【要約】嫌なものをムリヤリ学んでも、身につきません。楽しみましょう。役に立たないくらいが、ちょうどいいのです。
昭和ヒトケタ世代の経験を踏まえて、「学ぶ」とはどういうことかを考えた、講演とシンポジウムの記録です。
【感想】森節が炸裂して、河合隼雄のアクが目立たない感じの本であった。ちょうどいい。
合理化と経済化がますます加速していく昨今、こういう適当な本をのんびり読むような学生がいてくれると、安心なのだがね。
【今後の個人的な研究のための備忘録】
学力論争盛んな頃に出た本ではあるので、「学力」に関する興味深い言質をいくつか得た。
森節が炸裂している文章だ。「学力なしで何とかする学力」とは言い得て妙な表現に思った。もちろん前者の学力と後者の学力では意味する内容が異なっている。前者の学力は、受動的に知識を教えてもらうだけのものだ。後者の学力は、もっている力を能動的・総合的に活用して問題解決する力のことだ。だから正確に翻訳すれば、「教科書的な知識なしでも何とか目の前の問題を解決できる総合的な能力」となるだろう。
また工藤左千夫の「児童文化と学び」という文章は、なかなか興味深く読んだ。
「近代教育の目的は、「外部感覚」(観察力の向上)から「内部感覚」(感動を通しての心の活性化)へ移行するプロセスに人格の形成を展望したことである。心の感じ方は人それぞれであるが、この「それぞれ」の模索に「近代的自我」や「個性」などが語られた。」109頁
「自己実現」とか「人格」とか「近代的自我」という概念がコンパクトにまとまっているサンプルである。
それから、佐伯胖の論考は、とても勇気が出る。「できる」を中心に教育を語ることは、実は50年ほど前に一度流行って、そして認知心理学の興隆に伴って廃れた考え方だと明言しているのだ。
ところが実際にはそうでもないのです。「学ぶ」ということは、すべて「○○ができるようになること」であり、それを達成したら「学んだ」ことになり、それが達成されなければ「学んでいない」ことだという考え方は、意外に根強く私たちの心の奥底に根付いていて、私たちの考え方や生き方を支配しているものなのです。」133頁
認知心理学の第一人者の言葉として、文部科学省の役人に熟読吟味していただきたいものである。認知心理学の知見によれば、大学のシラバスを「○○できる」で統一するのは、実に奇妙で、馬鹿げている愚かで時代錯誤な行為なのだ。
そして佐伯による「学力」の定義も味わい深い。