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【紹介と感想】荒木紀幸『新モラルジレンマ教材と授業展開 考える道徳を創る(中学校)』

【紹介】新学習指導要領は「考え、議論する道徳」というキーワードを打ち出していますが、道徳の教科書は相変わらず特定の徳目を一方的に上から注入するような旧態依然のクローズエンド型教材に終始していて、これでは子供の道徳的判断力が育つわけがありません。本当に「考える道徳」を創るためには、教師や教科書が一方的にあらかじめ決まった答えを教えるのではなく、オープンエンド型の教材を使用し、子供たちが主体的に道徳的判断力を鍛えるような授業を行なうべきです。
本書は実際に中学校の道徳の授業で使用できるオープンエンド型の教材を多数用意し、授業の狙いや展開、板書の仕方、教材の特徴や注意点等を添え、「考える道徳」を創るためのヒントを提供しています。

【感想】これまで時間をかけて着実に積み重ねてきた実践経験を土台にしている上に、コールバーグの道徳性発達理論を背景にして議論を組み立てているため、論理的にも実践的にも説得力が高い。昨今の「道徳の教科化」によって、こういった説得力のある道徳的判断力養成のモラルジレンマ実践が増えるのか、それとも旧態依然の徳目注入主義が跋扈するのか、あるいは面倒臭い道徳教育を忌避する傾向が続くのか、実態を注目していかなくてはならない。

荒木紀幸編著『考える道徳を創る 中学校 新モラルジレンマ教材と授業展開』明治図書、2017年

【紹介と感想】『ある日、クラスメイトがロボットになったら!? イギリスの小学生が夢中になった「コンピュータを使わない」プログラミングの授業』

【紹介】プログラミング教育の本です。実際にイギリスで実践された授業の事例が豊富に示されています。特徴は、コンピュータを使わずに授業を行なうことです。
コンピュータを使わなくても、プログラミングに必要な能力は伸びます。たとえば、論理的思考能力や、粘り強くデバッグを行なう忍耐力や、アルゴリズムに関わる基本的な知識(逐次処理や条件分岐、プロシージャの概念)など、コンピュータ無しでも身につけることができます。そしてそれは、単にプログラミング教育だけでなく、ピアジェやヴィゴツキーが言うような、普遍的な認識能力の発展(構成主義)と密接に関連しています。

【感想】多少、上級者向けの本のような気がする。プログラミング教育の基本が分かっていない教師がいきなり本書を手にとっても、何を言われているのか理解するのは難しそう。逆に言えば、基本を理解していると、意味深い実践が行なわれていることに感心するはずだ。

私が驚いたのは、単にアルゴリズムの基礎だけではなく、インターネットの構造や仕組みや実際の働き方とか、あるいはパケットやルーターの概念とか、さらには暗号化の仕組みなど、ネットワークに関する知識を全面的に扱っているところだ。日本のコンピュータ教育はスタンドアローンの範囲で終わっているが、イギリスではネットワーキングこそが本質になっている。コンピュータについて詳しい人ほど、これらの実践に感心するだろうと推測するが、どうか。

ヘレン・コールドウェル、ニール・スミス『ある日、クラスメイトがロボットになったら!? イギリスの小学生が夢中になった「コンピュータを使わない」プログラミングの授業』学芸みらい社、2018年

【紹介と感想】『これで大丈夫!小学校プログラミングの授業』

【紹介】現場の教員向けに、実際の指導案を示しながら、プログラミング教育の具体的な計画や進め方を紹介している本です。学年は小学1年~6年まで、教科は国語・算数・理科・社会など、39の授業実践が紹介されています。いずれも机上の空論ではなく、実際に行なわれた授業の紹介となっています。
ありがたいのは、具体的な指導案があるだけでなく、実際に授業を進める上でのポイントや、授業を受けた児童の振り返り、さらに専門家からのアドバイスなどがあるところです。プログラミング教育に対してピンと来ていなかった教員も、これら指導案と授業進行を見れば、何をすればいいのか腑に落ちるかもしれません。
ということで、本書に紹介された授業の多くでは、実際にはコンピュータを使っていません。というのは、学習指導要領が求めているのは、あくまでも「論理的思考力」を養うことだからです。それは、コンピュータがなくても実践可能です。

【感想】まあ、とても分かる。現場の先生たちは、こういう本を待っていたんじゃなかろうか。よく分かるのは、実際の授業ではコンピュータを使用する必要はなく、教科教育の枠の中で「論理的思考力」を伸ばしていけばよいということだ。

しかしこの「論理的思考力」を伸ばす授業の実際が、とても興味深いのだ。そもそもプログラムを書くとは、
(1)目標を明確にする
(2)筋道を見透して計画を立てる
(3)小さなステップに分解する
(4)ひとつひとつのステップを適切に表現する
(5)着実に実行する
(6)結果を評価する
(7)目標に合わせて集成する
という一連の行為から成立しているわけだが、実はこの流れは、はるか以前から学校教育で黙々と行なわれてきたことのはずだ。教科教育にプログラミングの発想を組み込むことは、実はこれまで先生たちが行なってきた伝統的な教科教育を、改めて根本的に点検することでもある。つまりプログラミング教育とは、単に伝統的な教科に異物が付け加わることではなく、実は教科教育の本質に密接に関わってくるはずなのだ。
たとえば、授業で躓いている子供がどこに課題を抱えているかは、授業の流れを「小さなステップに分解する」と明確に見えやすい。分解された小さなステップを着実に実行していって、止まってしまったところが躓きの瞬間だ。ところが、授業の流れを大雑把にしか理解せず、小さなステップに分解できない先生は、子供がどこで躓いたかがサッパリわからない。子供がどこでどのように困っているかが、わからない。躓きの主観を捉えられない。しかし、先生が自分の授業をプログラミング教育の文脈で構成し直すと、小さなステップに分解してあるから、子供がどこで躓いたかが可視化される。問題が可視化されて、初めて具体的で効果的な指導が可能となる。教師は、自分の授業を「小さなステップに分解する」という作業を通じて、初めて自分が授業がどのような要素で成り立ち、どのようなシーケンスで組み立てられていたか、自覚する場合もあるだろう。つまり、その授業の本質がどこにあるのかが、プログラミング教育化の手続きの過程ではっきりと浮かび上がってくるということだ。これは学習指導要領が求めている「深い学び」を実現する上で、決定的に重要な観点となるだろう。

実は、プログラミング教育は、子供のために行なうだけでなく、先生たちの授業を合理化・工学化し、「深い学び」を実現する上で決定的に重要な役割を果たすかもしれない。コンピュータを使うか使わないかは、実は本質的な問題ではない。この本に示された数々の実践例を見て、そう思ったのだった。

小林祐紀・兼宗進・白井詩沙香・臼井英成編著監修『これで大丈夫! 小学校プログラミングの授業 3+αの授業パターンを意識する 授業実践39』翔泳社、2018年

【要約と感想】林竹二著作集7『授業の成立』

【要約】ソクラテスの問答法をベースにして、実際に小中学校で授業をやってみたところ、子供たちは活き活きとした表情で授業に参加しました。子供たちが授業に集中していたことは、感想からも伺うことができます。
一方、学校の先生たちがやっている授業は、子供たちを殺すような授業です。彼らは本物の授業というものをまったく理解していません。子供の発言が多ければ多いほどいい授業になると、根本的に勘違いしています。それは迷信です。子供の発言が少なくとも、子供たちが授業に入り込んで自分の問題として捉えることができれば、それはいい授業になります。
成績のいい子供を中心とした授業は、本当に勉強したいと思っている子供たちを振り落とし、子供たちを殺していきます。一人一人の子供をかけがえのない存在として認めるところから始めなければなりません。

【感想】授業中の子供たちの写真が、なによりも雄弁。批判者が言葉でなんと言おうと、子供たちの表情が説得力の源となっている。林竹二の授業は、きっと教室の中に浄化の空気を作っている。
ひるがえって、現場の教師たちに対する林の言葉は極めて厳しい。子供たちを殺しているのは教師であり、教師は加害者であると、糾弾して止まない。確かにそういう林の言葉に一理はあるが、反面、一理でしかないとも思う。きっと教師には教師の言い分がある。しかしその言い分は「子供のため」という言葉の前では、掻き消されざるをえない。
林の投げかけた問題は、現代でも間違いなく有効だ。ますます重要になっているとも言える。真剣に「教材研究」を行えば、確かに授業は良くなるだろう。アクティブ・ラーニングの掛け声が盛んな昨今、子供の発言が多い授業が必ずしも良い授業とは限らないという洞察も、個人的にはとてもありがたい。しかし、一人の教師にできることには、限界があるのも、また確かだと思う。

林竹二著作集7『授業の成立』筑摩書房、1983年

【要約と感想】林竹二『授業-人間について』

【要約】人間とは何か?をテーマにした授業を小学生にやってみたら、素晴らしい効果が上がりました。教育とは知識を教えこむものではなく、子供たち一人一人の可能性を引き出すものであることが、実践を通して改めて明らかになりました。

【感想】ソクラテスの対話法を実際に授業に適用したらどうなるか、という実践的興味を実行に移してみた、実践記録。本書には、実践記録:子どもたちの感想:理論的背景が配されており、実践の意味が重層的に理解できる。少々、自画自賛我田引水の印象もなくはないけれども、理論と実践が一体となった意欲的な試みが実際に遂行されたことの意義はとても大きい。いま文部科学省は「考え、議論する道徳」とか言っているけれども、すでに40年以上前にこういった実践があったことは思い返されてよい。逆に、先人が積み重ねてきた知見を無視しながら「考え、議論する道徳」とか言ってみても、うまくいくわけがないだろう。

林竹二『授業-人間について』国土社、1973年