と感想】フランチェスカ・トリヴェッラート『世界をつくった貿易商人―地中海経済と交易ディアスポラ』

【要約】イタリア発の歴史学ミクロヒストリアが果たすべき役割は、マクロヒストリーとの関係から考えれば極めて重要です。具体的には商業資本主義の発展過程について決定的に重要な知見を与えてくれます。たとえばマクロヒストリーの文脈では、ユダヤ人とアルメニア人は祖国を追われて世界中に離散(ディアスポラ)しつつ民族的一体性を土台に世界的商業の発展に貢献してきたと理解されてきましたが、ミクロヒストリアの知見からすれば婚姻や契約の形態のような内部的な構造の違いが大きく、乱暴に結論を出すべきではないということが分かります。

【感想】誤字が多くて訳もこなれておらず少々読みにくかったけれども、巧遅よりも拙速を重んじるべき分野と内容のようにも感じたのでこれでいいのかもしれない。

 本書を手に取ったのはルネサンスと資本主義(あるいは民主主義)の関係を深めたい(イタリア都市が果たした役割など)という理由からで、その期待には予想以上に応える内容だった。資本主義といっても産業資本主義ではなく商業資本主義に限られるが、レビューが豊富でヨーロッパの経済史の最前線動向が分かったような気になっている。さすがに最先端の経済史的議論の内容にはついていけてないが、この領域で何を具体的な問題としているかは仄かに理解した。
 伝統的には、資本主義の離陸・発達は家族的経営(親密な関係を前提とする)から企業的経営(自由な契約を基本とする)への転換が鍵を握っていると理解されているが、その問題意識は現代でも引き継がれている。そこで具体的には合名会社(原始的な無限責任)から合資会社(有限責任によって自由な契約を促進)への発展過程が検討の対象となり、ルネサンス期イタリア商業都市が格好の史料を提供する。合名会社から合資会社へ転換しているとすれば、親密性を前提とした経営から自由な契約へと脱皮している証拠となり、資本主義が発達している指標となる。特に祖国を失って世界各地に離散(ディアスポラ)したユダヤ人が組織的に発展させたと考えられてきた。
 が、著者はそのストーリーに異議を申し立てる。商業書簡という具体的な資料を用いて、実はルネサンス期のユダヤ人たちも完全に自由な契約を活用して商売を繰り広げていたわけではなく、「信頼」を確認・確保するために前近代的な手段に依拠していたことが明らかになる。ユダヤ人たちが法的なサンクションを利用できない(つまり民法的な自由契約を全面的に採用できない)ことが側面からの支援となる。ということで、ルネサンス期イタリア商業都市に資本主義の萌芽を見ることについては、一定の留保をつける必要がある、ということになる。

 となると、ここからは教育学に関心を寄せる個人的な感想に過ぎないが、やはりルネサンスは近代というよりは中世的な枠組みで捉えておいたほうが無難ということになるかもしれない。というのは、本書の知見を踏まえれば、自由な契約を土台とした経済発展は「民法による契約の保護」が確保されているところでしかありえず、それはつまり「国民国家の後ろ盾」が重要であることを示唆する。中世において国民国家の保護がないところでサンクションを発動する仕組みは主に地方領主権力と教会権力に頼っていたのだろうが、世界を股にかける自由貿易では頼りなさすぎる。近代国民国家は商業的なサンクションを保障する期待を担って膨張してきた感がある。だとしたら民法・商法の整備が極めて重要な話になってきて、西欧の場合はもちろんフランス革命およびナポレオン法典が分水嶺となる。イタリア・ルネサンスは、各都市の軍事力を背景としてサンクションを保障しており、それが前近代的地中海貿易の規模では機能していたとしても、果たして大航海時代後の大西洋貿易や産業資本主義の規模には対応できたか。
 それを踏まえると、イタリア・ルネサンスの「人文主義」についても、宗教から人間を解放した近代性(世俗性)を見るよりは、むしろ科学的な唯物論に対する反動として理解するほうが適切なのかもしれない。問題は「ラテン語」の扱いになる。もちろんイタリア(ペトラルカやダンテ)であればラテン語はただの古語なので馴染み深いだろうが、エラスムスのようにオランダを根拠としたインターナショナルな学者がラテン語で書かなければいけない本質的な理由はなんなのか。エラスムスなどルネサンス期人文主義者が大航海時代の時代的熱狂に対して冷淡に見えるのはどういうことか。また本書は人文主義者がオスマン・トルコに剝き出しの敵意を示していたことを強調しているが、それは彼らが世俗性に対して反動的だったことの証拠になるのかどうか。
 しかしそれはもちろん即座に人文主義が中世的ということを意味しない。本質的には大航海時代がもたらした広範な俗物主義的堕落に対するカウンターとして、従来の宗教的禁欲主義に期待することができず、新たな対抗馬として「人文主義的」な高踏性を持ち出してきたということなのではないか。プラトンやキケロ―は、キリスト教がなかった時代にも俗物主義に陥らず高踏性を保ったところが尊かった、とみなされたのではないか。そうなると「科学的唯物主義」と「人文主義」の関係は、脱宗教の共犯者というよりは、近代におけるライバルとみなすべきものとなる。そうなればペトラルカやエラスムスがアリストテレス主義(科学的唯物主義)に対して冷淡だったのも首肯できる。逆にアリストテレス主義(もっと言えばエピクロスの徒)にとっては、宗教勢力だけでなく人文主義も敵陣営に属していることになる。しかし宗教勢力にとってみれば、人文主義はかつての自分たちのポジションを奪いかねない強力なライバルということになる。人文主義の内部にしても、宗教に近いか世俗主義に近いかで立ち位置はまったく変わってくるのだろう。

 まあ本書とは関係ないことをいろいろ考えたが、インスピレーションが湧いてくる本だった、ということだ。

フランチェスカ・トリヴェッラート『世界をつくった貿易商人―地中海経済と交易ディアスポラ』玉木俊明訳、ちくま学芸文庫、2022年

【要約と感想】マキアヴェッリ『フィレンツェ史』

【要約】イタリア半島の都市国家フィレンツェの、ローマ帝国滅亡(5世紀)から1492年までの歴史を描きました。フィレンツェ以外のイタリア半島の諸勢力(特にミラノ公国、ナポリ王国、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ローマ教皇)の動向にも目を配りつつ、フィレンツェ内の党派争いを詳述しているのが類書と異なる著しい特徴です。

【感想】ところどころにマキアヴェッリ節(目的のためなら手段は選ばない)が垣間見えて、単純に読み物としても面白い。ただ、訳者によるツッコミを見ると、単なる事実誤認もかなりあるようで、そのまま歴史的事実として受け取るのには気をつけた方がよさそうだ。

 歴史的に事実かどうかはともかく、面白く読めるのが、市内の党派争いに勝つためなら市外の敵と組むことも厭わない事件が連発する、一般的に言われる「内憂と外患が連動する」というメカニズムがよく分かるような、フィレンツェ市内の党派争いの醜さだ。まさに「目的のためなら手段は選ばない」というマキアヴェッリ理念を体現したような醜さで、しかも前書きから察するに、マキアヴェッリは意図的にこの醜さを強調するように全体を構成している。自身が権力闘争の渦中にいたマキアヴェッリとしても、度しがたい連中だと心底苦々しく思っていたのだろう。
 そして本書を踏まえると、『君主論』や『ディスコルシ』の表現の背後にあるものもなんとなく見えてくるような気がするのだった。

【今後の研究のための備忘録】有機体論
 都市を一つの「人体」に喩えている議論をサンプリングしておく。

「祖国に対して武器を取るのを、どんな理由からであれ、非難する者はいないでしょう。なぜなら、都市はいろいろな部分からなるとはいえ、一個の人体に似ているからです。都市には、鉄と火なしには治せない病いが幾度も生じますが、都市にたいへん不幸な事態が多発して鉄が必要になった際、祖国に忠実な善人が都市を治療せずに放置するとしたら、その人は間違っているのです。こういうわけですから、共和国という一個の人体にとって、隷属よりも重い病いなどありうるでしょうか?」第5巻第8章

 都市国家(ポリス)を一つの人体に喩えるのは、もちろんプラトン『国家』の伝統を踏まえたものであり、その観点から言えば極めて人文主義的な議論ではある。が、これがフィレンツェ自体を攻撃することを正当化するレトリックに使われているのが、なんともいやはやな議論だ。

【今後の研究のための備忘録】ペトラルカ
 ペトラルカは、もちろん教科書的にはイタリア人文主義の嚆矢と位置付けられる詩人であり、マキアヴェッリを200年遡る人物だ。マキアヴェッリがペトラルカに触れているところはサンプリングしておく。

「彼に期待を抱かせたのは、とりわけ「この手足を支配する崇高な精神」で始まる、ペトラルカの詩の数行であった。詩人はこう歌う。
 タルペイアの丘の上で、歌よ、汝は出会うであろう
 全イタリアが讃える一人の騎士
 わが身よりも他人の身を案じる者に
 ステファーノ殿は、詩人たちが神々しい予言者の精神にしばしば満たされるのを知っていた。だから、ペトラルカがこの歌の中で予言したことを何としても実現しなければならない、そしてそのような栄光に満ちた事業を成し遂げるべき者は自分である、と思ったのである。」第6巻第29章

 ペトラルカは古代ローマ賛美を通じてイタリア・ナショナリズムを浮上させたと見なされている。それが近代的なナショナリズムとどれくらい同じでどれくらい隔たっているかは丁寧に検討する必要があるが、この引用箇所でマキアヴェッリはペトラルカをイタリア・ナショナリズムを体現する詩人として扱っている。日本で言えば頼山陽の日本外史が幕末の志士たちを鼓舞したのと似た現象なのだろう。

【今後の研究のための備忘録】フィレンツェの人文主義
 コジモ・メディチがフィレンツェの人文主義を保護した記述をサンプリングしておく。

「コジモは、さらに文人を愛し、賞讃した。そこで彼は、ギリシア生まれで当時最高の教養人であったアルギュロプロスをフィレンツェに招聘したが、それは、フィレンツェの若者がこの人からギリシア語やそのほかの学識を習得できるようにするためであった。プラトン哲学の第二の父であり、彼が熱愛したマルシリオ・フィチーノの生活の面倒を自宅でみた。そして、マルシリオがより快適に学問の研究に打ち込めるように、またより気楽に使うことができるように、カレッジの別荘近くの土地と家屋を贈った。」第7巻第6章

 ここにフィチーノの名前が挙がり、「プラトン哲学の第二の父」と言われていることは気に留めておきたい。

【今後の研究のための備忘録】ひろゆき
 ひろゆきがもてはやされる風潮が分析されていた。

「多くの場合は平和なときに生じがちな災厄が、この都市に起きた。というのは、通常よりも束縛のなくなった若者たちが、衣服や宴会やそのほかの同様な放縦に常軌を逸した浪費をおこない、暇をもて余しては賭け事や女に時間と資産を空費したからである。かれらの努力は、華麗な衣服や、利口ぶった抜け目ない話しぶりをみにつけることにあった。他人をうまくへこますことのできる者が、より利巧とされたし、より高く評価された。」第7巻第28章

 人間の性は、洋の東西や歴史の違いに関わらず、そんなに変わらないということか。

【今後の研究のための備忘録】印刷術
 印刷術が宣伝合戦に活用された事例が記述されていた。

「教皇は狼であって羊飼いではないことが明らかになったので、在任として貪り食われてしまわないように、ありとあらゆる手段を使って自分たちの大義を正当化し、自分たちの国家に対して為された背信行為をイタリア全体に周知させた。」第8巻第11章

 ここに「フィレンツェ人は、モンテセッコの告白録を導入されたばかりの活版印刷によって刊行し、ここに正真正銘の文書合戦が始まった」と註が付されている。これが1478年のこと。グーテンベルク活版印刷の発明が1450年頃のこととされているので、本当だとしたらまさに直後の出来事だ。活版印刷を使用したプロパガンダ合戦はルター以後の宗教改革の事例がよく知られているが、これはもちろん1517年以降のことになる。宗教改革プロパガンダよりも40年早くイタリアの勢力争いで活版印刷が利用されていたことは気に留めておきたい。

マキアヴェッリ『フィレンツェ史』(上)齊藤寛海訳、岩波文庫、2012年
マキアヴェッリ『フィレンツェ史』(下)齊藤寛海訳、岩波文庫、2012年

【要約と感想】ウィンストン・ブラック『中世ヨーロッパ―ファクトとフィクション』

【要約】中世ヨーロッパに関して、誤解と偏見に満ちた大間違いのイメージが広く流布しています。しかし人が言うほど中世ヨーロッパは「暗黒時代」ではありません。何が真実の中世ヨーロッパだったのか、一次史料を踏まえてお見せしましょう。

【感想】ことさらカトリックを貶めてやろうとするプロテスタントや啓蒙主義者によって中世ヨーロッパの姿が酷く歪んで喧伝されたのは、日本においても明治政府が徳川幕府をことさら貶めてやろうと過剰に「士農工商」や「鎖国」を強調したのと同じ力学が働いている。
 しかし事態がややこしいのは、確かに一方に中世をこき下ろす主張があるのに対して、過度に中世を持ち上げる主張もあるところだ。本書の解説でも指摘されているが、本書の著者が中世研究者ということもあって、筆が滑っているところが実際にあったりする。本書に限らず、たとえばルネサンスをどう評価するかという問題でも、中世を賛美する論者は中世からの連続性を強調するし、近代を賛美するものは中世との断絶性を強調する。ドイツ法学の世界でも、古代との連続性を重視するローマ派と、中世との連続性を強調するゲルマン派があったりするのを連想する。
 もちろん日本でも、江戸時代に対する評価は、そのまま近代の連続性と断続性のどちらを重視するかという立場の違いに直結するし、それはそのまま日本資本主義発達段階をどう理解し、現実の課題をどう設定するかというお馴染みの問題へと連なる。
 ともかく、歴史のストーリーをどう描くかという立場に様々あれども、まず一次史料を押さえておくことの大切さが極めてよく伝わってくる本だった。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスとペトラルカ
 ルネサンスとペトラルカについての言及をサンプリングしておく。

「中世を歴史上の一時代と特定することは、ヨーロッパの思想家たちが、遠く離れたギリシアやローマの過去に高い価値を置き、自分たちの生きる時代や直近の時代をさかんに貶すことではじめて可能になった。これが生じたのは、十四世紀と十五世紀のイタリアにおいてである。この時代はやがて、古典文化の「再生」を成し遂げたとみなされる「ルネサンス」として知られるようになった。この歴史区分を行った最初の著述家の一人はフランチェスカ・ペトラルカである。」23頁

 日本で言うと本居宣長のような人を想起させるような話ではある。

ウィンストン・ブラック『中世ヨーロッパ―ファクトとフィクション』大貫俊夫監訳、平凡社、2021年