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【要約と感想】沓掛良彦『エラスムス―人文主義の王者』

【要約】エラスムスは16世紀北方ルネサンスを代表する知識人ですが、ラテン語が死語となったのに伴って忘れられ、現代日本ではルターとの比較で語られるくらいで、文学的業績についてはほとんど知られない人物となりました。様々な貌を持つエラスムスのうち、特に人文主義者としての活動に焦点を当て、著作、往復書簡を材料にして、人となりや業績について紹介します。詩はヘボだし、キリスト教に関わる著作は退屈ですが、流暢なラテン語とギリシア語を駆使して風刺的文学の傑作を遺したり、ギリシア原典から聖書を校訂したのは歴史に残る圧倒的な仕事で、書簡文学者としてもユニークです。エラスムスは、世界市民的な平和主義者として、そして普遍人文学的な知性として、現代でも読み継いでいく価値が大いにあります。

【感想】「ルネサンス」に対する理解を深めようと手に取った本で、期待に違わず勉強になった。東西の古典に通じた著者の語り口が、重厚な語彙を駆使している割に軽妙で、心地よかった。日本語が巧い。
 ただ、キリスト教に関わる諸々を「退屈だ」としてスッパリ切り落とし、人文主義的な側面に限って話を進めたことについては、意図そのものは分からなくもないけれど、個人的にはかなり食い足りないものを感じてしまう。というのは、個人的に興味関心のある「ルネサンス」とか「人文主義」というものを本質的に理解しようとする時、どうしてもキリスト教との絡みが外せなくなるのだ。そこを削られると、痒いところに手が届かない。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンス
 ということで問題はルネサンスというものの理解だ。16世紀に活躍したエラスムスはトマス・モアと並んで「北方ルネサンスの二大巨頭」と呼ばれる。ギリシア古典に精通していたという意味においては確かに「人文主義」ではある。

「エラスムスの在世中だけでも六〇版、一六世紀中に実に一三二版という、当時としては破格の大ベストセラーとなったこの書物[『格言集』]は、ギリシア・ローマ世界全体の俯瞰図として、古典の知識の普及という面において、ヨーロッパ全体に絶大な影響を及ぼし、古代ルネッサンスをつなぐ重要な役割を果たした。極言すれば、この書物は、古代近代をつなぐ役割を果たしたということになる。」130頁

 しかしエラスムスは、果たして現代の我々が言う「人文主義」的な関心からギリシア古典に触れたのだろうか? 私が見るところ、エラスムスはキリスト教のありかたには徹頭徹尾こだわっている一方で、「神から人間を解放」しようなどとは一切していない。その姿勢は私が理解する「人間中心の人文主義」ではなく、中世キリスト教の勢力圏ド真ん中にある。
  確かに「頑迷固陋」なスコラ神学から異端宣告されるなど、エラスムスの考え方はカトリックの教義とは明らかにズレている。しかしそれは「人文主義」的な関心から生じたカトリックへの反抗と理解していいのかどうか。そもそもスコラ神学自体が11世紀頃にまでしか遡れない、歴史の浅い派閥に過ぎない。スコラ神学に逆らったからといって、直ちにルネサンスの仲間に入れて大丈夫なのか。またたとえば具体的には1453年に滅亡したビザンツ帝国との関係はどうだろう。ビザンツ帝国滅亡はエラスムスが生まれる10年少々前の出来事であり、存命中にはヨーロッパ全土にビザンツ帝国の記憶が生々しく残っていたはずだ。さらに言えば、確かにビザンツ帝国は滅びたものの、東方ギリシア正教会そのものはコンスタンティノープルからキエフやモスクワへと本拠地を移して生き残り、ギリシア語で組み立てられた東方キリスト教は21世紀の現在もロシア正教となって健在だ。もちろんエラスムス存命中にも活動している。だとしたら、パリ大学を始めとするスコラ神学がエラスムスを警戒したのは、それが人文主義的だからというよりも、現在進行形で敵対していた東方ギリシア正教会に連なるものだったからという可能性はないだろうか。また逆に言えば、エラスムスの関心も、従来言われているようにギリシア古代の「古典」そのものにあったというより、現在進行形で問題となっていた「分裂した東西キリスト教会の再統合」にあった可能性はないのだろうか。実際15世紀にはフィレンツェ公会議において再統合への試みが引きつつき行なわれている。そう考えると、西ローマ帝国以後のカトリック教会で独自に進化した「修道会」等の制度や儀礼に対してエラスムスが冷淡なのも説明がつきやすい。エラスムスが繋ごうとしていたのは、具体的には「古代と近代」ではなく、「東と西」だったのではないだろうか。
 ちなみに本書には以下のような記述がある。

「異教の古典を重んずる古典尊重、古典主義と、キリスト教精神を融合させようとするいわゆる「キリスト教人文主義(humanismus Christianus)はペトラルカ(1304-74年)にはじまるとされるが、ペトラルカが異教ラテン世界に深くのめりこんでいったのに対し、エラスムスが早くから、「よき学問」を、あくまで神学・聖書研究のための予備課程としてとらえ、副次的なものに位置づけていたことは注目される。」22頁

 どうだろう、私の印象では、ペトラルカもエラスムスと同じく、異教ラテン古典を「神学・聖書研究のための予備課程としてとらえ、副次的なものに位置づけて」いる。深くのめり込んでいるような印象はない。そしてペトラルカ存命中はもちろんビザンツ帝国も健在で、ビザンツから訪れたギリシア知識人とペトラルカは実際に交流していたりもする。だとするとペトラルカのギリシアに対する関心も単なる古典教養趣味というよりは、同時代的な大問題である「東西協会の分裂」という現実に規定されていたと考えるのが自然ではないだろうか。東方からもたらされるギリシア古典そのものに魅了されたのは間違いないとしても、それは伝統的なカトリックの勢力圏内で咀嚼されたのではないだろうか。そしてその事情は、エラスムスにとっても同じような気がする。

【今後の研究のための備忘録】印刷術
 ただしエラスムスがペトラルカと明らかに異なる文脈に位置付くのは、印刷術のせいだ。ペトラルカの時代にはなかったテクノロジーによって、エラスムスはインプット(ギリシア語原典へのアクセス)でもアウトプット(著書や手紙の印刷出版)でも、かつて誰も持つことを許されなかった巨大なアドバンテージをフル活用できる立場にある。

「エラスムスがその在世中に名高い存在となり、ヨーロッパ全土に影響力をもつ存在となったのは、彼が書簡を含む全著作を、当時のヨーロッパ知識人の共通語であり国際語であったラテン語で書いたためであるが、またひとつには、当時における印刷術の急速な発展と出版業の興隆という事情も加わっていた。」13頁
「エラスムスの膨大な著作が広く流布し、影響力をもつに至ったのは、やはり印刷術の進歩によるところが大きい。この空前の多作な著者が執筆生活に入った時代は、ちょうどヨーロッパで印刷術が発達完成し、それまでの手写本に代わって、活字本が多量に刊行された時代でもあった。エラスムスこそは、まさにその活字本の申し子であって、その著作活動は、彼が深くかかわったヴェネツィアのアルド・マヌーツィオの印刷工房や、バーゼルのフローベンの出版事業と緊密に結びついていることを見逃してはなるまい。」14頁

 だがしかし、ここでは印刷術を脇役として話が進むが、実は16世紀ルネサンスの本丸は「印刷術」であって、ダンテやペトラルカの14世紀イタリアから16世紀のエラスムスやトマス・モアに関わるいわゆる「人文主義」は、ビザンツ帝国やイスラム世界の存在を背景とするいわゆる「12世紀ルネサンス」に連なる中世的な事象ではないだろうか。エラスムスは「近代の始まり」ではなく「中世の終わり」を代表している可能性はないか。その場合、もちろん「近代の始まり」のメルクマールは「印刷術」であって、エラスムスがその恩恵を受け効果を発揮した「活字の申し子」なのは間違いないとしても、「近代の始まり」はルターによって「ドイツ語」で活字出版された聖書になるのではないか。あるいは「近代の始まり」をペトラルカやエラスムスのような人文主義者に見たがるのは、同じく読書人の系譜に連なる近現代の知識人や研究者の過度な思い入れに過ぎず、近代はもっと身も蓋もないところ(たとえば俗語と金にまみれた低俗ジャーナリズム)から始まったりはしていないか。たとえば同時代に激しく進行していた「大航海時代」の影響が人文主義の文脈で顧みられない(トマス・モア『ユートピア』除く)のは不気味だ。実は資本主義の急速な進展と国民国家の形成が、人文主義の動向などとは無関係に、身も蓋もなく近代(無神論・唯物論・俗世主義)を推し進めていくのではないか。トマス・モアが『ユートピア』で喝破した「囲い込み」に象徴される資本の本源的蓄積について、エラスムス他の人文主義者はそれが将来何をもたらすか予見できていたか。

沓掛良彦『エラスムス―人文主義の王者』岩波現代全書、2014年

【要約と感想】ペトラルカ『無知について』

【要約】若い者4人に「無知」だと決めつけられてしまいました。いや結構、確かに私は無知です。しかしそれは、若い者4人が考えるような意味の無知ではありません。本当の「無知」とはどういうことなのか改めて考えてみれば、我々人間など、神様の前ではみんな無知です。というか、若い者4人はアリストテレス主義にかぶれてしまい、甚だしい勘違いと思い上がりによって、神様の素晴らしさを忘れ去っています。神様をあざ笑い、信仰厚い人々を「無知」と決めつけてあざ笑うくらいなら、私は無知で結構です。知者であることよりももっと大切なものがあります。

【感想】イタリア・ルネサンスを代表する詩人との呼び声が高いペトラルカの本を初めて読んだわけだが、いろいろ印象が変わった。まずペトラルカ自身について、ルネサンス人というよりは、中世人の印象が強くなった。心からカトリックを信仰しているように見えた。確かにルネサンスの特徴である人文主義的な教養は炸裂しているのだが、それは16世紀ルネサンスのように「人間」に関心の焦点を当てたものではなく、あくまでもカトリック教義に付随するものと扱われている。ペトラルカがプラトンに関心を示してギリシャ語を学び原典を読もうとしたのも、人文主義的な関心というよりは、当時まだ大きな影響を持っていた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)との関係が決定的だろう。ビザンツ帝国の存在を忘却して単純なヨーロッパ主義に陥れば「ヨーロッパの原点であるギリシアに遡ろう」というルネサンス文脈に回収できるのだろうが、ペトラルカが生きていた14世紀にビザンツ帝国が君臨していたことを踏まえれば、ギリシアへの関心は東西キリスト教会の分裂という同時代の問題が前提にあるに決まっている。しかもペトラルカはビザンツ帝国の知識人との交流が実際にあったのだから、古代へ遡ろうという人文主義的な関心ではなく、同時代的な問題解決への関心がないはずがない。ペトラルカをルネサンス人に規定してしまうのは、単に「ビザンツ帝国の存在を忘却し、単一のヨーロッパを実体化しよう」という欲望に基づくように思える。改めて、ペトラルカを何の考えもなしにルネサンスの文脈に落とし込むのは、なかなか危険なように思う。

  さらに問題になるのは、ペトラルカを誹謗中傷したという4人の若者だ。もちろん本書内ではボロクソにこき下ろされているわけだが、むしろこの4人のほうがルネサンス人ではなかったのか。本書内ではこの4人がアリストテレスに心酔し、カトリックの教義に対して冷淡で、「唯物論」的で「無神論」的な傾向にあったことが仄めかされている。中世カトリック信者から見ればとんでもない瀆神者になるわけだが、現代から見ればむしろ唯物論的な世俗感覚を持つ人間のほうが大多数を占める。本書は「アウグスティヌスをバカにするな」と繰り返し主張するが、しかしアウグスティヌスはあまりにも荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい幼稚な奇跡を信じていて、現代的感覚から見ると目を覆うほど「愚か」で「無知」に見える。少なくとも私にはそう見える。そしてペトラルカを「無知」と決めつけた4人にも、既にそう見えていた。だとしたら、こっちの4人こそが真性の「近代人」だ。
(ちなみに150年ほど後のイタリア、ピコ・デラ・ミランドラの甥であるジャン・フランチェスコ・ミランドラは同様にアリストテレスを批判して「聖なる無知」を礼賛するが、その信仰絶対主義に基づいた理性への懐疑は同時期の宗教改革に対する反動としても役割を果たすことになる。)
 しかも解説によれば、4人はヴェネツィアというグローバル商業都市に経済的基盤を持っていた。とういことは、カトリックの中世的世界観を覆すために必要な社会経済史条件が揃っていた可能性が高い。ペトラルカが評価しないアヴェロエス主義は、むしろアリストテレスに基づいた実証主義の精神で以てヴェネツィアの経済的繁栄を支え、近代へ向かう足がかりになったのではないか。だとすれば、グローバル経済に足場を置いて実証主義を唱える4人を敵視するペトラルカの方が保守反動だ。
 またあるいは例えばペトラルカはこの4人が「ラテン語を扱えない」ことを馬鹿にするが、グローバル商業都市を基盤とした商業活動を前提にすれば、むしろ「ラテン語はオワコン」というのが共通理解になってくる。グローバル経済圏の中心であるヴェネツィアで唯物的経済生活を駆動させる商業資本から見れば、ラテン語よりもアラビア語の方が圧倒的に重要だ。実際、17世紀が終わる頃にはジョン・ロックが「ラテン語はオワコン」と主張するようになる。ラテン語に固執するペトラルカの態度は実は単なる保守反動で、ラテン語なんか気にしない4人の態度の方が近代的ではないのか。ここまでくると、4人がペトラルカを「無知」と決めつけたのにも、相当の社会経済史的理由があるように思えてくる。

 というわけで、本書から見えてくるのは、ペトラルカ自身はルネサンス人でも何でもないが、同時代には確かに近代(神を必要としない唯物的世界)に向けた地殻変動が起こりつつあった、という事実だ。そしてペトラルカの証言が確かであれば、無神論的傾向の助長にはアリストテレス主義が決定的に関わっている。そしてそれはいわゆる「12世紀ルネサンス」に属する事項だ。そしてそのアリストテレス主義がアヴェロエス主義という形でイスラム世界からもたらされ、13世紀にはトマス・アクィナスが真剣に対峙して新境地を開拓することを思えば、教科書的に「ペトラルカはルネサンスを代表する人文主義者」などと呑気に言っている場合ではなく、むしろ12世紀以来200年近くに渡って成長しつつあった近代化傾向に対して冷や水を浴びせる体制内保守派知識人として理解するべき人物かもしれないのだが、どうなのか。
 だからペトラルカに対する評価は、彼のプラトンやキケロに対する興味関心が何処から生じたかが決定的な問題となる。単純に人文主義的な興味関心とするなら、確かにルネサンス文脈に回収できる。しかし12世紀ルネサンスを踏まえて、ビザンツ帝国の存在を視野に入れると、別のストーリーも出てくる。思い出すのは、ペトラルカのギリシア語の師匠(1342年頃)であった修道士バルラームが、かつてビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで宰相の知遇も得て活躍した(1330年頃)果てに、ヘシュカスモス(静寂主義)という神秘主義的教義論争に巻き込まれて失脚した(1342年)という経歴だ。ペトラルカがバルラームから学んだのはギリシア語だけだったのか。さてはて。

 ちなみに本題である「無知」については、哲学史を多少でも齧っていれば直ちにソクラテスの「無知の知」を想起するはずだ。もちろんペトラルカもソクラテスに言及する。ただし本格的に掘り下げていないのは、プラトンの著作が伝わって間もないので仕方がないところではある。むしろペトラルカが依拠するのは、アウグスティヌスの論理だ。この「知」よりも「愛」のほうが大事という論理は、哲学の語源が「知を愛すること」であったことを思えば、実はソクラテスにも通ずる話ではある。改めて、「無知」というテーマが哲学的にも教育学的にも極めて重要であることを認識したのであった。

【今後の研究に対する備忘録】
 本書の本筋とはあまり関係ないところだが、私の興味関心にとっては都合のよい言質なのでサンプリングしておくのだった。

「けだし真の神は唯一でしかありえず、どこにおいても自己より大きくも小さくもなく、どこでもつねに同一の自己です。ときによって自己と異なることも異なったこともありえません。」89頁

 カトリック教義の本丸で、もちろんペトラルカだけがこう考えているわけではない。誰もが繰り返しこの「同一性」の教義を述べているということを知っておくことに意味がある。

「とはいえ、教えること自体も技術的熟練を必要とします。なぜなら、キケロが『法律論』第二巻で言うように、「なにかを知っていることだけが技術ではなく、教えることもなんらかの技術なのです」(第一九章四七)。しかしこの技術はむろん知性と学知との明晰さにもとづいています。じっさい、自分の考えを表現して他者の心にきざみつけようとすれば学知のほかにもこの種の技術が要求されるとしても、しかしいかなる技術も明晰でない頭脳から明晰な弁論を生み出すことはないでしょう。」100頁

「わたしの見るところ、アリストテレスはたしかに、徳をみごとに定義し、分類し、するどく論じ、さらに悪徳や美徳のあらゆる特質についても論じています。それらを学び知ったとき、わたしの知識は以前よりすこしばかり増えます。しかし魂は以前のまま、意志ももとのままで、わたし自身は変わりません。知ることと愛することとは別であり、理解することと意志することは別なのです。かれはたしかに、徳とはなにかを教えてくれます。しかし徳を愛し悪徳をにくむよう、ひとの心をかりたてたり燃えたたせたりする、ことばの力や炎が、かれの論述には欠けています。あるいは、ごくわずかしかそなわっていません。
 そのようなことばの力や炎をもとめるひとは、これをわがラテン作家たち、なかでもキケロとセネカに見いだすでしょう。」113頁

 ペトラルカはアリストテレス主義に対してプラトン及びアウグスティヌスを対峙させて、攻撃する。それに加えて、キケロやセネカなど「ラテン作家」を持ち出して、アリストテレス主義を攻撃する。前者と後者では、攻撃の意味合いが異なる。
 プラトンとアウグスティヌスを持ち出すときは、アリストテレス主義の唯物論的傾向が批判の対象となる。プラトンのイデア論を、ペトラルカは神に近づいた認識として好意的に記述する。
 一方ラテン作家を持ち出すときは、文体と雄弁が問題の焦点となる。現代風に言えば「コミュニケーション論」ということになるか。近代化が進展するに伴って「雄弁」の意義が忘却されていくように個人的には思えて、ペトラルカのように「雄弁」の意義を強調する議論に触れると、なんとなく中世的な匂いを感じてしまうのであった。

ペトラルカ・近藤恒一訳『無知について』岩波文庫、2010年

【要約と感想】小川正廣『書物誕生ウェルギリウス『アエネーイス』神話が語るヨーロッパ世界の原点』

【要約】多民族共存の平和な世界を志向する普遍的な発達史観を提示したという意味で、現在のヨーロッパの原点にあるのはウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』です。歴史の節目節目で読み返され、そのたびに新たな価値を見出されてきた古典です。
 主人公のアエネーアスは、滅亡するトロイアから脱出し、父や仲間と友に地中海を彷徨、カルタゴでは女王ディードの犠牲に衝撃を受けつつ、冥界巡りなども経て、いよいよイタリア半島に上陸、強大な敵軍の将を大激戦の末に退け、永久のローマの礎を築きました。それはウェルギリウスが時のローマ皇帝アウグストゥスへのメッセージでもありました。

【感想】ダンテ『神曲』を読み終わって詩人ウェルギリウスに興味を持ち、本当は『アエネーイス』そのものを繙くべきところ、残念ながら手近に物がなかったので、代わりに本書を手に取って読んでみて、結果としてとても満足。そのうちアエネーイス本体も手に入れて読もう。あらすじを読んだだけでも英雄譚として胸躍る物語に感じたし、加えて古典の持つパワーを己の血肉とするべき所存。
  若い頃は、文芸的には圧倒的にギリシア>ローマだと思い込んでいたが、実際にギリシア・ローマ(ラテン)の古典にそこそこ触れてた現在では、ローマ文芸のレベルがそうとう高いことが分かり、そう簡単にギリシアの方が上だと決めつけるわけにはいかないように思っている。乱暴に違いを際立たせると、ギリシア文化が結局はローカルな思索探究に留まったのに対し、ラテン文化はヘレニズムを経て普遍的な世界を志向する。ウェルギリウスやキケローは、その普遍化志向の先駆けと呼べる人物に当たるということなのだろう。そしてキケローとウェルギリウスの影響をまともに受け取めたアウグスティヌスが、多神教と一神教で形式的な立場は違えど、古代ラテン文化の最終的な総括という感じか。

【今後の研究のための備忘録】ダンテの理解
 ダンテによるウェルギリウス理解に関する記述が興味深かった。というのは、「古代/中世/ルネサンス/近代」という歴史区分概念に直接深く関わってくるからだ。

「たとえば、一四世紀初めにダンテが『神曲』の中で地獄から煉獄をへて楽園に導く人としてウェルギリウスを登場させたのは、ヨーロッパ世界が中世から近代へと生まれ変わり始めた時だった。やがて、ルネッサンスは『アエネーイス』をモデルとする民族の理想を歌った各国の叙事詩によって彩られ、そしてヨーロッパの近代化が絶対王政を出現させたときには、この古代叙事詩は君主のリーダーシップの書として盛んに読まれた。」8頁

「『神曲』の冒頭部分でダンテが「あなたがあのウェルギリウスですか」と呼びかけたその瞬間に、八〇〇年以上前に消え去った古代世界と中世以降の新しい西洋との間に橋が架けられ、やがてこの詩篇の完成とともに、古代近代は、その橋を渡るヨーロッパ国際道とも呼ぶべき文化的・精神的な太い幹線道路で結ばれたと言うことができるだろう。」p.51

 ここまでは高校の教科書にも書かれているような理解ではある。ダンテ+ペトラルカ+ボッカッチョの14世紀イタリア・ルネサンスを経て中世から近代へと突入するという教科書的理解。しかし個人的に気になっているのは、ダンテが中世に属するのか、ルネサンスに属するのかという見極めだ。教科書的には乱暴にルネサンスに属する扱いをされがちなのだが、話はそう簡単ではない。

「少なくともダンテは、西暦一三〇〇年代に生きる人間の立場から、太古よりそれまでの人類の歴史を見通して、その遠大な歴史の座標軸のうえにウェルギリウスの詩業を正確に位置づけ、そうして現在から未来にむかう歴史の方向を測定しようとした。ただし、その歴史の方向とは、中世のキリスト教徒ダンテによっては、もちろんルネッサンスの人々が描くような古代の復活・再生ではなく、最終的にイエスの再臨とともに実現する終末の世界にほかならないのであるが。」p.58

「ダンテの構想した世界の中で、ウェルギリウスはいわば自分の弱みさえさらけ出し、しだいに限界をあらわにし、最終的にしかるべき場所に配置されるのだ。そのような、言ってみれば古典詩人に対する批判と限定化は、中世の申し子である「息子」ダンテが新しい時代の詩人として成長し自律するためにはどうしても必要なプロセスであり、そして、その評価と吟味のプロセスをへることによって、ヨーロッパは初めて古代の精神を実質的に体内に吸収・同化して、近代世界へとしっかりした足取りで歩み始めるのである。」p.60

 本書は、ダンテをルネサンス人ではなく、明確に中世キリスト教徒と規定している。私も、専門家ではないから著者の厳密な考察には及ばないが、同じような感想を抱いている。ダンテは、まだルネサンスではない。おそらく同様にペトラルカも。しかしボッカッチョだけは近代に片足を突っ込んでいるかもしれない。

「こうしてダンテの徹底した鑑定をへて、ウェルギリウスの叙事詩は、地上世界のドラマとして、その後ルネッサンスから近代において再び広範に受容される下地が作られたと言える。」p.65

 しかしもちろんダンテの仕事があって、その後のルネサンスと西洋近代があるのも間違いない。あるいは、仮にダンテがいなくてもルネサンスと西洋近代が起こったとして、少なくともダンテは中世の終わりを可視化する役目は最大限果たしている。あるいは、14世紀においてフィレンツェという都市だけが異常に先を走っていたと考えるべきところか。

小川正廣『書物誕生ウェルギリウス『アエネーイス』神話が語るヨーロッパ世界の原点』岩波書店、2009年

【要約と感想】ダンテ『神曲【完全版】』

【要約】ダンテは地獄・煉獄・天国を巡る数奇な体験を得て、詩を詠みました。
 まず古代詩人ウェルギリウスの案内で地獄を経巡ります。地獄では、カトリック法王を始めとして、様々な罪を犯した人々が呵責ない責めにあって苦しむ様子を見ます。中には旧知の人々もいましたが、地獄に落ちて当然の奴らなので悲しんではいけません。
 煉獄では、天国に行くまでに様々な罪科の禊ぎを済ませるために苦しんでいる人々を見ます。中には旧知の人々もいて、地上に戻ったらよろしく伝えてくれと言われます。
 天国に入ると、それまで案内を努めてくれた頼もしいウェルギリウスの姿は見えなくなり、代わって初恋の女性であったベアトリーチェが至高天まで先導してくれます。ご先祖様から激励されたり、キリスト教の聖人たちと学理問答をしたりして、最終的に神の領域に辿り着きますが、それは言葉にできません。

【感想】予習をぬかりなくしたので噂には聞いていたものの、初恋の人ベアトリーチェをここまで神々しく描くというのは、いやはや、ちょっと私の感覚からは理解しがたい。やり過ぎ感がすごい。単に好きというレベルを遙かに超えるストーカー的偏執も含みこんだような情念を感じて、そこそこ怖い。

 地獄編は、訳者もノリノリに翻訳している感じが伝わってきて、けっこう楽しい。コントのような展開も多い。地獄に落ちた人々は基本的にダンテの独断と偏見で選ばれている。露骨に党派性が現れていて、槍玉に挙げられた人たちがちょっとかわいそうではある。しかし一方、党派性を離れて、キリスト教の原理原則に従って地獄に落ちざるを得なかった人々の立ち居振る舞いには、見所が多い。具体的には例えば男色などカトリック教義的に許容できない人々は、原理原則に従って地獄に落とされるものの、人格的矜持は高潔に保っていたりする。そういうところにキリスト教原理主義をはみ出す「人文主義」の臭いを感じる。
 天国篇は、訳者も言っていたように、確かに抽象度がくんと上がって、物語的に興趣が減じる上に、人文主義の臭いもなくなる感じがする。まあ個人的にはキリスト教神学の構成に興味があるので、そこそこおもしろく読める。

 文体的には、いわゆる「直喩」のオンパレードで、意外性のある喩えも多く、とても楽しい。現代で言えば、お笑いのくりぃむしちゅー上田のツッコミ(まるで○○のようだな!)を想起させる直喩だ。具体的な次元では遠くかけ離れていても形式的には似ている、というものを繋げて表現する才能は、ダンテと上田はよく似ているのかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】子どもに関する言及
 各所に子どもに関する言及があったので、サンプリングしておく。というのは、子どもに対する意識が中世と近代を切り分けるメルクマールだ、というアリエス『子供の誕生』が示唆するテーゼを検証する資料になるからだ。ダンテが属するのが中世なのか近代なのか、あるいはアリエスのテーゼそのものが信用に足るのかを検証するために、『神曲』の記述は有力な資料になる。

ウゴリーノ伯爵がおまえ〔ピーサ〕を裏切って
 城を敵方に明け渡したという風評があるにせよ、
 おまえは子供をああした刑に処するべきではなかった。
ああ第二のテーバイよ、ウグイッチョーネやブリガータ、
 また前に詩に出たあと二人の子供たちは
 年端もゆかず無邪気だった。
(地獄編第33歌85-87)

 ウゴリーノ伯爵と共に塔に閉じ込められた幼い子どもたちが餓死に追い込まれるという陰惨な場面で、よほど印象深いのか、訳者も何回も繰り返し言及している。ただ個人的に注目したいのは、ダンテが子どもたちを「年端もゆかず無邪気」と表現し、父親との連帯責任を取らせることに批判的な姿勢を示しているところだ。アリエス的な理論枠組みからは、少々外れている。

そこで私は、人間の罪から免れる〔洗礼の〕前に
 死の歯にかまれてしまった
 あどけない幼児たちと一緒にいる。
三つの聖なる徳に身を包むことをしなかった人たちと
 そこで私は一緒なのだ。
(煉獄篇第7歌31-35)

 ダンテの案内役ウェルギリウスがどうして天国に行けないかを説明している箇所で、子どもへの言及がある。イエス降誕前に死んだウェルギリウスはもちろんイエスに対する信仰を持てるはずがないわけだが、それを理由として天国に行かせてもらえない。日本人からしたらわけが分からない変な理屈だ。ダンテも同じように感じていたらしく、何カ所かでこの理屈に言及して疑問らしきものも呈しているが、最終的には神の摂理として受け容れている。問題は、天国に行けない人々の中に、洗礼を受ける前に亡くなった「幼児」も含まれていることだ。これもやはり日本人からしたら意味が解らない理屈だが、ダンテも不審に思いつつ神の摂理として受け容れている。キリスト教の子ども観を考える上では重要なポイントになる。

だから、自分たちの行いやその功徳とは関係なく、
 もっぱら最初の視力の鋭さの違いによって
 子供たちは違った段に据えられている。
世界がまだ創られたばかりのころには
 ただ両親に信仰がありさえすれば、
 無垢な子供たちはそれで十分救うことができた。
そのはじめの時代が過ぎた後は
 罪のない男の子は割礼を受けることにより
 天へ舞いあがる力をその羽に得た。
しかし恩寵の時代が到来した後は
 キリストのまったき洗礼を受けぬ場合は
 このような無垢な子供たちもあの下界にとどめおかれた。
(天国篇第32歌73-84)

 いわゆる「洗礼」というものの秘儀を担保するためには、洗礼前の用事を犠牲にしても構わない、というところか。目の前の人間に対する救いよりも神学の論理的一貫性の方が大事というカトリック教義。

信仰と清純は幼児たちの中にしか
 見あたらなくなりました。しかもそのいずれもが
 頬に髭が生えるよりも前に逃げ出してしまいます。
口がまだまわらないころは、断食を守る子供も、
 舌がまわりだすと、食物の如何や月日の如何を問わず、
 大食らいとなってしまうのです。
口がまわらないころは、母親になついて言うことを
 よく聞いた子供も、弁が立つようになると、
 母親は墓にいる方がよい、などと思うようになるのです。
(天国篇第27歌127-135)

 子どもたちにピュアさを見出すのは近代的な心性だという見解があるが、これを見るとダンテは近代的だということになってしまう。アリエスのテーゼが間違っているのか、本当にダンテが近代的なのか、あるいは別の解釈があるか。

【今後の研究のための備忘録】個性に関する記述
 「個性」というものを考える上で興味深い箇所があったのでサンプリングしておく。

すると彼がまた尋ねた、「では訊くが、もし地上で人が
 市民生活を営まないとすれば、事態はさらに悪化するだろうか?
 私が答えた、「むろん悪くなります」
「とすると人がさまざまの職務についてさまざまの生活を送ることなしに
 地上で市民生活が満足に営まれるだろうか?〔答えは〕
 否だ。その点は君らの師の書物にもはっきりと出ている」
こうして彼はここまで演繹的に論をひろげ、
 ついで結論をくだした、「そうしたわけだから
 君らの職務には職掌柄さまざまの根が必要とされるのだ。
それである人はソロンに、ある人はクセルクセスに、
 またある人はメルキゼデク、またある人は
 空中飛行をこころみて子をなくした人のように生まれつくのだ。
天球は回転しつつ、正確に仕事を営み、
 人間という蝋に型を捺すが、
 ひとりひとりが生まれる家に区別はつけていない。
それでエサウとヤコブは体内にいるうちからすでに違っていた。
 それでクィリヌスのような男が生まれ出たりするのだ。
 実父の身分が賤しいからマルスが彼の親ということになっている。
もし神の摂理に力がなかったとするならば、
 生まれ出た子は必ず生みの親に似、
 かつ似通った道をたどるはずだ。
これで前に見えなかった点が見えるようになったろう。
 君の訳に立てば私には嬉しいのだ。だから
 いま一つ補足して君の身に着けさせようと思う、
運命が性に合わないと、性に合わぬ土地にまかれた
 種と同じで、およそ生命のあるものは
 どうしても育ちが悪くなる。
自然によって人々各自の中に据えられたこの基盤に
 もし下界の人が留意し、かつそれに従うならば、
 人々はみなその処を得るはずだ。
しかるに君らは剣を帯びるべく生まれついた人を
 無理強いに宗門に入れ、
 説教をするべく生まれついた人を国王に仕立てたりする。
君らが道を踏みはずす原因は実はそこにあるのだ」
(天国篇第8歌115-148)

 人それぞれに持ち味や特徴があって、それに応じて相応しい役割が与えられるのが一番理に適っているという主張だ。これはたとえばガチガチの身分制では成立しない考えで、脱中世的な発想なのかもしれない。またあるいは119行に「市民生活」とあるように、適材適所の経済活動を想定した理屈なので、フィレンツェの卓越した商業活動が背景にあるのだろう。これが「個性」という概念の展開とどう関係してくるのか。

【今後の研究のための備忘録】近代科学観?

実験こそ人間の学芸の流れの変わらぬ泉なのです。
(天国篇第2歌96)

 訳註によれば「フィレンツェ市は(中略)ルネサンス期には自然科学の研究が非常に盛んになった学芸の都市である。その種の実験の精神ははやくもダンテのこの詩行に観取される。」とされる。一般的に科学的な実験で最初に名を挙げたのはイギリスのロジャー・ベーコンで、生年は1214年~1294年だ。ダンテはベーコンの約半世紀後に生まれているので、ベーコンの影響があっても不思議ではない。が、註が指摘しているとおり、ベーコン云々というより、フィレンツェの先進的な学芸を観取するところなのだろう。「ルネサンス」というものを考える上でもかなり気をつけるべき論点になる。

【今後の研究のための備忘録】三位一体

その時が来るに及び、神は造物主から離れていた人性を
 永遠の愛の働きによって
 神に、神の位格において、結びつけました。
(天国篇第7歌31-33)

 三位一体の秘儀について語られているところだが、訳者はペルソナを伝統通り「位格」と訳している。

この人性が結びついていた
 〔神の〕位格が蒙った非礼を考えてみると、
 かつてなく不当な罰といえるわけです。

 こちらは人性と神性の結びつきという観点から神のペルソナについて語った部分だ。問題になるのは、この「位格」という言葉の具体的な中身になる。

ダンテ/平川祐弘訳『神曲【完全版】』河出書房新社、2010年<1966年

【要約と感想】平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』

【要約】ダンテ『神曲』の日本語翻訳者による連続講義です。『神曲』のストーリー全体を概観できる構成になっている上に、訳者ならではの適切な読書案内がありがたいことこの上ないのですが、本当の見所は、著者の学問や文学や教育に対する姿勢を垣間見ることができる様々なエピソードです。
 『神曲』そのものについては、特に地獄篇を大きく取り上げて、煉獄篇と天国篇については触りだけ扱っています。これは作者の『神曲』観が深く関わった処置です。また随所で様々な日本古典文学や西洋の詩作品との比較を行っており、これこそ著者の本領発揮です。特にボッカッチョとの比較を行って、世間的にダンテを高く祭り上げる傾向があるのを批判し、むしろ好感を持ってボッカッチョを遇すのは、ダンテに精通している著者だからこそ可能な真摯な身振りです。

【感想】500頁二段組の大著なのだが、著者の洒脱な語り口や豊富なエピソードのなせる業のせいなのかどうか、飽きずに読み通すことができた。私はダンテ『神曲』を読む前に本書を手にとって予習してしまったが、著者の文学観によればあまりよろしくない行為だったようで、失礼いたしました。

 で、そもそも私がダンテ『神曲』に手を出したのは、作品そのものに興味があったというよりは、「ルネサンス」という概念を批判的に検討するための材料を手に入れるのが目的であった。教科書的にはルネサンスは14世紀初頭、ダンテやペトラルカの人文主義から始まったとされることが多いが、個人的にはこれに大きな違和感を持つ。個人的な意見では、メディア論的に考えて、印刷術を経た15世紀末から16世紀がルネサンスの本丸であって、ダンテやペトラルカは本質的には中世に属するのではないかと思っている。で、こういうことを『神曲』も読んだこともないくせに主張するのは最悪なので、最低でも翻訳には一通り目を通しておくべきだと思いつつ、まずは予習として本書を手に取った次第。
 ちなみに本書では、『神曲』のことをルネサンスともルネサンスでないとも言っていない。そんなことは著者の関心にはない。ただただ、作品そのものに対してまっすぐに向きあう姿勢が大切なのだというメッセージが力強く繰り返される。なんだか私の動機が邪だったように思えてきて、ちょっぴり恥ずかしい感じになったのであった。

平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』河出書房新社、2010年