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【要約と感想】山本文彦『神聖ローマ帝国―「弱体なる大国」の実像』

【要約】962年のオットー大帝戴冠から1806年の滅亡までの神聖ローマ帝国の権力構造と政治過程を、(1)皇帝と教皇の関係(2)開かれた国制/凝集化という2つの観点から複合的・重層的に描きます。
 皇帝と教皇の関係については、具体的には帝国教会を通じた支配構造を説明した上で11世紀の叙任権闘争の意味について考えます。
 権力構造の制度化という観点からは、一方では皇帝選挙制度や帝国議会制度の整備、地方分権的な安全保障体制の整備について記述しつつ、もう一方では三十年戦争の戦後処理や同盟・外交戦略における人的ネットワークの意義を強調し、中央集権的な国民国家とは異なる権力構造の在り方を描きます。
 総じて、神聖ローマ帝国は確かに近代的な国民国家の価値観から見れば時代錯誤の「弱体」な権力構造にしか見えないかもしれませんが、権力構造や政治過程の実態を丁寧に確認してみると、実は強大な権力を作らずに平和を維持するための知恵としては優れているし、その知恵は現在のEUにまで活きています。

【感想】前提として必要となる知識がそこそこあるのと、それ以上に既存の教科書的な通史記述を乗り越えようという意欲を感じて、ゼロからドイツ史を学ぼうという初学者には少々お勧めしにくい印象はある。多少なりとも西洋史の大枠や地理について分かっている人なら、封建制の重層的な権力構造の実態(皇帝と国王・大公の権力関係、有力貴族の婚姻戦略、皇帝選挙の実態、聖俗領邦の異同、宗教改革の影響、帝国外権力との同盟や権力均衡策など)が具体的に分かって面白く読めるだろうと思う。しかしやはり少なくとも近代国民国家を相対化することの意味が共有できていないと、個々の記述の狙いが掴めないんじゃないかという気がする(たとえば三十年戦争そのものの経緯ではなくその戦後処理に大量のページを割いていることの意図など)。

 自分の課題意識としてはビザンツ(東ローマ)帝国の皇帝との関係がいちばん気になっていて、基本的なところは序章で解説があるものの、最も知りたかった11世紀~14世紀あたり(イタリアルネサンス前夜)はもっぱら叙任権闘争と金印勅書の話になっていて、ビザンツ帝国は話題に上らない。そしてその後はルネサンスではなく宗教改革の話に突入する。意外なところでペトラルカの名前が出てきて勉強になったが。ともかく本当にこのイタリアルネサンス前夜にビザンツ帝国との関係は無視してもいいほどになっていたのか、あるいは著者が重点を置かなかっただけなのか、分からなくてモヤモヤするところではある。まあ、自分で勉強しよう。このあたりは神聖ローマ帝国の政治史ではなく、ハンザ同盟の経済史の方が示唆するところが多いかもしれない。

 ところで本書はところどころに日本史と比較する話が出てきて、分かり味は深い。ということでオットー戴冠から帝国滅亡まで約850年ということだが、むりやり日本史と比較しながら考えてみると、鎌倉幕府成立から明治維新まで約700年にわたる武家政権の道のりになぞらえられるだろうか。ローマが京都で教皇が天皇、レーゲンスブルクが鎌倉で皇帝が将軍、ウィーンが江戸。まあもともと無理がある比較ではあるけれども、日本に絶対起こらないのはフランスとトルコの連携という事態だろうな。

山本文彦『神聖ローマ帝国―「弱体なる大国」の実像』中公新書、2024年

【要約と感想】菊池良生『ドイツ誕生―神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』

【要約】西暦962年にローマ皇帝戴冠を果たしたオットー1世の生涯を辿りながら、ドイツという概念の誕生の場面に立ち会います。オットーが生きた時代にはドイツという概念も言葉もありませんでしたが、オットーによるイタリア遠征という一つの目的に集結することでそれまでバラバラだった東フランク諸大公国が(イタリア側から見ても)一つのまとまりを形作るようになります。しかし同時にオットーのイタリア遠征は東フランク領内の権力細分化と在地領主の自立化を促進し、ドイツが国として一つにまとまることを長く妨げる事にもなりました。

【感想】本書の発行が2022年11月で、三佐川著『オットー大帝』発行が2023年8月。ついでに山本文彦著『神聖ローマ帝国』発行が2024年4月ということで、何か流れができているのか、ただの偶然なのか。
 ともかくつい昨日読んだばかりの三佐川著『オットー大帝』とどうしても比べてしまうわけだが、分量がコンパクトなことも含めておそらく初学者はまずこちらを手に取る方がいいのだろう。一方大学院生レベルなら三佐川著のほうが史料への立ち向かい方などの歴史技法も含めて相当な勉強になるような気がする。良いとか悪いとかではなく、お互いに対象としている読者層が違っているような印象だ。
 また使っている史料が基本的に同じなので、判断材料となる歴史的事実はほとんど同じなのだが、細かいところでけっこう解釈が異なっていておもしろい。三佐川著のほうが史料を厳密に批判して少々禁欲的に解釈を施すのに対し、本書は同時代の文脈の方を重視して合理的な解釈を施しているような印象だ。
 で、私が個人的に興味を持っている「西洋における皇帝という称号の意味」については、三佐川著のほうは禁欲したのかほとんど語らないのに対し、本書の方は史的文脈も含めてそうとう分かりやすく整理している。オットー大帝だけでなくカール大帝の事績に遡ってビザンツ帝国の状況と立場と判断を整理してくれて、とても分かりやすい。

【個人的な研究のための備忘録】リテラシー
 文化史に関して気になる記述があったのでサンプリングしておく。

「ところがオットーが国内の行政機構の整備に取り掛かってきたころから、東フランクの非識字者の社会が様相を変えはじめるのである。歴史叙述が重視され、教養が尊ばれるようになるのだ。そして952年ごろからオットーの官房では文書が増大していった。(中略)
 オットーの文書覚醒は続き、オットーは第一次イタリア遠征の際にノヴァラの学者グンツォをその有名な蔵書ともども東フランクに迎えている。さらに晩年になると、彼はフランス人の最初のローマ教皇シルウェステル二世となるオーリヤックのジェルベールの数学、天文学に興味を示すのである。ある史家はこの現象をカール大帝の宮廷でのカロリング・ルネッサンスになぞらえてオットー・ルネッサンスと呼んでいる。」144-146頁

 オットー期から識字率が向上し文書による政治が一般化していったことはしっかり押さえておきたい。「ノヴァラの学者グンツォ」とか「オーリヤックのジェルベール」は完全ノーマークだったので、調査しておきたい。

「ニケフォロス二世はこのリウトプランドをあたかもスパイ同然に扱い、四ヵ月にわたってコンスタンティノープルに軟禁同然に留め置いた。リウトプランドはこの体験をつづるが、これが先にも挙げた有名な『コンスタンティノープル使節記』である。(中略)
 ビザンツに対する情報が極端に少なかった当時、この書が唯一の情報源であり、その後のヨーロッパのビザンツ観を形成していったのである。その意味で、この『コンスタンティノープル使節記』はビザンツの東方教会と鋭く対立していたローマ・カトリックの長である教皇ヨハネス十三世がリウトプランドに依頼して書かせた反東方教会のプロパガンダである、という説もあながち無視できないのである。」206頁

 リウトプランドは、中世の教養や知識人のあり様を考える上でとても重要な人物だということをよく理解した。たとえば10世紀にリウトプランドがギリシャ語を巧みに操ってアルプスの北側とコンスタンティノープルを結んでいたわけだが、13世紀にはフェデリーコ二世の宮廷がアルプスの北側とビザンツおよびイスラームを結びつける。そこまでは個人的には分かっているつもりだ。ということで個人的な課題は、一つにはこの流れがイタリア・ルネサンスや人文主義とどう結びつくか(あるいは結びつかないか)の理解であり、一つには10世紀から13世紀のイタリアの状況に対する理解である。勉強すべきことが多い。

菊池良生『ドイツ誕生―神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』講談社現代新書、2022年

【要約と感想】三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』

【要約】時は10世紀、アルプス北方の辺境地域ザクセン王族から身を起こしたオットー1世は、度重なる内乱を抑えて周辺領域の統治基盤を固めながら、異教徒ハンガリー人の侵攻を退ける大戦功を挙げてキリスト教普遍世界の守護者の名声を得ると、アルプスを越えて先進地域イタリア半島へ侵出して「皇帝」の称号を得ます。イタリアでは二枚舌を弄するローマの統治に手こずりながらも三度の遠征を経て「皇帝」としての実権を固め、東ローマ皇帝(ビザンツ帝国)との関係も構築し、のちの神聖ローマ帝国の礎を築きました。

【感想】個人的にはとても勉強になったけれども、西洋史初学者にはちょっとお勧めしにくい。10世紀のビザンツ帝国や東欧情勢について大まかなあらましを知っているくらいには世界史の基礎的素養を持っていないとあらゆる点で「?」の連続だろうと思うし、ナショナル・ヒストリー(国民史)の枠組みをある程度相対化できるくらいには歴史学研究史の意義を理解できている人でないと、端々の表現で本当に言いたいことの意味というか叙述スタイルの前提そのものから伝わらないのではないか。
 が、世界史に対する基礎的素養を持っている場合には、痒い所に手が届く非常にありがたい本だと思う。単にオットー個人の事績を丁寧に理解できるだけでなく、それが近代史まで射程に入ってくるような長い文脈の中で持つ歴史上の意義に対する理解や、日本人が見落としがちな東欧やビザンツとの関係も含めたいわゆる「ヨーロッパ」という概念そのものを反省するための基本的な知識と観点が手に入る。逆説的な「ドイツ人」(およびイタリア人)概念の形成過程など、なかなかスリリングな行論だ。とても勉強になったし、痒いところに手が届いて気持ちいい。まあ、ここまで視野を広げて議論の射程を伸ばして深堀りしようとすると、ある程度は一見さんお断りのようなスタイルにならざるを得ない、ということなのかもしれない。
 とはいえ、やはりビザンツ帝国の「東ローマ皇帝」という称号と立場の意味が東ローマ教会(ギリシア正教)との関係を踏まえて理解できていないと、西ローマ教会(カトリック)によるオットー戴冠(あるいは遡ってカール戴冠)の歴史的意味は理解できないのではないか。そのあたりの事情が本書では触れられていないので、東西教会の分裂と相克の事情を知った上でオットー戴冠の意味を深めるべく本書を手に取った私のような立場であれば「痒い所に手が届く」と言って喜んでいればいいのだけれど、その基本的な背景を知らないで本書を読んでもカトリックにおける「皇帝」の本質的な意味や教皇との関係というものはぜんぜん分からないのではないかと思ってしまうのであった。

【個人的な研究のための備忘録】ギリシア語
 著者は文化史についてはほとんど触れられなかったと言っているが、少しだけ記述の中に入り込んでいたのでサンプリングしておく。

「リウトプランドが学んだパヴィーアの宮廷学校は、当時のイタリアではミラノと並んで最も高い学問水準を誇っていた。(中略)949年、リウトプランドは、ベレンガーリオにギリシア語能力を買われ、二人の父と同じくコンスタンティノープルに遣わされることになった。」133-134頁

 このあたりはビザンツ帝国についての基本的な素養がないと何を言っているのかチンプンカンプンだろうが、知っていると少しテンションが上がる。古代とルネサンスを繋ぐ道が見える。

三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』中公新書、2023年