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【教育学でポン!?】2020年1月10日

毎日様々なニュースが流れてきますが、教育学を修めた立場として、それらをどのように理解したか、主観的な感想と見解を述べます。あくまでも主観的です。

教育全般

いじめ、教師の暴力……私立学校、問題あっても「指導」に壁――教委は介入できず(Yahoo特集)

公立学校の実態は広く公表される仕組みができていて、それを見た世間の人々は「公立学校は酷い、私立が良い」と言っちゃいがちなのだが、実態はご覧のありさまという。このあたりの事情については、いじめや不登校を扱った専門書を読めばいくらでも書いてあるのだが、世間にはなかなか広がらないのだった。マスコミが教育学的な知見を踏まえず、表に出てきやすい公立学校の問題ばかりを安易に叩くのも一因だろう。
まあ、考えるべき要素の多い、複雑な問題であることも確かだ。本質的に考えるためには、教育基本法や学校教育法、地教行法の知識が必要となってくる。最後に出てきた専門家が「公共性」というキーワードを使って地に足の着いた話をしたのが救いだ。確かに安易に行政に依頼するのでは、本質的な解決は望めない。本来なら「公共性」の再構築こそが問題解決の鍵になるはずなのだ。しかし、競争原理と自己責任論で日本が押しつぶされている現状において、公共性の再構築は極めて難しい課題なのだった。

小学校でじわじわ広がる「教科担任制」って?デメリットはある?(AllAbout)

教育学の知見を踏まえれば、「学校教育法=633制」の変更も視野に入ってくるような、戦後教育を転換させる可能性のある極めて重大な話に繋がっていくトピックだったりする。

最適な受験勉強、AIが教えます 予備校や塾に続々(産経新聞)

まあ教育学的に言えば、教育内容を適切にスモールステップに分解し、ビッグデータを活用することで、指導と一体化した「形成的評価」が個に応じて緻密に行えるということであり、それ以上のことではない。が、まあ、有益な技術だし応用範囲も広いはずなので、塾とか受験勉強以外でも活用すればいいと思うよ。

北大、学長の選考方法変更へ パワハラ疑惑で近く決定(共同通信)

一般論として、国立大学は独立行政法人化してからますますマネジメント力が求められるようになり、学長の役割もどんどん変化している。そしてこれからはこの流れが小中学校にも降りてくる。いやあ、大変だ。
まあ、北大固有の事情はよく知らないので、関係者からこそっと聞いておこう…

小学校プログラミング教育、114教委が「最低限の指導体制整わず」(産経新聞)

事前に完全に予想されていた事態ではある。どう落とし前をつけるんだ、これ?(←来年度からICT教育担当で、他人事ではない)

中学受験「2日連続撃沈」した少年の怒涛の結末(東洋経済ONLINE)

なぜ高校受験ではなく中学受験にトレンドが移り変わっているのか、その歴史的・社会的前提がまったく踏まえられていないので、教育学的な観点から言えば、薄っぺらい印象を受ける記事ではある。まあ受験制度について理解を深めようという趣旨ではなく、単に「家族の絆が深まって良かったね」という感動を伝えたい記事なので、私の感想はどうでもいいわけだけれども。

推薦入試、夢への近道 指定校、AO…国公立大も 進路確保が高校の“武器”に(熊本日日新聞)

近年、推薦入試の様相が大きく変わりつつある。30代以降の人が自分の経験だけで「推薦入試」を語ると見当違いになる可能性が高いから、気をつけた方がいい。
とはいえ、推薦入試がしっかり機能するためには、「高校レベルでの到達度評価」が整備される必要はある。そもそも大学入試自体、大学が学力を測定するのではなく、高校が「到達度を保証」するのが筋なのだ。この「高校レベルでの到達度評価」が制度的に整備されれば、推薦入試に留まらず、日本の入試制度自体が大きく改善されるはずなのだが。

大学経営「苦難の時代に」  事業多角化、相互連携… 進む少子化 生き残り模索(熊本日日新聞)

こういう経営難の大学(あるいはそうでない大学も含めて)を狙って危機感を煽りビジネスにしようとするコンサルたちが手ぐすね引いてスタンバっていることも、記事にしてほしいものであった。大学経営に関して、教育の専門家である学者の意見はなぜか聞かれないのだった(←特に不思議ではない)。

通信教育だけで開成に合格した「神童」の育て方(PRESIDENT Online)

なんというか、私自身も塾に一切通わずに東大に現役合格した口ではある。自分自身の経験を振り返れば、そういう子どもには好きなことを好きにやらせるのが一番だと思う。「神童の育て方」って、ちょっと勘弁してほしいところではある。

中学受験は公欠?欠席? あいまい表現の文科省通知 自治体で差、「校長判断」も(西日本新聞)

個人的には、そもそも学校の「皆勤賞」に何の価値もないと思っている。たかだか70年ほど前の日本では、農繁期には子どもたちは学校なんて行っていなかった。高度成長期以降、歯車的に働く工場労働者が大量に必要となったときに「皆勤賞」の価値が高くなったわけだが、21世紀には必要ないものだろう。休みたかったら、休めばいい。そういう価値観が根付いたほうが、世の中全体が良くなると思うよ。「皆勤賞」に価値を置こうとするから、ややこしい話になる。

上智大教員、女子学生にアカハラ・セクハラ 公表は未定(朝日新聞DIGITAL)

他山の石となすべし。

レポート巡ってトラブルか 准教授の首などを刺す、大学生を殺人未遂容疑で現行犯逮捕 愛知県警(CHUKYO TV NEWS)

命に別状がないとのことで、まずはよかった。私自身は、これまで、のべ1000人ほどの学生に「不可」をつけて単位を落としてきたけれど、暴力沙汰に巻き込まれたことはない。

不登校生徒の進学サポート 自分のペースで学習できる通信制高、NPO運営の予備校… 学ぶ形や環境、多様に(熊本日日新聞)

これまでの学校の形の方がむしろ不自然だったという気づきが急速に広がりつつある。

【教育学でポン!?】2020年1月9日

毎日様々なニュースが流れてきますが、教育学を修めた立場として、それらをどのように理解したか、主観的な感想と見解を述べます。あくまでも主観的です。

教育全般

入試改革を失敗させた上にまだ記述式に固執する残念な人たち<入試改革のあやまちを繰り返さないために2>(HARBOR BUSINESS)

個人的には、日本の大学入試の本質的な問題は、世界的に見てガラパゴスなところだと認識している。具体的には、日本は大学関係者が学生の「教育可能性」を判定しちゃっているが、海外では高校関係者が「到達度」を認定したうえで大学関係者が「マッチング」を考慮する形になっている。そういう教育学的知識を踏まえると、「記述式」かどうかを中心に入試の議論を行なうこと自体、理論的には局地戦にすぎないのであった。
まあ理論的には局地戦であっても、現実的には受験生たちに不必要な混乱をもたらしている以上、しっかり議論して解決しなければならないのであるが。

大学入試は卒試・書類・面接の3段階選考にすべきである(NEWSポストセブン)

まあ、この記事で主張されているのが、大学入試のグローバルスタンダードな姿である。特にこの人の独創というわけではない。しかしそういう基本的な知識を持たないだろうガラパゴスな反論がヤフコメに溢れかえるのは、いつもの光景なのであった。世間の前例主義を払拭しない限り、そう簡単に入試制度は変わらないですね。
まあガラパゴス自体が悪いわけではない。困るのは、それがガラパゴスだという自覚がなく、普遍的な見解だと勘違いしている場合だ。ガラパゴスであると自覚した上で、それが良いことだと主張するのであれば、まあ問題はない。

新聞やテレビを信じすぎる日本人の低い読解力(プレジデントオンライン)

PISA2018で日本の「読解力」が大きく低下したことに関する記事。要は、外国(あるいはPISA)が重要視している「批判的思考力」と日本文化の相性が悪いのが、日本の読解力が低下した要因と主張したいようだ。PISAに関する話を教育行政に限らず、日本文化全体の問題にしようという視点は、大事だと思う。

偏差値・東大至上主義をひっくり返す!? 教育現場のデータ化が起こす革命最前線(BUSINESS INSIDER)

非認知能力を数値化する技術が高まるに伴って、教育に関わる様々な常識が変わりつつある。この記事の指摘通りだ。教育学的につっこんで言えば、それによって「形成的評価」の精度と意義が格段に上がってきているということが重要なのだが。
ただそれが良いことか悪いことかについては、教育学の世界では20年ほど前から議論が積み重ねられてきている。批判の方向は2つあって、ひとつは「ハイパーメリトクラシー」が人格全体を消費することの善し悪し(たとえば松下佳代)、もうひとつは教育原理的に「教育の本質」を損なうという議論(たとえばガート・ビースタ)だ。
そして忘れてはならないのは、この傾向をビジネスチャンスと捉えて着々と準備を進めている勢力が存在することなのだ(具体的には、ベネッセですね)。

2020年は教育無償化が目白押し。知っておきたい“免除額”と“所得制限”(mi-mollet)

よく知られている通り、日本は世界一教育に税金を注ぎ込まない国だ。しかし雀の涙ほどの教育援助は出ている。とりあえず当事者は知っておかないと損をする。いやはや。

貧困・ひとり親家庭への支援が急務(ベネッセ教育情報サイト)

私の住む地域でも、子ども食堂や学習支援の輪が広がりつつある。実践的には地道な取り組みを応援しつつ、論理的には「自己責任論」の危険性をしっかり伝えていきたい。

ネットでも大炎上。川口市は『いじめ加害者』を守る地域なのか?(MAG2NEWS)

個別のいじめ事案に関しては、何が本当の事実かを正確に把握しない限り、なかなか見解を表明しにくい。いじめで苦しむ子ども(あるいは大人も)を一人でも減らすためにも、推移をしっかりと見守りたい。特に本事案では、「いじめ防止対策推進法」の内容と運用が議論の焦点になりつつある。教育学的にも、注目しなければならない。

子どもを「褒める」前に大切なこと(ベネッセ教育情報サイト)

アドラー心理学等でも言われていることではあった。私個人としても、実践的に有効なように感じる手法だ。

発達障がい者100人の声集め、ノートを開発(alterna)

発達障害者に使いやすいノートは、きっと全ての人にとって使いやすいノート。これが「ユニバーサルデザイン」の精神。読んで気持ちが良くなる記事。

「引きこもり」支援者に根強い“引き出せばいい”という錯覚の罪(DIAMOND online)

専門家の間ではほぼ常識になっていることが、なかなか一般に理解されないという感じではある。

日本人の英語強化に必要なのは入試改革だけじゃない(Newsweek)

まあ、ごもっともな見解だと思う。問題は、「じゃあどうすれば実現できるか」ではある。他人事ではなく、教育に関わるものとして私自身が考えていかなければならない。

筑波大の入試、身長・体重を受験生に書かせる(讀賣新聞)

正直、一読して意味がよく分からない記事だった。身長・体重を書かせることよりも、「大学入試を想定した技法ではない」という妥当性・信頼性の不明な心理テストを課していること自体がどうなんだって話にならないのね?

大阪市教委が学校統廃合を条例化へ 全国初「適正化で指導力向上」(毎日新聞)

学校の統廃合は、利権とか意地とか様々な要素が複雑に絡んで、大変なんだけれども。専門的な本(人口減小社会の公立小中学校の設計)も読んだことがあるけれど、本当に大変です。実質的にどう運用されるのか、注意して見たいところ。

【教育学でポン!?】2020年1月8日

毎日様々なニュースが流れてきますが、教育学を修めた立場として、それらをどのように理解したか、主観的な感想と見解を述べます。あくまでも主観的です。

教育全般

2020年、教育の改革はどうなるか(ベネッセ教育情報サイト)

英語4技能とか記述式撤回とかで大騒ぎしているマスコミの浮ついた論調とは異なり、落ち着いて教育改革の全体像を示している。とはいえ、世間がそうは受け取らないことは、ヤフコメ欄の浮ついたコメントの端々から伺うことができる。まあ、利権が絡んでいることが疑われている状況では、仕方ないのではあった。いやはや。

大学入試制度のゴタゴタは今年の受験生にも影響「安全志向」「推薦入試」が増えた?(MBS)

記事内では「安全志向」が今年から始まったかのように書いているが、間違いで、実際には去年から始まっているのだった。しかも受験制度のゴタゴタが原因ではなく、「大学入学定員の厳格化」が原因だ。「推薦入試」の増加も、今年からの傾向ではないし、ゴタゴタとは関係がない。事情に詳しくない人がいい加減に書き散らかしたように見える。

18歳の学力は世界一、でもその後は…日本の大学教育の「ヤバい現実」(現代ビジネス)

文部科学省がどのように大学に圧力をかけているか現状をご存知ない方が狭い視野で適当に書き散らかしたいい加減な記事に見える。

大学入試国語、問題文の著者本人が自ら解いて気づいた「読解力」の本質(現代ビジネス)

「極端な話、著者なんかどうでもいい」とか、「そういうゲームだし、そういうゲームでしかない」とか、とてもクールで、よく分かる。ただ、分かっている人には言わなくても分かるし、分からない人にはいくら言っても分からない、という類の題材のように思うのだった。

中学受験本番目前、進学塾「サピックス」に訊く直前期~前日の心得。3学期は登校させるべきか?(Forbes JAPAN)

ここ15年くらいで、中学受験の圧力がどんどん増えてきている。良いか悪いかは別として、そういう状況を端的に示した記事ではある。記事の内容自体は、落ち着いていて、悪くない。

参考書おじさん参上 書店で受験生に助言 香林坊で週1回奉仕(北国新聞)

おもしろい人がいるものだなあ。

競争激化、工夫重ねる私立校 独自のプログラム、自由な雰囲気… 「選ばれる学校」模索(熊本日日新聞)

学校も個性を打ち出す時代。そう言われ始めてすでに20年以上経っているわけです。

プログラミング教育が必修化。大事なのは「国語力」だという意外な事実(lifehacker)

まあ、教育学的観点から言えば、意外でも何でもないことではあった。
→参考:プログラミング教育とは何か?(小学校篇)

心病むケースも…新任教諭の退職相次ぐ 1年内に全国で431人(西日本新聞)

心が痛む、とても残念なニュースだ。そして「残念だ」とか他人事のように言っている場合ではなく、私も教員養成に関わる当事者の一人として頑張らなければならない。教員養成段階でできることは、「問題を一人で抱えないで、他人と感情を共有し、頼ること」の意義と有用性を多面的な角度から繰り返し言い聞かせることだろうと思っている。実例と理論を交えて授業の中で伝えていきたい。

「同期は皆、目が死んでいた」新任教諭の息苦しさ 6時出勤、叱責続きの研修…(西日本新聞)

まあ、昭和な体質が残っているところの話は、個人的にもいろいろ聞く。立場上具体的な話は出せないのだが、絶滅してほしい。

「ぼくは失敗作だ」活発だった僕が不登校を経て「ワクワク」できるようになるまで(石井志昴)

不登校と「起立性調節障害」の関係が言及されている。これで苦しんでいる子ども(あるいは大人も含めて)は、とても多いのではないかと思う。法律も変わって、多様な形の学びがこれから増えていくはずなので、救われる人が増えるといいなと思う。教員養成の授業の中では、「教育にはいろいろな形がある」ということを学生たちに伝えていきたい。石井氏が言うような「遅れを取り戻せる」ような教育の形は、不登校の子どもたちだけでなく、本来はすべての子どもに保障していきたいものだ。