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【福島県白河市】白河小峰城が震災から復興中

 福島県の白河小峰城に行ってきました。以前にも訪れたことがあるのですが、様子はずいぶん変わっていました。まず、白河小峰城のシンボル、三重櫓に入れるようになりました!

 白河小峰城の三重櫓は、秀麗な姿をしています。気品を感じさせます。が、3年前は復興工事中でした。下の写真は2014年9月に撮影したものですが、白河駅から工事中の様子が見えます。三重櫓を工事用足場がすっかり囲み、巨大クレーンが作業しています。

 しかし3年経ち、見事に三重櫓復活。白河駅のホームからも、その勇姿を拝むことができます。

 うん、素晴らしい。
 が、まだまだ復興の道のりは遠いようです。訪れた時も、各所の石垣を積み直しているところでした。完全復活まで、あと半年はかかるようです。

 本丸から北側を見ると、石垣の斜面に足場を組んで、巨大なクレーン車が石を積み上げているところが見えました。今も復興作業が続けられている様子が分かります。

 城の北側には水堀もよく残っています。たくさんのおじさんたちが釣りを楽しんでいました。水堀越しに見る三重櫓も、かっこいいですね。

 城の東側の丘陵には、戊申戦役で亡くなった薩摩藩士の墓がありました。

 白河口の戦いは、大激戦でした。明治政府軍の死者も多かったようです。
(2017年9/5訪問)

 さて、今回は訪れなかったのですが、3年前には少し離れたところにある白川城にも行ってきました。白河小峰城は平山城ですが、白川城は山城です。本丸までは、ほぼ、ただの山登りになります。中世の城跡で、堀や曲輪の跡などを良好に観察することができます。

 が、地震の爪痕濃く、石碑や墓石が倒れたままになっていました。今はもう復旧しているのかな。

 南湖公園にも足を伸ばしました。

 が、南湖公園(江戸時代に作られた日本初の公園)の畔、南湖神社(御祭神は松平定信)の石碑や墓石も地震で倒れたままになっていました。こちらも、今は直っているのかな?

 白河藩主松平定信もびっくり。

 南湖神社に訪れたのは、大鳥居が復旧した後でした。いろいろなところを順番に直していっているのですね。3年前には宝物館は閉まっていましたが、今は再オープンしているようです。また行かなくては。

 小峰城のほうは、とても素晴らしい状態で復興されていました。鉄筋コンクリートではなく、木材で温かみのある作りになっています。

 お城の復興と言えば熊本城にスポットが当たる昨今です。熊本城の復興も心待ちにしていますが、福島のたくさんのお城が大打撃を受けて、現在進行形で復興の努力が続けられていることも広く知ってもらいたいなと思いました。
(2014年9/20訪問)

【神奈川県小田原市】石垣山一夜城は、相模湾を一望する見晴らしと石垣がすごい

温泉に浸かった後は、小田原城を眼下に臨む、石垣山一夜城に行ってきました。相模湾を一望できる絶好のロケーションです。

豊臣秀吉が天下統一の総仕上げとして小田原城を攻める際、まるで一晩で城を作ったように見えたことから「一夜城」と呼ばれたところです。伊達政宗が死に装束パフォーマンスを見せたり、家康に関東移封を命じたり、忍城や八王子城の伝説ができたりと、様々な人間模様が演じられた場所ですね。

JR早川駅の案内板には「入口」などと書いてあるけれども、ここから徒歩45分。4年前は石橋山古戦場から1時間くらい歩いて石垣山城に行きましたが、今回はタクシーであっと言う間に城跡へ。

石垣山城の本丸からは小田原城が丸見えです。秀吉と家康は、ここで小田原城を眺めながら「三河の連れション」をしたのでしょうかね。

今回は小田原城には行きませんでした。こちらは4年前に訪問したときの小田原城天守閣。まあ、江戸時代になって組み直した小田原城に魅力を感じないのは、きっと仕方ない。天守閣も鉄筋コンクリートだしなあ。

石垣山城のほうは、400年経って石垣も崩れてしまっていますが、郭の形など当時の面影をかなりよく残していて、見応えがあります。二の丸から本丸を臨むの図。

井戸郭の石垣は壮観でしたね。この石垣は小田原城に見せつけるためのものではないので、単純に土木工事上の要請から作られたのかな。

石垣山城の隣にある鎧塚ファームには、川島なお美さんの慰霊碑ができていました。4年前訪れた時には、当然なかった。三河人にとってみれば、お笑いマンガ道場での活躍がとても印象に残っています。

鎧塚ファームでは、おいしいケーキが食べられるのはもちろん、新鮮な野菜も激安価格で売っています。

ということで、小田原に観光に来て小田原城しか見ないのは、かなり残念なことをしています。鉄筋コンクリートの小田原城天守閣に登るよりは、石垣山城本丸から小田原城を見下ろす方が遙かに感動的です。小田原駅からタクシーで2,000円弱、早川駅からは1,000円強で行けるし。

北条早雲の頃の小田原城は面影も何もないわけだしなあ。そんなわけで、鎧塚ファームで美味しいソフトクリームを食して小田原を後にしたのでした。
(2017年8/25訪問、2013年4/13訪問)

【福島県いわき市】白水阿弥陀堂と磐城平城

 福島県の浜通り、いわきにある白水阿弥陀にお参りしてきました。

 湯本駅には安定の顔出しパネル。いわきは「フラのまち」で売っていますが、今回はパスして、寺。

 タクシーに乗ったら、ラジオから夏の甲子園の中継が流れていて、ちょうど福島県代表の試合中でした。したら、タクシーの運ちゃんが「11年連続で福島なんだよね」って話しかけてきて、何を言われているかまるで分からずに首をかしげていると、「昔は磐城のが強かったんだけどね」と言われて、ようやく合点がいきました。福島県代表の話で、浜通りが中通りにずっとやられているのを嘆いていたのでした。県内で地域対抗意識が強いんですねえ。タクシーの運ちゃんがアロハシャツを来てハワイアンを演出していたのも印象的でした。

 白水阿弥陀堂は、平安後期の建物で、福島県内の建造物では唯一の国宝指定です。周囲を囲む浄土式庭園も美しく、たいへん落ち着く空間でした。室町以降の枯山水庭園の美に慣れていると、浄土式庭園の様式美には多少の違和感を覚えたりもしますが。

 で、阿弥陀堂の近くに炭鉱跡があるということで、ぐるっと歩いて廻ることにしました。

 「石炭の道」遊歩道の看板がありました。道が整備されているようですね。

 ウソでした。道は整備されていませんでした。草が生い茂り、足下はぬかるんでいます。樹も倒れて道をふさぎっぱなしです。本当に先に進んでいいのか?

 昭和30年代まで実際に稼働していた「通勤山道」は、もはやただの登山。革靴で突入するところではありません。Googleマップで見ると、道が途切れていました。が、実際にはちゃんと道が繋がっていましたので、これから行かれる方は安心して突入してください。

 ところで、高校野球で磐城と言われて連想するのは、ドカベン一年生の夏に決勝で戦った、いわき東高校の緒方勉くんですね。お父さんが出稼ぎでツルハシを振るったり、地元の鉱山が廃坑になったりと、高度経済成長を象徴するようなエピソードが満載でした。親父さんがラジオの高校野球中継で息子の活躍を聞き、涙を流しながらツルハシを振るう姿は、経済成長を最底辺で支えた人たちの象徴的な姿のように思います。

 いわき東高校は、実際に1971年に夏の大会に出場して決勝まで進んだ磐城高校がモデルになっています。さらに磐城高校のエースが、里中君のモデルなんだよね。そんなことを思い出しながら、通勤山道を登山。

 炭鉱地帯を抜けて、バスに乗って、いわき駅へ。いわき駅の駅前は、磐城平城の跡になっています。北口を出ると、既にかなり高低差があって、城の立地条件として恵まれていたことが分かります。

 が、本丸は私有地につき、入ることができませんでした。残念。イベントなどが開催されているときに限って入ることができるようです。

 本丸と二の丸を分断する堀は、公園として残っていました。高低差が激しく、かなり立派な堀です。さすが伊達氏への抑えとして機能することが期待されていただけのことがあります。いちど本丸に入っておきたいなあ。
(2017年8/10訪問)

鵜殿の野望【第三章】上ノ郷城で徳川家康と戦う

 三河鵜殿氏の本拠地「上ノ郷城」は愛知県蒲郡市にあります。蒲郡駅から北に2kmくらい行ったところです。桶狭間の戦いと絡むので、様々な歴史ドラマでも触れられる城です。
 2020年1/22放送の『歴史秘話ヒストリア』では、極めて防御の堅い城として登場しました。(ただ、忍者が落としたという点では、私の解釈とは異なる話になっていましたが)
 2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』8~11話では、今川家が三河に侵攻しますが、その三河攻略最前線基地の一つとなっていたのが、この鵜殿氏が治める上ノ郷城です。城主の鵜殿長照は、義元の妹を嫁にもらうほど信頼されていた武将で、長年にわたって三河の松平諸家と抗争を繰り広げています。

 さて、鵜殿氏はもともと熊野を本拠地としていましたが、室町時代には蒲郡に進出しています。いつ来たのか、正確な時期と理由は分かりません。

 私が勝手に推測するに、おそらく熊野大社が所有する荘園を管理する地頭としてやってきて、次第に地元に根づき、最終的に今川義元の配下に入ったのでしょう。周りにはなんとなく熊野大社ゆかりの神社もあるみたいですし。

 さて、温室ハウスが広がる畑を抜けていくと、城の案内看板があります。

 「上ノ郷城跡を愛する会」が設置した縄張図の案内板もあります。地図を見ると、城は北東南の三方を川に囲まれた舌状台地の端にあって、自然の要害であったことが分かります。

 下から見上げた上ノ郷城の本丸。当時はもっと高い土塁や土塀があったんでしょうけど、今は一面に雑草が生い茂って、諸行無常の響きあり。

 登城口。城はミカン畑になっていて、水撒き用のホースに併走して登っていきます。石垣は当時のものではなくて、ミカン畑を造成するために造られたものでしょう。

 いよいよ本丸に入る虎口の脇に、赤い木の案内がありました。青い空と緑の雑草に、素朴な赤い案内柱が映えます。

 本丸には詳しい案内板があります。鵜殿氏は蒲郡の王者だったんですね。注目すべきは、1562年、すなわち桶狭間の2年後に鵜殿氏と徳川家康が戦っていることです。桶狭間で義元が討ち死にした後も、鵜殿氏は今川家に忠誠を誓っていたんですね。今川義元の妹を嫁にもらっていたので、逃れられなかったのでしょう。

 さておき、徳川家康の三河統一の過程において、鵜殿氏が三河一向一揆と並んで最大の敵であっただろうことが分かります。そして1562年に上ノ郷城が落城した際、鵜殿長照の息子2人氏長と氏次が捕えられます。氏長と氏次は、今川家に捕えられていた家康の正室築山殿(瀬名)と人質交換されます。
 近年では2017年の大河ドラマ『おんな城主直虎』でエピソードとして扱われました。2020年1/22放送『歴史秘話ヒストリア』では、家康はそもそも人質交換を狙いとして上ノ郷城を狙ったことになっていました。新解釈です。

 さて、本丸から南を臨むと、遠くに三河湾が見えます。三方を山に囲まれ、南側だけ海に開けている蒲郡の地形は、鎌倉の地形を思い起こさせます。守るに易く、攻めるに難い、本拠地としては最高の立地条件ではないでしょうか。家康がこの城を落とすのに手こずったのも、よく分かります。「忍者が活躍したこと」については、いろいろ面白いエピソードもあるので、また別の機会に。

 雑草が生い茂る本丸に立ち、遠く三河湾を眺めていると、つわものどもが夢の跡。ここから見る月は、とても美しそうです。

蒲郡市博物館:上ノ郷城跡を愛する会
蒲郡市博物館:上ノ郷城跡ってなに?(こども向け)

鵜殿の野望シリーズ

【第一章】鵜殿城という城がある
鵜殿一族は、平安時代に紀伊半島の熊野大社に関わる海賊として頭角を現します。

【第二章】鵜殿氏一門の墓
大坂夏の陣で滅びた鵜殿一族の墓を、現在も地元の人が大切に管理してくれています。

【第三章】上ノ郷城で徳川家康と戦う
鵜殿一族は、戦国時代に今川義元配下の武将として頭角を現し、徳川家康と死闘を繰り広げます。

【第四章】桶狭間の合戦で活躍・・?
桶狭間の合戦においても、鵜殿氏は重要な役割を果たしています。

【第五章】蒲郡に君臨する鵜殿一族
愛知県蒲郡市には、鵜殿一族が構えた城の痕跡がいくつか残されています。

【第六章】吉田城と鵜殿兵庫之城
鵜殿氏は、徳川家康との戦いの末、愛知県豊橋市に残る吉田城にも立て籠もります。

さらに続く。刮目して待て??

鵜殿の野望【第一章】鵜殿城という城がある

 鵜殿一族は、紀伊半島の熊野地方出身の、海賊でした。その痕跡が、鵜殿城にあります。
 鵜殿城は、熊野川の河口にあります。熊野川は、三重県と和歌山県の県境を流れています。

 JR鵜殿駅を降りてから、徒歩15分くらいで鵜殿城に着きます。本丸までは、基本的にただの山登りです。
 下の写真が、鵜殿城の本丸です。

鵜殿城本丸

 うーん、何もありません。というのも、400年前には廃城になっているのです。大坂夏の陣で紀伊の鵜殿一族は豊臣方に付いてしまったせいで滅びてしまい、お城も400年のあいだ野ざらしになっていた模様です。

 が、城マニアが見ると違います。堀切や土塁跡など、遺構を比較的良好に観察することができて、大興奮です。

 水軍の城ということで、本丸からは熊野川と太平洋がよく見えます。どこから敵が攻めてきてもすぐに発見することができます。なかなか良い立地条件です。

鵜殿城本丸から太平洋を臨む

 右側に見えるのが熊野川の河口です。訪問日には川の水が茶色く濁って見えましたが、たぶん前日の雨のせいで上流から大量の土砂を運んできたためでしょう。遙か彼方に見えるのが熊野灘の水平線です。真ん中に見えるのは製紙工場。

 本丸には、鵜殿城の案内看板が立っています。鵜殿一族の経歴も分かります。

鵜殿城の案内版

 夏の日差しが強すぎて、写真では看板の一部が読めませんが…。

 書いてあることをまとめると。
 鵜殿一族は、平安時代末期から南北朝期にかけて、この城を中心として活動します。室町時代には海を渡って三河に移り、蒲郡を中心に勢力を拡大することになります。紀伊半島と蒲郡は、今の感覚でいうと遠い気もしますが、当時は陸よりも海上交通が重要だったことを考えると、実は直接的に繋がっているのです。
 しかし、蒲郡に移った鵜殿氏は桶狭間の後に徳川家康に敗れて衰亡し(1562年)、熊野に残った鵜殿氏は大阪夏の陣(1615年)でまたもや徳川家康によって滅亡します。徳川家康、断固許すまじ。

 実は2016年の大河ドラマ『真田丸』では裏で熊野鵜殿氏が滅亡していて、2017年の大河ドラマ『おんな城主』では裏で蒲郡鵜殿氏が滅亡していたのでした。鵜殿の野望は夢半ばにして潰えたのでありました。残念無念でありました。
(鵜殿城には2016年8月訪問)

鵜殿の野望シリーズ

【第一章】鵜殿城という城がある
鵜殿一族は、平安時代に紀伊半島の熊野大社に関わる海賊として頭角を現します。

【第二章】鵜殿氏一門の墓
大坂夏の陣で滅びた鵜殿一族の墓を、現在も地元の人が大切に管理してくれています。

【第三章】上ノ郷城で徳川家康と戦う
鵜殿一族は、戦国時代に今川義元配下の武将として頭角を現し、徳川家康と死闘を繰り広げます。

【第四章】桶狭間の合戦で活躍・・?
桶狭間の合戦においても、鵜殿氏は重要な役割を果たしています。

【第五章】蒲郡に君臨する鵜殿一族
愛知県蒲郡市には、鵜殿一族が構えた城の痕跡がいくつか残されています。

【第六章】吉田城と鵜殿兵庫之城
鵜殿氏は、徳川家康との戦いの末、愛知県豊橋市に残る吉田城にも立て籠もります。

さらに続く。刮目して待て??