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【要約と感想】鶴見俊輔『教育再定義への試み』

【要約】教育とは、「死」や「老い」も含めて「生き方」を伝える試みで、正しいことからではなく失敗や逸脱から糸口が見つかるようなものです。大人から子どもに一方的に伝えるものではなくて、お互いに乗り入れるようなものです。
 あるいは、教育とは無抵抗に植え付けられた「痛み」から始まり、逃走や抵抗から自己教育に向かうようなものです。老いや耄碌も含みこんで、言葉にならないようなまなざしや仕草として、死ぬ準備のための自己教育を行いたいのです。

【感想】内容よりも先に、その著述形式の斬新さに驚いた。注で話を続けるのかい!
 内容については、とりとめもまとまりもない、としか言いようがない。だからこそ、多様な読み込みが可能な隙も多い。おそらく著者が言いたいだろうこととは無関係に、読者自身が分かりたいと望むことを勝手に読み取るような文章になっている。そしてそういうものでいいと著者本人も言っている。なら、そう読むしかない。何かを学ぶために読むものではなく、まなざしや仕草を自分らしくするために読む本なのだろう。

鶴見俊輔『教育再定義への試み』岩波現代文庫、2010年<1999年

【要約と感想】南川高志『マルクス・アウレリウス―『自省録』のローマ帝国』

【要約】ローマ帝政期の皇帝マルクス・アウレリウスは、ストア派の思想を記した『自省録』の著者として知られてきましたが、それはもともと出版するために書かれた作品ではありません。哲学者としての著者ではなく、マルクスを通じてローマ帝国の社会を歴史的に明らかにします。
 マルクスの統治期には凄惨なパンデミックと長期にわたる戦争がある一方、剣闘士競技会のように人間の死をエンターテインメントにする文化もあり、人々は常に死と隣り合わせで生活していました。『自省録』に頻繁に見られる「死」にまつわる記述は、単にマルクス個人の感慨を記したものではなく、当時のローマ帝国の日常を反映しています。
 当時のローマ帝国の政治は、属州出身者の台頭という点で、大きな転換点にありました。ローマ帝国が抱える様々な課題に対して、マルクスは前帝の振る舞いを模範としながら任務として誠実にこなしました。マルクスの統治にはストア派の哲学が反映しているというよりは、誠実な仕事人としての前帝の影響の方が強いでしょう。

【感想】個人的にも『自省録』は興味深く読んだ。長く読み継がれている理由がよく分かる名著だった。
 しかし確かに著者が言うように、実際にやったことや起きたことについてはほとんど記録されておらず、「歴史」の史料としては制約が多い。まあ、だからこそ時代を超えて読み継がれているという事情はあるのだろうが。
 ということで、ローマの政治史を中心に、いろいろ勉強になった。当時の教育と子ども観について厚い記述があって、よい復習になった。

【個人的な研究のための備忘録】教育
 マルクスの受けた教育について、当時の時代背景も含めて解説があった。

「マルクスの他の上層ローマ市民男性と同じように、読み書き算術の初等教育、文法教師による中等教育、そして修辞学教師による高等教育の三段階をこなした。ただし、注意が必要なのは、教育を受けた場所である。現代社会では教育は「学校」でなされることが一般的であるが、それは近代後期以降の現象であり、上層階級の人々の間では「家」での教育が重視された時代が長かった。」70頁
「ギリシア文化を受け入れたローマでは、ギリシア語による修辞学の教育に学んで、ラテン語による修辞学も発展し、とくに共和制末期のキケロと一世紀のクインティリアヌスの活躍で、単に美しく巧みに語り書く技術としての修辞学ではなく、自由学科の一般教育を習得した「教養ある弁論家」を育成する修辞学教育という理念が唱えられた。しかし、この教育目標は達成されなかったといってよいだろう。皇帝政治の時代に政治弁論の比重は低下し、政治支配層の社会規範、交際の術としての修辞学の意義が大きくなると、その学問は形式を重視するようになり、弁論の技術的向上の方に力が注がれるようになったのである。」79-80頁

 まあ、そういうことだろう。とはいえ、やはり「修辞学」とか「雄弁術」の位置づけに対する理解が、特にルネサンスになって復興することを考えるととても重要なのだ。しかしこれが肌感覚で分からない。本書でも現代人にはピンと来ないだろうと指摘していた通りだ。
 個人的には、古代の人々が学問を「哲学」と「雄弁術」とで二分していたことが気になる。その伝統はルネサンスにも引き継がれる。個人的にはピンとこないが、暫定的に古代の「哲学/雄弁術」の区分は、乱暴に言えば現代の「理科系/文化系」の区分に近いものかとイメージするようにしている。

【個人的な研究のための備忘録】子ども
 子どもに関する記述が、アリエスの研究を絡めてあった。

「ローマ人の平均寿命はたいへん短かったと考えられている。今日の研究では二〇~二五歳ほどと見積もられている。発見されている子供の墓や墓碑の数が想定より少ないのも、乳幼児期に死亡する者の数が多すぎたためと推定されている。」135頁
「ローマ帝国の経済と社会の研究に画期的成果を上げたケンブリッジ大学教授キース・ホプキンズは、平均寿命を二五歳と推定し、乳児の二八パーセントが誕生後一年以内に死んだと見ているが、イタリアに残されている一歳未満で死亡した子供の墓石は一・三パーセントに過ぎないとも述べる。ほとんどの子供は、何の記念もされずに集合墓に葬られ、この世からいなくなったのだろう。知られているローマ法の規定によれば、一歳に満たずに死亡した子供の服喪期間の定めはなく、三歳未満の子供の死亡の場合は大人の服喪期間の半分であった。」138頁

 日本には「七歳までは神のうち」という言葉があったりなかったりするが、さすがにローマでは「1歳」と「3歳」で区分されていたようだ。体力的・健康的な区分としてはこっちのほうがしっくりくる。7歳は、精神的・労働的・コミュニケーション能力的な区分だろう。

南川高志『マルクス・アウレリウス―『自省録』のローマ帝国』岩波新書、2022年

【要約と感想】牧原出『田中耕太郎―闘う司法の確立者、世界法の探求者』

【要約】田中耕太郎(1890-1974)の人物と事績については当時も現在も毀誉褒貶が激しく、仕事の領域も多岐に渡って全体像を見通しにくいことから評価が定まりにくいのですが、本書は「組織の独立」のために闘ったという観点から首尾一貫した姿勢を確認していきます。政治史的な資料だけでなく親族や友人たちの証言も立体的に使いながら人となりを浮き彫りにします。
 まず田中の考え方の土台として、生来のコスモポリタニズムを背景としたカトリック思想と自然法思想を押さえます。そして具体的な事績では、民法からの「商法」の独立、国家からの「大学」の独立、国家権力からの「教育行政」の独立、政治家や世間の雑音からの「司法」の独立、国連における「国際司法裁判所」の独立を見ていきます。どの場面においても困難な課題に直面しますが、雰囲気に流されずに言うべきことを言い、組織の独立を守る強い姿勢を示しました。

【感想】知らないことがたくさん書いてあって、とても勉強になった。幅広い領域に目を注いでいて、労作であることは間違いないと思う。個人的な研究でも引用していきたいと思う。
 で、理解した限りでの田中耕太郎の人となりについて、敵(特に共産主義)に対して容赦がないのはともかく、身内(と見なした相手)に対してそうとう甘いんではないかという疑いを持ってしまった。そういう身内に甘く敵に厳しい行動原理を高所から眺めると「弱い組織の独立に尽力した」と見える、ということなのかもしれない。確かに組織(特に立ち上げ直後の基盤が整っていない弱い組織)にとっては必要不可欠な人材ではあったのだろう。が、それだけで、特に感銘は受けない。ひょっとしたら、勉強がやたらとできたようだし、私には見えていない景色がこの人には見えていたのかもしれない。厄介な人なんじゃないかという個人的な印象は拭えないのだが、歴史的な評価についてはエポケーしておくのが無難なのだろう。

【個人的な研究のための備忘録】教育基本法
 教育畑の私の個人的な研究関心は、もちろん教育基本法制定に係わった文部大臣としての田中耕太郎だ。特に第一条「人格の完成」という文言に強くこだわったことは教科書にも掲載されるほどの常識で、「人格」概念史を深めようとしている私にとっては無視できないどころか超一級の研究対象だ。そんなわけで、教育に係わるテキストはサンプリングしておくのだった。

「局長就任時の田中独自の主張は、教育勅語の擁護であった。その自然法としての意義を認め家長的権威が学校教育でも必要だとしていた。田中は学生の個性の発揚と人格の完成を掲げながらも「個性の発揚は個人主義、アナーキズムの弊に陥らざるように警戒することを要し、人倫の大本、即ち自然法的道徳原理に依る限界を厳守すること」を主張していた。」139-140頁

 本書にも「鋭い批判を浴びる論点」と記されているし、田中自身も後に撤回する見解ではあるが、まあともかく現代的な水準からは唖然とする暴論である。というのは、仮に教育勅語に示されている個別の道徳的内容が自然法に噛み合っていたとしても、完全に「固有」で「特殊」である命令形式については自然法として理解できるものではないし、主体性・能動性が問題となる道徳性について考える場合は「形式」についての洞察が決定的に重要な論点になる。田中の間違いは、形式に対して完全に目を覆っている点にある。しかし田中個人の資質に問題を還元してしまうのではなく、実は戦後直後の多くの知識人(自由主義者を含む)に共通する常識的な態度であったことは押さえておく必要がある。

「田中は一月三〇日に文相を辞任しているため、一月三〇日までの案が田中が直接検討作業に関わったものである。その影響は、とりわけ前文と、一月一五日案の「政治的又は官僚的支配」からの「独立」、「人格の完成」という条文の文言にある。(中略)
 一月七日に初めて作成された前文案は、「教育基本法前文案(大臣訂正の分)」いう表題の括弧部分が示すように、田中が手を加えたものだろうが、特に以下の第一段落は、「人格の完成」という言葉を入れるべきという田中の強い主張が反映されていた。
 教育は、真理の尊重と人格の完成とを目標として行わなければならない。しかるに従来、わが国の教育は、や〃もすればこの目標を見失い、卑近なる功利主義に堕し、とくに道徳教育は形式化し、科学的精神は歪曲せられ、かくして教育と教育者とはその固有の権威と自主性とを喪失するに至った。この事態に対処するためには、従来の教育を根本的に刷新しなければならない。」154-155頁

 教育学の基本中の基本の知識である。

「このうち第一段落部分は削除され、第二段落部分について以後検討が続けられ、結局一月三〇日案で第一条の冒頭は、「教育は、人格の完成をめざし」となり、それが成案となる。田中が辞任する直前の修正が、田中の意図する文言への変更となっていた。
 田中の強調する「人格の完成」は、一九三六年のパリ訪問時に意見交換をしていたカトリックの哲学者ジャック・マリタンの人格概念を基礎にしていた。マリタンは個別性や個人とは異なり、人格は神への信仰を通じて全体性を希求し、それによって完成に至るととらえていた(『人権と自然法』)。
 もっとも法案制定後、文部省が発した訓令では、「人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間のあらゆる能力を、できるかぎり、しかも調和的にせしめることである」と定義している(『教育基本法の解説』)。田中自身、文部省によるこの定義は、自身の見解とは異なると断っている。文言は残ったものの、その構想は修正されていた。」156頁

 専門的にもうちょっと詳しく言うと、「人格の完成」という文言は「人間性の発達」という文言を主張する立場から批判されている。「人間性」とは弱さや脆さも含めた現実の人間の価値と尊厳をイメージする言葉だが、それに対して「人格」とは神の完全性を踏まえた言葉である。どちらを採用するかで、教育が目指すべき方向性はかなり変わってくる。田中はカトリック信者らしく「人格」を前面に打ち出したわけだが、ここにマリタンの見解が関わってくる。マリタンは「人格」は普遍的だが「人間性」は特殊的だという区別をした。田中は明らかに普遍性を打ち出す意図をもって「人間性」を切り捨てて「人格」という言葉を持ってきている。そして後の文部省の定義はむしろ「人間性」に寄せた形になっているので、田中にとって「自分の見解とは異なる」のも当然ということになる。
 現在の学習指導要領等に記されている「人格」には、もちろんカトリックの思想は反映していない。そして「新しい学力」を打ち出す文部官僚たちが使う「人格」は、大正教養主義の意味すら持たない。現在の「人格」という言葉は、論者にとって何かしら都合の良い中身を自由に詰め込めるような、単なる空箱として機能している。そういう状況だからこそ、改めて田中耕太郎の立法意志に立ち返る意味があるのだろうと思う。

牧原出『田中耕太郎―闘う司法の確立者、世界法の探求者』中公新書、2022年

【要約と感想】代田昭久『校長という仕事』

【要約】民間企業で社長を務めた後に公立高校の校長になりました。一日やることだらけでけっこう忙しく、一年の仕事は変化に富んでいます。教育委員会からは時々変な問い合わせがあるし、教員や保護者との関係には気を遣います。様々な問題に対応するために、民間企業で培った経験を生かしてマネジメントに取り組み、成果を挙げました。

【感想】杉並区立和田中学校の校長ということで、もちろん藤原和博元校長については様々なメディア報道を通じて「よのなか科」や「夜スペ」などについての話を耳にしていたわけだが、その後任の校長先生(やはり民間出身)が書いた本だ。現場にいた人にしか書けない話(たとえば教育委員会とのやり取り)にはナルホドと思ったし、教育課程論の観点からもマネジメントの話はなかなか勉強になった。現在のホームページを見ても、和田中学校の独創的な取り組みは健在のようだ。著者はその後教育監や教育長を歴任して、教育改革に取り組んだ。
 10年以上前の本ということで、教育委員会の構造や学習指導要領の内容、GIGAスクール構想、部活動の地域移行など現在の制度や文科省の方針と異なっているところはもちろん多々ある。そういう意味で、現在進行形の教育について知ろうと思っている向きには、あまり参考にならないだろう。しかし逆に現在の教育制度や方針をよく知っていると、本書に描かれていることの多くが実は文科省が現在推奨している試みの先行事例であることに気づく。iPADの活用や、コミュニティスクールや、部活動の地域移行や、民間教育産業へのアウトソーシングなど、大枠ではその後に文科省が制度化する方針の先触れとなっている。そういう意味で、単に校長の仕事の内容(あるいは民間校長の有り様)を理解したい向きだけでなく、新しい制度や方針にどう対応すべきか迷っている管理職および教育委員会の中の人には考え方の指針を示してくれる有用な本かもしれない。そしていくつかの方針の先触れになっているという観点からすると、「校内研修の廃止」や「45分授業」や「民間教育産業との協力」について、今後文科省がどういう方針を示してくるか注目だ。
 個人的な印象では、もちろん私の教育観とは様々なところで違っているわけだが、確かな理念を土台にして明確な方針を打ち出しながら丁寧なコミュニケーションを心がけつつ多方面のステイクホルダーに対する配慮を欠かさない熱心で誠実で精力的な仕事ぶりに素直に感心せざるを得ない。文面からは、民間校長の理想的な姿が浮かび上がってくる。こういう人材を採用できるのであれば、民間校長も悪くないのだろう。とはいえ、本書にもちょっとした仄めかしがある通り、問題は起こしている。著者に限らず、民間校長は様々な問題を起こしている。しかし考えてみれば、叩き上げの校長だって様々な問題を起こしている。茨城県や堺市など積極的に民間校長を採用している自治体もあって、今後どういう成果を挙げるか(あるいは問題を起こすか)注目したい。

代田昭久『校長という仕事』講談社現代新書、2014年

【要約と感想】ベーコン『学問の進歩』

【要約】人類の進歩に貢献するため、あらゆる学問の領域に渡って過去の業績を点検して問題点と課題を明らかにし、未来へ向けた展望を示します。学問は様々な誤解や学者たち自身の問題によって批判されることもありますが、本質的には神と人間にとって極めて高い価値を誇るものです。
 学問の領域は(1)歴史(2)詩(3)哲学(4)神の4つの領域に区分できます。歴史には(1)自然誌(2)社会の歴史(3)教会史があります。詩の領域はテコ入れするまでもなく勝手に発展します。哲学の領域は(1)第一哲学(2)神学(3)自然哲学(4)人間学に分かれます。
 現在の学問水準は、真理を発見する手段の整備や様々な発明のおかげで格段に上がっており、ギリシアやローマの時代を超えて進歩しています。確かに乗り越えなければいけない課題はたくさんありますが、人類の未来は明るいのです。

【感想】現代的な感覚からすれば、学問全体の領域を余すところなく点検してこれからの展望を示すなど、途方もない無理無茶無謀な企てだ。本書が公になったのが1605年で、同じような企ては1531年のヴィーヴェスにも見られた。この後、17世紀序盤にはデカルトが出て、中盤には清教徒革命が発生し、終盤ではニュートンが活躍することになる。学問の全体像を個人で描こうとする企ては見られなくなり、ディドロ「百科全書」のような企画に変わっていくこととなる。
 本書全体を通じて印象に残るのは、「ルネサンスが終わったなあ」ということだ。ルネサンスの定義にもいろいろあるが、共通しているのはギリシア・ローマの文芸に憧れ、再現しようとする熱意である。ベーコンには、その憧れも再現しようとする熱意もない。というか、「ギリシア・ローマを超えた」という認識が各所に噴出している。実際、容赦なくプラトンやアリストテレスを槍玉に挙げる。その認識と姿勢を支えているのが、大航海時代によって地球全体の姿を明らかにした学問の成果への自信だ。哲学的観照や文献読解や雄弁術など古代的な教養では不可能な大事業を実現したという、発明発見と真理と活動に対する自信だ。だから、現実の地球の全体像を写す「地球儀」が完成したこのタイミングで、学問の全体像を示す「学問の地球儀」も完成させなければならない。
 そんなわけで、ベーコンの中でルネサンスは完全に終了しており、つまり近代の夜明け前までは来ている。しかしまだ近代は訪れていない。「かけがえのない人格」という発想はまったく見られない。

【個人的な研究のための備忘録】ルネサンスの終わり
 当時の学問水準について窺える記述がたくさんあって面白いのではあるが、個人的な研究に役に立ちそうなところだけサンプリングしておく。特に教育や学校に関する記述と、「ルネサンスの終わり」に関する記述が重要だ。

「なお、注意すべきことに、教師たちの生き方は圧政のサルまねだと芝居などでずいぶん嘲笑されてはいるし、また、最近のだらしないなげやりな風潮は学校の教師や家庭の教師の選択に当然はらうべき顧慮を払わなくなっているが、しかし、とおい昔の最良の時代の知者は、国家はその法律のことにあまりにもいそがしく、教育のことにかけてはあまりにも怠慢であると、いつももっともな不満をもらしていたのであって、そのとおい昔の教育のすばらしいぶぶんが、最近イエズス会員の学院によってある程度まで復活されたのである。」38-39頁

 この部分に至るまでの話の流れは「学者の貧乏」をテーマにしていてなかなか身につまされるのだが、サンプリングしたところは文脈からは少々切り離されて唐突に差しはさまれる。実は本書にはそういう行き当たりばったりの思い付きにしか見えない冗長な記述が極めて多く、前近代的な印象が色濃くなる原因にもおそらくなっている。ともかく、16世紀の教師が嘲笑の的になっていたらしいことが分かるが、こういうエピソードはヴィーヴェスなどにもあって、事欠かない。しかし一方「イエズス会員の学院によって復活された」という記述の具体的な中身はよく分からなくて、気になるところだ。イグナチウス・ロヨラの活動のことを指しているのだろうか。

「マルティン・ルターは、(疑いもなく)一段たかい摂理に導かれてではあるが、理性をはたらかせて、ローマの司教と教会の堕落した伝統とを向こうにまわして、自分がどのような仕事をくわだてたかを悟り、またどのみちかれの時代の世論の支持は得られず、まったく孤立していることを悟って、現代にたち向かう党派をつくるためには、古代のすべての作家をよびさまし、むかしの時代に援軍を求めなければならなかった。こうして、それまで長らく図書館のなかに眠っていた、神学と人文学との両方と、古代の作家たちがひろく読まれ、とくと考えられることとなった。(中略)これを助長し促進したものは、それらの遠いむかしのものでありながら見た目には新しい説を唱えた人びとが、スコラ学者に対してもっていた敵意と敵対であった。(中略)これら四つの原因、古代の作家に対する感嘆と、スコラ学者に対するにくしみと、言語の厳密な研究と、説法の効能とが重なって、当時さかえはじめていた雄弁と能弁とのひたぶるな研究がおこることとなった。これはたちまち極端に走った。」49-50頁

 なんだかいろいろ間違った記述になっている。古典文芸復興はルターと関係がない。こういう勘違いが生じるのは、宗教改革と古典研究をセットとして考えるのが当時の認識枠組みとしては常識だったから、と推測しておこう。エラスムスの存在も考慮していいか。
 事実の間違いはともかく、ベーコンの認識では「スコラ学者への敵意」と人文主義的な「雄弁術」の流行がセットになっていることは確認しておく。

「キリスト教会は、一方では、北西ではスキタイ人の侵入と、他方では、東からサラセン人の侵入とのただなかにあって、異教の学問の貴重な建物をも、その聖なるふところに抱き、膝にのせて保護したのであって、それらの遺物は、この保護がなければ跡形もなく消滅したであろう。」77-78頁

 ここでベーコンが言う「キリスト教会」とは、コンスタンティノープルの東ローマ教会のことだろうか。ウクライナにいたスキタイ人にローマが北西から浸入されるとは思えない。そして、となると、「異教の学問」とはギリシア文化のことになる。そうだとすれば、これはベーコンがビザンツ帝国が果たした文化的役割を認識していた証拠になる記述として理解できるが、そんなことあるのか。

「まず第一にヨーロッパにはずいぶん多くのりっぱな学院が設けられているのに、それらはすべて専門科目(神学、法学、医学)に専念して、教養科目(哲学と一般原理の研究)をやる余裕のあるものが一つもないことを、わたしは不思議に思う。というのは、人びとは、学問は行動を目的とすべきであるというとき、判断を誤ってはいないが、しかしそう信じこんで、むかしの寓話に語られているあやまちに陥っているからである。その寓話では、胃は四肢のするように運動の役目もせず、また頭のするように理解の役目もしないので、身体の他の部分は胃が怠けていると推測したのである。」117頁

 これも事実認識としてはどうか。西洋教育史の教科書によれば、大学に付属する学寮(カレッジ)において基礎教養の自由七科が学ばれていたはずだ。ただしベーコンの言う「哲学と一般原理の研究」が、自由七科を眼中に入れていない可能性は考慮してよいか。
 また「胃」の寓話に触れていることも覚えておきたい。胃の寓話は、後にヘーゲルが多用することになる。

「それは、大学の学生が時期尚早に、未熟なままで、論理学や弁論術といった、年はのいかぬ修行中のものよりも大学をおえたものにふさわしい学問をする習慣である。すなわち、両者は、正しく理解されるなら、諸学のうちもっとも重みのあるもの、学問中の学問であり、論理学のほうは判断のためのもの、弁論術のほうは修飾のためのものである。そしてそれらは、内容をどう表現しどうとり扱うべきかの規則と指図なのである。」121頁

 この記述から、ベーコンが「弁論術」をどう認識していたかが具体的に分かる。クインティリアヌスやそれを引き継いだ人文主義的な教育論とはまったく異なる見解となっている。クインティリアヌスやルネサンス教育論では、雄弁術は人格を形成するために欠いてはならない学問だった。ベーコンにおいては、人格形成に関わらないただのスキルである。雄弁術そのものの位置づけがどう変化したかは別に検討する必要があるが、ともかくベーコンの認識のなかではそうとう価値が低くなっていることを確認しておく。

「すなわち、あるものごとがなされるまでは、はたしてなされるだろうかといぶかっているが、なされるとたちまち、こんどは、どうしてもっと早くなされなかったかといぶかるのである。それはアレクサンドロスのアジア遠征にみられる(中略)そして同一のことがコロンブスにも西方への航海のさいにおこったのである。」62-63頁
「というのは、この世界という大建築物が、われわれとわれわれの父祖との時代になってはじめて、ガラス窓から光線を貫通させるようになったのは、現代にとって名誉なことで、古代と競いそれをしのぐものだと主張してもまちがいないと思われるからである。」141頁
航海者の磁針の使用がまず発見されなかったら、西インド諸島もけっして発見されなかったであろう。一方は広大な地域であり、他方は小さな運動なのではあるが。同じように、発明と発見の術そのものがこれまで見おとされていたら、諸学にいま以上進んだ発見がなかったとしても、あえて異とするには当たらない。」211頁
「たとえば、当代の学者たちは優秀で活気をおびている。むかしの著作家の労苦のおかげでわれわれは高貴な助けと光をもっている。印刷術のおかげで書物はあらゆる境遇の人びとに伝えられる。航海のおかげで世界が開け、それによって多くの経験と莫大な自然誌の資料があかるみに出た。(中略)この第三の時期は、ギリシアとローマの学問の時期をはるかにしのぐであろう。」354頁

 コロンブスの西インド諸島到達をはじめとする大航海時代の成果によって「世界という大建築物」の姿が明らかになったことを極めて重要な出来事だと記述している。そもそも本書に見られるベーコンの企てそのものが「地球儀」を完成させようという発想に発している。現実世界の「地球儀」は船乗りたちの冒険によって完成しつつあるわけだが、「知の地球儀」を完成させようとするベーコンの企ても相当の冒険だし、それを自負してもいる。ここに、古典文芸復興として古代ギリシア・ローマ文化にひたすら憧れるルネサンス精神は完全に終わった。
 また、大航海時代を支えた「発明と発見」を高く評価している点も見逃せない。ベーコンがこれからの学問ん課題として設定しようとしているのは、この「発明と発見」の技術だ。「印刷術」への高い評価も記憶しておきたい。
 大航海時代がヨーロッパに与えた知的刺激は低く見積もらない方がいい、と改めて思う。(しかし同じような発明と発見の時代にいて同じ対象の言及しながら完全に冷めているモンテーニュが一方にいることも忘れてはならない)

「それゆえ、デモクリトス一派は、万物の構成のなかに精神とか理性とかを想定せずに、持続してゆくことのできる万物の形態を、自然の無限の試み、あるいはためし、かれらのいわゆる運命(必然性)に帰したので、かれらの自然哲学は、(残存する記録と断片によって判断することのできるかぎり)個々の現象の自然学的原因の説明においては、アリストテレスとプラトンの自然哲学よりも真実で、よく研究されたもののようにわたしには思われる。」171頁

 ここで挙がっている固有名詞はデモクリトスだが、実はルネサンス期からデモクリトス一派としてのエピクロスやルクレティウスの評価も高い。このベーコンの文脈ではもちろん唯物主義的な自然科学の体系に親和的だということだが、社会科学的にも「社会契約論」の文脈で重要な役割を果たしている可能性を考慮したほうがいい。

「第二に、論理学者たちが口にする、そしてプラトンには熟知であったらしい帰納法は、それによって諸学の諸原理が発見され、したがってまたそれらの諸原理からの演繹によって中間の命題が発見されると主張されるかもしれないが、くりかえしていうが、かれらの帰納法の形式はまったく欠点だらけで、無力である。そしてこの帰納法において、自然を完璧にし、ほめそやすことが技術の義務であるのに、かれらはそれとは反対に、自然をきずつけ、はずかしめ、そしったのであるから、かれらの誤りは、なおさらひどいのである。」214頁

 ベーコンの言う「プラトンには熟知であったらしい帰納法」とは、プラトン自身は「仮設廃棄」の方法と呼んでいて、確かに近代科学の言う帰納法とはまったく別のものだ。個人的には「前提さかのぼり法」と呼びたい。そしてベーコンが「自然をきずつけ、はずかしめ、そしった」と評価しているように、プラトンの仮設廃棄の手続きは最終的に「善のイデア」にたどりつき現実の自然や人間の感覚を否定する根拠となる。ベーコンの言う本物の「帰納法」がどういう手続きかは別の本で明らかになるわけだが、ここではベーコンが帰納法について「自然を完璧にし、ほめそやすことが技術の義務である」と言っていることは記憶しておきたい。

「つぎに知識の教育的な伝達についていえば、これには、若者に特有な、伝達上の特異性があるので、それには、大きな効果をうむさまざまな考慮が必要である。
 たとえば、第一に、知識を授ける時期をあやまたず、時節到来を待つ考慮であって、若者に何から教えはじめ、何をしばらく教えずにおくかなどである。
 第二に、どこからもっともやさしいものを手がけて、次第にむずかしいものに進んでゆくか、また、どんな道をとって、かなりうずかしいものをおしつけ、それから比較的やさしいものに若者を向かわせるかの考慮が必要である。(中略)
 第三は、若者の知能の特性に応じた学問の応用についての考慮である。(中略)そしてそれゆえ、どのような種類の知力と性質がどのような学問にもっともよく向いているかを調べることは、すぐれた知恵を必要とする研究である。
 第四に、修練の順序を決めることは、害になったり役にたったりする、重大な問題である。(後略)」258-259頁
「しかし、セネカは雄弁に対して、「雄弁は、内容よりも雄弁そのものを愛好する人びとに害を及ぼす」とすばらしい反撃を加えている。教育は、人びとを教師にではなく、課業にほれこませるようなものでなければならない。」263頁

 ベーコンは、同じような企て(学問の全体像を示す)を完遂したヴィーヴェスとは異なり、教育の論理そのものに対しては大きな関心を示していない。ここにサンプリングした文章も、本書によく見られるように思い付きで挿入されているようにしか見えない形で紛れ込んでいる。とはいえ、ベーコンの教育観を示す記述ではあるので、読み込んでおきたい。好意的に見れば、近代的なカリキュラム論に親和的な論点を示しているようには思える。

「この(全体の善が部分の善に優越する)ことは、たしかな真理として確立されているのであるから、道徳哲学がかかりあっているたいていの論争に裁断と決定を下すものである。というのは、それはまず、観想の生活と活動の生活とのうち、どちらをよしとするかという問題を解決して、アリストテレスとは逆な判定を下すからである。」267頁

 イギリス経験論の面目躍如といったところか。

「人間か神の本性、あるいは天使の本性に近づき、あるいはそれに似ようとすることは人間の本質を完成することであり、そうした完成しようとする善にしくじり、あるいはそれをまちがえて模倣することは、人間の生活のあらしとなる。」275頁

 中世からよく見られる表現ではあるが、果たしてベーコンがどれほど本気で言っているか。ともかく、本気だろうが韜晦だろうが死刑にならないための保険だろうが、ベーコンでもまだスルーできない表現だったということは確認しておく。

「同じようにまた、人間の精神の耕作と治療においても、二つのことがわれわれの意のままにならない。それは天性に関することと運命に関することとである。というのは、生まれつきそなわった性格は、細工を施すようにと与えられた材料であり、境遇は、そのなかでつくりかえの仕事をやりとげるべき条件であって、われわれはそれによって制限され、拘束されるからである。それゆえ、これら二つのものについては、せっせと活用してゆくより手はないのである。」287頁
「それで、この知識の第一項は、人間の天性と傾向とのいろいろちがった性格と気質との確実で正しい分類と記述を書きとめるということである。」288頁

 人間に様々な異なった性格があるということを学問の対象にまで鍛え上げようということで、「個性」という観念を生じさせる必要条件ではあるが、「かけがえのない人格」という概念に至るための十分条件はまだ欠けている。

「信条は、神の本性と神の属性と神のみわざとの教理をふくんでいる。神の本性は、一体である三位から成っている。神の属性は、三位一体である神に共通であるか、三位のそれぞれに特有であるか、どちらかである。(中略)天地創造のみわざは、質量の塊を創造することにおいては父なる神に、形をととのえることにおいては子なる神に、存在を維持し保存することにおいては精霊なる神に関係している。」373頁

 適当な記述である。あまり関心はないのだろう。

ベーコン/服部英次郎・多田英次訳『学問の進歩』岩波文庫、1974年