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【福島県会津若松市】会津藩校日新館、ならぬことはならぬものなのか

 「日新館」は、藩校です。
 藩校というのは江戸時代の学校ではありますが、現在のように誰でも通える学校ではなくて、武士しか行けなかった学校です。農民が藩校で勉強することができないのはもちろん、武士の内部でも身分によって扱いに差が出るのは当然のことでした。
 そして江戸時代の教育に関して一般的にあまり理解されていないのは、江戸幕府が日本全国に統一した教育体制を敷いていたわけではないということです。実際には、各藩が人材養成のために独自に教育を行っていました。(幕府から独立して行っていたのは教育だけではありませんが)

 そして会津藩の「日新館」は、教員採用試験にも出てくるレベルの重要な藩校です。上の写真は、日新館に入る南門。

 案内板には日新館の概略が説明されています。実はもともと今の場所にあったのではありません。本当は鶴ヶ城の近くに建っていたのですが、現在は場所を移動して復原されています。

 会津藩校日新館が有名なのは、「什の掟」があったからです。「什」とは仲間という感じの意味です。ここで「弱い者をいぢめてはなりませぬ」という掟が定められており、現代のいじめ問題を考える際のヒントとして引用されることがあります。

 ただ、「ならぬことはならぬものです」という強い掟が、後に会津藩の融通の効かなさの原因となり、幕末の悲劇に繋がってしまったかもしれません。なかなか難しいものです。

 門の脇には、山川健次郎の銅像が建っています。

 山川健次郎は実に立派な学者でした。専門の物理学で業績を残しただけではなく、東京帝国大学の総長として高等教育の世界でも活躍し、さらに幕末には国賊とされた会津藩の復権にも奔走しています。

 さて、南門から日新館の中に入り、戟門の中から北側を臨むと、中庭の向こうに大成殿が見えます。大成殿の右奥はるか彼方に磐梯山が見えます。

 案内板にもあるように、大成殿は儒教の祖である孔子を祀る宗教施設です。「學」の校というものが、現在のように単なる知識伝授の施設ではなく、本質的に宗教的な施設であったことを象徴する建物と言えます。

 大成殿の内部。孔子像の前には、儒教を代表する宗教儀礼が再現されています。

 大成殿は宗教施設であって、そこで儒教は行われません。戟門から東側の長屋で授業が行われていたようです。日新館ではリアルな人形によって授業の様子が再現されています。素晴らしい。まずは「素読(そどく)」が儒教の基礎基本ですね。

 天文地理学も学びますが、単に科学的な知識だけでなく、宗教的な「うらない」や「暦」のためにも必須な素養となりました。

 知識だけでなく、実践的な礼儀作法も学びます。

 儒教という中国由来の学問だけでなく、神道や和歌なども学んでいたようです。「神道寮」の案内板に書いてある「垂加神道」というものが、会津藩や日新館の性格を考える上では重要かもしれません。

 垂加神道を提唱したのが、山崎闇齋という学者です。日新館内に石像が建てられて顕彰されています。

 案内板には山崎闇齋を「儒学者」と書いていますが、「垂加神道」の主唱者ということは記されていないですね。闇齋が会津松平家初代当主・保科正之に招かれて教育に当たっていることは、なかなか興味深いところです。
 垂加神道は強烈な尊皇思想で貫かれており、水戸学等にも影響を与え、幕末には倒幕に繋がる尊皇思想の背景となります。佐幕の中心的存在であったはずの会津藩の出発点に、実は倒幕の種が撒かれていたことは、なかなかの皮肉です。

 日新館にはプールもありました。

 案内板によれば、日本で初めて造られたプールだそうです。

 天文台跡に登って、日新館を見下ろすの図。鶴ヶ城と同じく茜瓦で葺かれていて、とても気持ちのいい空間になっています。本来あった場所だったら、鶴ヶ城天守閣が見えるんですけどね。

 日新館敷地内では、自動販売機も日新館モードになっていました。やはり「什の掟」を推しているようで。
 現代の教育とはまったく異なる近世の「學」に想いを馳せつつ、日新館を後にするのでした。
(2014年9月訪問)

【栃木県足利市】足利学校は日本最古の学校じゃないよね?

栃木県足利市の足利学校に行ってきました。
ちなみに足利学校、観光案内等では「日本最古の学校」と言い切っちゃっているけれども、本当に「日本最古の学校」かどうかは、極めて怪しいところです。というか、どう考えても「日本最古の学校」のはずはないので、特に教員採用試験を受ける人は誤解しないようにしておきましょう。「日本最古の学校」なんていい加減なキャッチフレーズを垂れ流さなくても、足利学校の価値が下がることはないのになあ。

さて、足利学校には門が3つあって、まずは一つ目の「入徳」の門に入ります。入徳門の先は有料エリアになっています。

さすが足利学校、マンホールの蓋にも「學」の字が刻まれています。

ちなみに足利市の町中のマンホールの蓋は、足利学校の「學校」の門がデザインされています。

さて、入校料を払って「杏壇」の門を抜けると、いよいよ「學校」の門が見えます。

白梅と紅梅の花が綻んでいて、春らしく気持ちよい気分になります。

「學校」の扁額。かっこいい。

学校門の案内板がありますが、ここは個人的には「学校」ではなく「學校」でいってほしかったところ。というのは、「學」と「学」は、単に形が違うだけではなく、意味が違ってくると思っているからです。そういえば古谷野敦も「芸」と「藝」の違いにこだわっていたけれども。

學校門を抜けると大成殿が見えます。ここには孔子と小野篁が祀られています。祀られているということは、宗教施設です。
この宗教施設が、近代学校と中世學校を分ける具体的な要素になってくると思います。つまり、「宗教的な背景」があるかないかが、「學」と「学」の違いに繋がります。中世の「學」には、宗教的な背景が色濃くまとわりついています。足利学校は、そのことがよく分かる、素晴らしい史跡となっています。

足利学校の創設者と言われる、小野篁の像。小野篁には様々な伝説がこびりついていて、足利との接点も皆無ですし、足利学校の創始者という伝説もかなりの眉唾ではありますが、いちおう一つの説として完全否定はできないという。まあ、伝説でしょうけれど。
が、気になるのは、小野篁創始者説と「日本最古の学校」というキャッチフレーズの整合性をどう考えているんだろうというところ。もしも小野篁が創設者だとすると、完全に足利学校は日本最古の学校ではなくなってしまうんですね。というのは、「日本最古の学校」とされる根拠は奈良時代の「国学」の遺制だったということなんですが、小野篁が創設者としたら奈良より後の平安時代に創建ということになってしまいます。小野篁創始者説と「日本最古の学校」というキャッチフレーズは、両立しないんですね。

ただ、「日本最古の学校」との絡みで問題になるのは、孔子像や孔子廟 との関係です。

大成殿には孔子の像も祀られており、「孔子像」としては日本最古である可能性があります。もしも学校が単なる教育施設ではなく、宗教的な儀式も行う「學」の校であるとすれば、足利学校は日本最古の「學校」ということになるかもしれません。日本最古の学校ではなく、日本最古の學校。

「学」と「學」の違いは、足利学校で行っていた実際の教育課程に明確に表れています。中世の教育課程がしっかり保存され、展示されているのが、極めて価値が高いところです。

(※2021年2/25追記 2/24の最高裁大法廷、那覇市の孔子廟をめぐる政教分離訴訟にて、孔子廟が宗教施設であると判断されました。教育史的に言えば孔子廟は間違いなく「學」の施設ですし、大雑把に言えばそれは宗教施設に当たります。が、現代における役割については地域の具体的な状況を鑑みて判断する必要がありますし、歴史学的に言えば「宗教」という言葉が西洋の翻訳語であって東洋における「教」とは概念の範囲が大幅にずれていることを踏まえる必要もあります。)

教育は、宗教施設である大成殿とは別の建物で行われます。

足利学校では儒教が教えられていましたが、中でも「易経」が重視されていたことが強調されています。この「易経」とは、いわゆる「うらない」というものを体系化したもので、儒教の体系の中でも最も神学的な背景を持つものであるように思います。神学的な背景を持つからこそ、単なる合理性を超えていく、学問の中でも一番の奥義でもあったわけです。この奥義を修得することが、足利学校で学ぶ最大の意義であったろうと思います。このあたり、近代以降の教育とはまったく方向性が違っていることは、前近代の「學」を考える上で極めて基本的な観点になります。あるいは、江戸期に新井白石や伊藤仁斎や荻生徂徠などが合理化した儒教とは、大きく異なっていることは忘れてはいけません。「學」の校とは、我々がイメージするような近代的な教育機関である「学校」とは違って、宗教的な背景を持つ機関なわけです。

さて、私が「日本最古の学校」というキャッチフレーズを気に入らない理由の一つは、これによって相対的に上杉憲実の功績が見えにくくなることです。足利学校は、ぜひ上杉憲実という名前とセットにして記憶されてほしいと思っています。

足利学校の片隅に、「上杉憲実公顕彰碑」が置いてあります。観光客は誰も見向きもしませんけれども。

顕彰碑の後ろに回ると、憲実の事跡が紹介されています。上杉憲実が足利学校の中興に尽くしたことが書かれています。というか、現在に続く足利学校の基礎を作ったのは、実質的には上杉憲実のはずです。

展示室にあった、上杉憲実像。足利学校だからこんな文人の格好をしていますが、実際には武人としても極めて有能な人物のようでした。永享の乱における大活躍など、関東戦国史を考える上で、最大のキーパーソンの一人です。上杉憲実が足利学校を再興し、重視したという事実は、足利学校の価値を考える上で極めて重いものです。「日本最古の学校」なんていい加減なキャッチフレーズに頼らなくとも、足利学校はとても素晴らしい史跡です。

方丈から北の庭を見る。梅がほころび始めて、春の雰囲気が漂ってきます。とても気持ちよいです。

そんなわけで、孔子様に学問成就のお祈りをして、足利学校を後にするのでした。

ちなみに入徳門に向かう参道ぽい路地の入口では、「足利學校」の石碑と孔子像がお出迎えしてくれます。
(2018年2/26訪問)

日本保育学会「関東地区研究集会」の個人的まとめ

2018年2/11にお茶の水女子大学で行われた日本保育学会「関東地区研究集会」に行ってきました。汐見稔幸先生の講演を聞きましたが、保育だけに限らず、新学習指導要領の背景を理解する上でも有益な内容だったと思うので、私が理解したことを書き留めます。

法令の改定を、世界史的な流れで理解する

研究集会のテーマは、「保育所保育指針」「幼稚園教育要領」「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」(以下、三法令)の改訂に関してでした。そして汐見先生の話は、会場が期待していたような(?)具体的な保育実践に関わるものではなく、抽象的な理論の話でした。が、抽象的な理論の話でなければならなかった本質的な理由があったと思います。三法令改定の意味は、お上が命令するから逐条解釈するのだという姿勢では理解できず、世界史的な背景を踏まえて理解しなければならないというわけです。

この「世界史的な流れ」というのは、具体的には「20世紀型の教育から21世紀型教育へ」という動きです。この大きな流れを把握しておかないと、三法令の改定の意味がわからないということです。そして、この「20世紀型の教育から21世紀型教育へ」という世界史的動向は、いったん「19世紀型教育から20世紀型教育への転換」を振り返ると、分かりやすくなります。この19世紀型から20世紀型への教育の転換のことを、教育史では「新教育運動」と呼んでいます。

新教育運動:19世紀型教育から20世紀型教育へ

新教育運動を推進した人物として、教科書にはデューイ、キルパトリック、モンテッソーリといった名前が登場します。それぞれ個性的な教育を展開しましたが、古典的な教育とは異なる観点が共通して6点ほど挙げられます。
(1)子ども中心主義:興味関心をベースに
(2)活動主義:なすことによって学ぶ
(3)生活主義:生活の充実を目標とし、生活の中で豊かに学ぶ
(4)ホーリズム:人格全体、特に感情や自我の育ちを重視
(5)性善説・向善説:プロテスタンティズムの子ども観を転換
(6)民主主義の担い手育て:自分で自分を統治する教育

しかしこうした新教育運動の試みは、教養中心で主知主義的な19世紀型教育からは疑惑の目で見られることになります。20世紀の教育は、新教育と詰め込み教育が葛藤する100年となります。

20世紀教育の展開と限界

実際の20世紀の教育は、新教育が目指したものにはなりませんでした。現実には、産業化や工業化に必要な人材を大量に養成する教育となりました。産業至上主義に対応して選抜システムが洗練され、知能指数や学歴が信仰されるようになり、主知主義的で知識中心主義の教育が蔓延し、企業の中で駒として有能に働く能力の育成が追求されることになります。
こうした資本主義に適合する教育に対抗して、マカレンコ等の共産主義的教育が登場しましたが、それは結局は全体を優先する集団主義教育に過ぎませんでした。資本主義教育と共産主義教育の対立は、全体を優先して「個」を犠牲にするという意味では、結局は主知主義内での争いに過ぎませんでした。

しかし、20世紀後半に至り、こうした教育の限界が認識されるようになります。たとえば現在では、民間企業が率先して20世紀型教育を批判しています。20世紀型教育は指示された作業をこなす能力や枠に縛られたノウハウを育てることはできるものの、それ以上の価値を創造する力が弱く、民間から不満が噴出しています。国民の側も、不登校やいじめ、失業問題や環境問題等、教育が機能不全を起こしていることに不満を表明しています。同時に、情報機器の発展等によって学校以外の様々な教育機関が進展し、学校の相対的位置が低下しています。

こうして、20世紀型教育の限界が認識され、21世紀型教育への転換が叫ばれるようになっているわけです。

21世紀を見通したときに出てくる課題

さて、21世紀型教育が必要となるのは、これまでの教育では対応できないような課題に人類が直面しているからです。新たな課題は、主に3つあります。
(1)解決策がまだ見つかっていないが、解決していかないと地球自体がもたないという深刻な問題を解決するための力の養成。
(2)価値観の多様化と地球規模で人々が交流する時代にふさわしい知性の涵養。
(3)AI、ロボット、コンピュータがあらゆる生活に入り込んで情報処理をしてしまう社会での人間らしさの涵養。

これらに加えて、日本特有の課題もあります。
(1)日本の教育は、「個の充実」、特に「主体であること」の自覚と能力育成が弱く、組織の一員になるための教育へと偏っている。
(2)市民になる力の涵養、民主主義の担い手としての自覚とその力の教育の弱く、シティズンシップ教育が不足している。

20世紀教育の限界を突破する方策

こうした限界を突破するために、3つの方策が考えられます。
(1)すでに20世紀初頭に議論し実践してきた新教育運動の知恵からもう一度学び、必要な修正をしながら課題に対応する。
(2)この100年の実践、生活主義を引き継いで発展させる。
(3)シティズンシップ教育など新たな課題に対応する。

方策(1)新教育運動の知恵

倉橋惣三らが世界新教育運動から学び取った知恵を、もう一度振り返ってみると、それらが21世紀的教育が求める「非認知能力」や「社会情動的スキル」と通じていることに気がつきます。新教育運動の人格主義的性格は、感情・意志・主体性等の育てを重視しており、これは21世紀教育が追求する「心情、意欲、態度」とリンクしています。社会情動的スキルという考えには、心理学や社会心理学における情動研究の進展が反映しており、これがアタッチメントの再評価に繋がってきています。これらが、三法令改定における「資質・能力」という概念に反映しています。
三法令が言う「資質・能力」という概念は、倉橋惣三の仕事をしっかり振り返ることで、明確になっていきます。倉橋の仕事を学び直し、引き継いで、必要な修正を施しながら発展させていくことが、21世紀型教育の確立に結びつきます。

方策(2)生活主義の引き継ぎ

生活の中で学ぶという考えを精緻にしたのはデューイで、それを日本に紹介したのは宮原誠一の仕事です。倉橋惣三が言う「生活を、生活で、生活へ」も、この考えに共鳴しています。

「生活」とは英語では「life」ですが、「life」とは「生命」でもあり「日々の営み」でもあり「人生」でもあり、それらを串刺しにした概念です。人間は生活=いのちの営みを充実させることで必要な文化を身につけ、教育はそれを手伝い、ときには少しコントロールし、社会に必要な市民として子供を育てる営みと言えます。

生活主義の根底には、子供は自ら育っていこうとする存在だという子ども観があります。それを宮原は「形成」という独特の言葉で総称しました。一方で「教育」のことを、「形成」への関わりであり、その首尾良い具体化のための援助であると定義しました。現代の日本では、形成を具体化するための援助のことを「環境づくり」と呼んで、環境を通じた教育を目指しています。倉橋惣三が言う「保育の四層構造=自己充実、充実指導、誘導保育、教導保育」も同じことを言っているわけです。

方針(3)シティズンシップ教育

新たな教育課題として特に市民教育が挙げられますが、具体的な実現を目指して導入されたのが総合教育でした。前回の学習指導要領改訂では総合教育が後退したように見えますが、今回の改訂は総合教育の再登場であり、さらに言えば乳幼児期からの開始という特徴があります。乳幼児期教育は、シティズンシップ教育という観点から小学校以降の総合教育と結びついていくことで大きな意義を発揮すると言えます。

総合教育を成功させるためには、教育の3つの層の統合を考えなければいけません。すなわち(1)個別知(2)実践知(3)人格知の統合されたものです。この統合を目指すために必要となるのが、「主体的・対話的で深い学び」というものです。これを単に「教える方法」だけに矮小化せず、「目的」そのものであることを理解する必要があります。

保育学会の役割

というわけで、保育という営みを、生涯にわたる教育という大きな枠の中に積極的に位置づけていくことが重要になってきます。保育とは乳幼児教育学に他なりません。この大きな背景を見失っては、具体的な保育の方針も見えてきません。
こういう観点を得ると、たとえば保育の五領域についても考え直していく必要が見えてきます。たとえば具体的には、ニュージーランドの教育指針「テファリキ」等と比較したとき、日本の五領域には将来の市民を育成していくという視点が弱いのではないかと思われます。生涯にわたる学習という視点が乏しいということでしょう。

学会は、そうしたことを議論していく場です。ラディカルな議論をしていきましょう。

そんなわけで、単に三法令の逐条理解なんかしても大した意味はありません。改訂の背景にある時代の流れを大きな観点から理解していかなくてはいけません。その理解を促進するためには、20世紀の新教育が目指したものを振り返って学び直すことが極めて重要になってくるわけです。

個人的感想

学習指導要領本文には、20世紀初頭の新教育運動について振り返るような記述はまったくありません。あるいは、宮原誠一や倉橋惣三が行った仕事をリスペクトしているような記述もまったくありません。だから、学習指導要領だけ読むと、先哲の仕事をいったいどう考えているのか、何を引き継ぎ何を発展させるかという問題意識があるのかどうか、たいへん不安になるわけです。
が、汐見先生の話を聞く限りでは、先哲の仕事を十分に踏まえ、その重要性を理解した上で、さらに新たな課題を見据えて修正し、学習指導要領なり保育所保育指針が構成されているだろうことが伺えます。逆に言えば、こういう話がなければ、学習指導要領や保育所保育指針が本当に何を目指しているかは見えてこないように思います。そういう意味で、この講演の内容は、逐条解説なんかよりも、はるかに本質的な理解に繋がる内容だったと思います。

(以上、あくまでも私が講演を聴いて理解し考えたことを私の観点からまとめたものであって、誤解があった場合は汐見先生の責任でないことは書き添えておきます。)

【要約と感想】武井哲郎『「開かれた学校」の功罪―ボランティアの参入と子どもの排除/包摂』

【要約】善意のボランティアが学校に入ることで、むしろ意図とは逆に、社会的弱者のスティグマ(否定的烙印)が強化されてしまうケースがあります。ボランティアに一対多の関係構築が許されていない場合や、教室の中に強固な同質性が前提されているとき、社会的弱者の立場はむしろ悪化します。ボランティアの参入によって社会的弱者の立場を改善しようとするなら、ボランティアが教室内の全ての子どものサポートに当たれるようにする(一対多の関係形成)ことや、全ての子どもが同じように課題をこなせるという「同質性の前提」を崩す条件を整えることや、ボランティアが弱者の側に立って教育的ニーズに対する認識を常に更新することが必要です。そのためには、ボランティアが教師に対して意見表明や改善提案(アドボカシー)ができるような環境作り(ネットワーキング等)が大切になります。

【感想】「チーム学校」とか「コミュニティ・スクール」という掛け声の下、学校運営の在り方が根本的に変わりつつある。たとえば校長先生の立場が、かつては教員の一員のようだったものが、今では経営者・管理者へと大きく変化している。このように学校運営の在り方が大きく変化する中で、学校外から教員免許を持たないボランティアが大量参入してくるようになった。こうした制度的な変化についてはいろいろ調べていたつもりだが、学校や教室の内部に具体的にどういう影響が出るかについてはよく知らなかったので、本書を手に取ってみた。なかなか一筋ではいかないな、ということがよく分かった。無原則にボランティアを入れればいいというものではなく、しっかり役割と機能を考えて全体的な制度設計の中に組み込まないと、逆効果になりかねない。「同質性の前提」の下で「一対一」の関係が固定されたとき、社会的弱者の否定的烙印が強化されるメカニズムは、よく分かった。

本書はもっぱら社会人ボランティアについて扱っているわけだが、個人的には学校インターンシップも含む学生ボランティアの効果と機能について気になっている。文科省の調査等では、教育委員会や学校現場は学生ボランティアに大きな期待をかけていることが分かる。まあ、忙しすぎて猫の手も借りたいということなんだろう。ただ、専門的な訓練が終わっていない学生ボランティアが入って、現場の子供たちに対する教育的効果にどれほどの影響を与えるのかについては、実はほとんど検討されていない。個人的に危惧するのは、現場の子供たちにとっては、むしろシロウトの手が入ることが教育的に逆効果になるんじゃないかということだ。
本書は、学生ボランティアについて直接言及しているわけではないけれども、参考になるところが多かった。たとえばボランティアが弱者であるという意識を持つことで級内に異化作用をもたらす可能性は、学生ボランティアにも当てはまりそうだ。また、アドボカシーに結びつくためにもボランティア同士のネットワーキングが重要だという見解は、学生にも当てはまるだろう。お互いの経験や困難を共有する機会を十分に作ることで、学生ボランティアの役割と機能も向上するかもしれない。逆にそういう機会が設けられていないとき、ボランティアは単に学校や教室内の権力関係を維持・強化するだけに終わるだろうことも容易に想像できた。学生本人の経験を積むという点では「やりっぱなし」でいいのかもしれないけれども、「チーム学校」という観点から考えれば、大いに問題があるところだ。

着実な実態調査に丁寧な考察が伴って、いろいろ考えさせられるいい本だった。

武井哲郎『「開かれた学校」の功罪――ボランティアの参入と子どもの排除/包摂』明石書店、2017年

【要約と感想】奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』

【要約】新学習指導要領は、本物の学びを実現するために、教師の教えの向上を目指しています。

【感想】とても分かりやすい。新学習指導要領が何を目指しているのか、ものすごくよく分かる。現役の教師だけでなく、学生にとっても読みやすそうだ。教員採用試験対策にもいいんじゃないか。

特に良いのは、文科省が立場的に書けないようなことが、本書ではしっかり書かれているところだ。具体的には、これまでの教育が産業社会に従属してきたことの明瞭な指摘である。本書は明瞭に「そもそも近代学校とは何だったのかという根本的な問題も含めて考えていきたい」(34頁)と問題設定し、「近代学校の終わりの始まりという地点に、今、私たちは立っています。」(106頁)と見通しを立て、「近代に学校が発足して以来、学校は産業社会の要請に応えてきたのであり、いわば「従属」してきました。」(111頁)と言い切った。新学習指導要領の背景にありながらも文科省が本文には書けなかった本音が、ここにある。
教育が経済に追随してきたという屈辱的な過去は、文科省自身が書くわけにはいかない(いわゆる官僚の無謬性)わけだが、この過去に対する洞察が欠けていると、どうしてポスト産業社会になって教育を変える必要があるのか、とても分かりにくい。新学習指導要領が分かりにくいのは、そのせいだ。本書のように過去を踏まえた上で新たな展望を示すのであれば、どうして教育が変わる必要があるのか、説得力が増す。これまでの教育は賞味期限が切れたんですね、ということが分かる。近代が賞味期限切れとなっている具体例も豊富で、なかなか説得力が高い。

それから、背景にブルーナーの復権があるという記述も腑に落ちた。これも学習指導要領そのものに書くわけにはいかないところだ。学習指導要領自体は、「深い学び」に関して、各教科の「見方・考え方」を重視する方針を打ち出しているものの、奥歯に物が挟まったような微妙な言い回しに終始していて、分かりにくい。ブルーナー・リバイバルって明確に言い切ってもらえれば、なるほど、となる。例の「どの教科でも、知的性格をそのままにたもって、発達のどの段階のどの子供にも効果的に教えることができる」ってテーゼが「見方・考え方」という言葉に凝縮されているということだ。

が、極めて分かりやすいぶん、新学習指導要領の胡散臭い部分も浮き彫りになる。具体的には、「教育の論理」と「社会の論理」が予定調和するという楽天的な見通しが、胡散臭い。本書は「社会に開かれた教育課程」を論じるところで、教育の原理を突き詰めていけば、それがそのまま社会が必要とする資質・能力の育成に繋がると言う。本当か? いや、本当なのかもしれない。しかしそれが本当だとしたら、実は教育が完全に経済の植民地になって同化が完了したということを意味するだけかもしれない。
その疑いは、学校運営のPDCAサイクルを「C」をテコにして管理しようとする文科省の姿勢と相俟って、増幅する。実際、新学習指導要領では、「学校評価」についての記述が増幅している。結局は学校や教師から「自発的な努力」を都合良く調達するためのテクノロジーが発達しただけではないのか。あたかも予定調和しているように見えるだけで、実は単に植民地化されただけではないのか。

まあ、その吟味と対決については、本書が背負うべき課題ではない。別のところでしっかり俎上に載せればいい。本書の役割である「新学習指導要領の理念の解説」に関して、とても分かりやすい良書であることには変わりはない。教育課程論の参考書として指定しようかと思うくらいだ。

奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』東洋館出版社、2017年