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【要約と感想】『エラスムス=トマス・モア往復書簡』

【要約】固い友情で結ばれたルネサンス期人文主義者二人の間に交わされた1499年~1533年の現存書簡全50通を収録しています。最初のうちはお金を無心する下世話な話が目立つものの、中盤からはヨーロッパを股にかけた人文主義者コミュニティの在り様が伺えるようになり、最終的には国家の命運を左右するような話題に至ります。

【感想】まず驚くのは、当時ヨーロッパで沸騰してたはずの大航海時代に関わる話がこれっぽっちも出てこないということだ。1503年にはアメリゴ・ベスプッチがアメリカを新大陸とする本を出版しており、この事実はエラスムスとモア両者存命中に広く知れ渡っていたはずだが、書簡ではアメリカ大陸なんかまるで存在しないかのような話に終始する。1516年に『ユートピア』を書いているトマス・モアのほうは明らかに大西洋を意識していたはずだが、ヨーロッパ全体に名声が轟いたコスモポリタン知識人エラスムスのほうはまったく関心を持っていなかったように見える。辺境イスパニアのほうで起こっているローカルな出来事のように思っていたのだろうか。もっぱらヨーロッパ中央、フランス・神聖ローマ帝国・イタリア諸都市に意を注いでいる。
 この界隈の先行研究においても、近代社会を準備したのはもっぱらルネサンス人文主義と宗教改革であることにされ、大航海時代は完全に視野の外にある。確かにエラスムスなどの人文主義者やルターなどの宗教改革者の資料を見る限りでは、まるでアメリカなんか存在しないかのように、中世以来のヨーロッパの枠の中で話が進んでいる。先行研究がそれを踏まえるのも当然なのだろう。しかし現実においては、大航海時代はヨーロッパ社会に決定的に大きな影響を与えているはずだ。ヨーロッパ近代を準備したのは、実はルネサンスと宗教改革ではなく、大航海時代とそれに続く産業革命ではないのか。
 だとすれば研究者が本当に考えなければいけない問題は、「どうしてエラスムスは大航海時代にコミットしなかったか」ではないだろうか。いま現在、世間では「人文学は死んだ」などと言う人もいる。仮にその見解が確かだとして、その方向で話を突き詰めていくと、実は人文学は大航海時代を視野に入れなかったエラスムスの時代から既に死んでいて、私たちが見ている「いわゆる人文学」はゾンビだったのではないか。いや人文学は死んでいないというのなら、大航海時代で沸騰するヨーロッパに生きていたはずの人文学者の王者エラスムスにどうしてその影すら見当たらないのかは明らかにしなければいけない。というのも、まさに21世紀を生きるいわゆる人文主義者の面々も、21世紀版大航海時代のインパクトを完全に無視しているように見えるからだ。

 それはともかく内容はとても興味深く読んだ。二人の友情や、あるいは高度な修辞でありつつ下世話で幼稚な論争だとか。この大人文学者2人にして児戯にも似た不毛な論争に血道を上げてしまう様子を見ると、現代SNSで毎日のように不毛な論争が発生するのも宜なるかなと思えてくる。人間は論争に突き進んでしまう生き物だ。
 また印象に残るのは「印刷」と「出版」に関わる記述が非常に多かったところだ。印刷術の登場が人文学の展開に決定的に重要な役割を果たしたことが伺える内容になっている。この印刷と出版の革命によって出現した大海原こそがエラスムスにとって臨むべき冒険世界の対象になり、大西洋は関心の埒外に放っておかれたということか。

【今後の研究のための備忘録】自由意志
 エラスムスとルターが袂を分かった教義論争の焦点が「自由意志」にあったことは両者の本のタイトルからして一目瞭然なのだが、エラスムスの「自由意志」に関する考え方がよく分かる文章があったのでメモしておく。

「パウロやアウグスティヌスの言うところに従えば、人間の自由意志にゆだねられている部分は、ごくわずかだということになります。確かにアウグスティヌスは、ウァレンティヌスに向けて晩年に書いた二冊の本のなかで、自由意志というものは存在すると書いております。とはいえ、神の恩寵はきわめて強く是認していますので、アウグスティヌスがどれほどのものが自由意志にゆだねられる余地があるとしているのか、私には見分けられないのです。彼は人間が神の恩寵をこうむる以前になしたことは死んだものと認め、我々が懺悔したり、善をなそうと思ったり、善行をなしたり、固く信仰を守ったりするのは、神の恩寵によるとしています。つまり、こういったことはすべて恩寵の働きによると、認めているわけです。とすると、人間の功績はどこにあるのでしょうか。この点で追い詰められると、アウグスティヌスは逃げを打って、神は我々の功績に応じてよきことを授けたまい、我々のうちにおいてその恵みに栄冠を授けたもうと、言っているのみです。なんともみごとに自由意志の存在が弁護されているではありませんか。私としては、我々は生来与えられた力だけで、特別な神の恩恵をこうむらなくとも、中世の神学者たちが言っているように、まずは神の恩寵に浴することができるという見解に傾いています。もっとも、パウロはさような見解には反対ですし、スコラ哲学者たちもこういった見方を受け容れないとは思いますが。」296-297頁

 アウグスティヌスの論理の射程距離が1000年以上の時を超えてルネサンス期まで及んでいるのがわかるが、ルターとエラスムスの論争は、このアウグスティヌスをどちらが味方につけるか、という争いだったのかもしれない。

『エラスムス=トマス・モア往復書簡』沓掛良彦・高田康成訳、岩波文庫、2015年

【要約と感想】エラスムス『痴愚神礼賛』

【要約】私は痴愚神。ちなみに女神。誰も褒めてくれないから、自分で自分を褒めちゃおっかな。バカ最高!
 まず覚えてほしいのは、実はみんなバカが大好きだということ。口でいくら立派なことを言おうと、行動を見ればみんなバカが好きってことは一目瞭然だし、昔の偉い人たちも口をそろえて言っています。バカ最高!
 そしてもっと重要なのは、バカなほうが幸せになれるってこと。頑張って勉強して賢くなっても、健康を損なうのが関の山です。みんなでバカになって幸せになろう!バカ最高!
 でも決定的に大切なのは、バカはキリスト教徒が目指すべき生き方だということ。だってイエス・キリスト自身がそう言ってるし、そもそもイエスその人が最高にバカだからね。イエスを見習ってみんなでバカになろう!バカ最高!

【感想】抜群のオリジナリティで類書が他に見当たらない文句なしの傑作。パリ大学神学部も怒髪天を衝くおもしろさだ。刻の試練を乗り越えて現代まで語り継がれている理由がよく分かった。
 先行研究も構成についていろいろ検討しているところだが、私は3段構えのように読んだ。第1段では、エラスムス専門の古典教養が遺憾なく発揮されて、様々な古典文献からこれでもかというほど大量に「バカ」を礼賛する章句が引用される。自由闊達で縦横無尽な引用には、圧倒されて唖然とするしかない。第2段では、現実世界の人々が実際にいかに愚かが活写される。市井の人物から王侯貴族、さらに修道士や神学者まで、めっためたに撫で切りされる。確かな社会観察眼を土台にしたテンポ良い皮肉と諧謔が酷すぎる(褒め言葉)。しかし恐ろしいのは、聖書の記述をふんだんに引用しながらキリスト教の本質に切り込んでいく第3段だ。やはり引き続きユーモアに満ちた記述ではあるのだが、いきなり本質的な問いをぶつけられて、「痴愚神って実は本当にすごいんじゃないか」と真顔に戻ってしまう。それは、「キリスト教は本質的に反知性主義ではないか」という問いだ。そしてさらに「表面的に反知性であることが真の知性」という反転を見せられると、もう恐れ入るしかない。

【今後の研究のための備忘録】子ども観
 テーマが「痴愚」である以上、「子どもの痴愚」に関しての記述がそこそこある。教育史研究者としては、当時の子ども観を伺う上で重要な証言になるので、メモしておきたい。

「わけのわからぬことを言ったり、めちゃなことを言ったりすること以外に、幼年期の特徴があるでしょうか? 右も左もわからないこと以上に、もっと大きな魅力がこの年ごろにあるでしょうか? おとなのような知恵を持った子どもなど、いやらしい化け物ではないでしょうかしら?」38頁
「クピドは、いつでも子どもでいますね。なぜでしょうか? なぜかと申しますに、ふざけまわっていて、「まじめなこと」はいっこうにやりもせず、考えもしないからです。」45頁

 この文章からは、子どもを一人の人間として見るのではなく、ただただ理性を欠きつつも微笑ましく愛くるしい生き物として捉えている中世人の姿が浮かび上がってくる。キューピッドがいつも子どもの姿で描かれることにエラスムスが言及していることは記憶しておきたい。
 本書の全体構成としては、この子どもの痴愚が「老人の痴呆」に結びついて循環思想を示しているところがおもしろかったりする。昨今流行った「老人力」を先取りしているような洒落た文章もあったりして、エラスムスは侮れない。

【今後の研究のための備忘録】消極教育
 「教育」に言及した文章も見つけた。

「ねえ皆さん、その他の動物のうちで、いちばん快適な生活をしているのは、教育などをいちばん授けられておらず、自然だけに教え導かれているようなものだとは思いませんか?」95頁

 見ようによってはルソー『エミール』を経てロマン主義的な消極教育論に流れ込んでいくような発想ではある。しかも『エミール』の論理で決定的に重要な役割を果たす「自然に教え導かれる」という発想が寸分違わず登場している。おそらくエラスムス自身は本気で消極教育を唱えているわけではなかろうが、こういう発想そのものがルネサンス期に既に見られることは記憶しておきたい。逆に言えば、ルソーはまさに痴愚神から霊感を受けたということかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】自己肯定感・自尊感情
 また昨今教育界でもてはやされている自己肯定感あるいは自尊感情について、エラスムスが「自惚れ心」という言い回しで以て痴愚の一種として描いていることは、なかなか興味深かった。

「どうでしょうか、うかがいますが、いったい、自分を憎んでいる人間は他人を愛せるものでしょうかしら? 自分といがみ合っている人間がだれかほかの人と折れ合えるものでしょうか? 自分の荷厄介になっている人間がだれかほかの人を喜ばせられるものでしょうか?」62頁

 エラスムスの言う「自惚れ心」は、なんらかの根拠があって自信を持つような社会的自尊感情ではなく、なんの根拠がなくても自信を持つような根源的自尊感情を意味している。なんの根拠もないのに自信を持つのだから、痴愚にされているわけだ。しかしこの痴愚の固まりである自尊感情を持っているからこそ、人間はなんとか生きていくことができる。こういう自尊感情の存在意義について、エラスムス以前に誰か言及しているだろうか? 少なくともストア派やエピクロス派の倫理説や、キリスト教系思想家には見あたらないように思う。個人的にはかなりのオリジナリティを感じるのだが、如何か。
 そしてエラスムスは、この「自惚れ心」をナショナリティに結びつける。

「自然はこの自惚れ心というものを、どの人間にもつけて生まれさせるわけですが、どの国民にもどこの都市にも同じくそれをつけてくれました。」123頁

 そして具体的に、イングランド、スコットランド、フランス、イタリア、ローマ、ヴェネツィア、ギリシア、トルコ、ユダヤ、イスパニア、ゲルマニアの特徴を挙げ、それぞれ無根拠に「自惚れ心」を持っていると言う。ルネサンス期のナショナリズムを考える上でも重要な証言だが、現代的には自己肯定感とか自尊感情という概念が持つ射程距離を改めて考えさせるような記述でもある。エラスムスは侮れない。

エラスムス『痴愚神礼賛』渡辺一夫・二宮敬訳、中公クラシックス、2006年

【要約と感想】金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』

【要約】エラスムスは16世紀を代表する人文主義者で、確かに人間の尊厳を大事にしつつ、ギリシア・ラテン古典とキリスト教を統合しようと試みますが、17世紀以降の啓蒙主義と比較するとキリスト教に軸足を置いているところが決定的に異なっており、本書では敢えて「キリスト教人文主義」と呼びます。
 エラスムスが後の時代へ与えた影響を考える際、ルターとの違いが決定的に重要です。エラスムスは文献学者として聖書テキスト批判を通じスコラ神学を相手に宗教改革の精神を準備し、ルターとも通じるものがありましたが、穏健なエラスムスと苛烈なルターは袂を分かたざるを得ません。エラスムスは神律の範囲内と断りつつ人間の自由意志を尊重する一方で、ルターは断固否定します。それは古代のアウグスティヌスとペラギウスの間で行なわれた論争を引き継いでいますが、17世紀啓蒙主義以降では人間の自由意志が無制限に尊重され、それがむしろ逆に不幸を招き寄せることになります。

【感想】とてもおもしろく、勉強になった。
 著者がアウグスティヌスとルターの専門家としてキリスト教神学の要点を押さえているところが、エラスムスを理解するうえで極めて重要だった。エラスムスの『痴愚神礼賛』も『自由意志論』も、やはり人文知の観点からのみ理解しようとする態度は片手落ちの謗りを免れず、キリスト教神学の土台を踏まえた上で読み込む必要があることを痛感した。
 その理解の上で、著者が16世紀ルネサンス期と18世紀啓蒙期を明確に区別していることを承知できる。著者の見解によれば、16世紀ルネサンス期には人文主義とキリスト教神学はそんなに離れていなかった。具体的には、エラスムスはあくまでもカトリック教義の枠を踏まえて、人文知とキリスト教を統合しようと試みた。14世紀のペトラルカもまた同様。だから本書のタイトルにも「キリスト教人文主義の巨匠」というサブタイトルがついている。しかしルターによって宗教改革が開始された後は、人文主義とキリスト教がみるみる分裂していく。物別れのポイントは「自由意志」の位置づけにある。エラスムスが自由意志の存在意義を(最小限度に限るにしても)認めたのに対し、ルターは徹底的に否定しにかかる。その結果、100年以上を経た18世紀啓蒙期には、人文知は神様抜きで「自由意志」を語るようになる。逆に言えば、エラスムスは「神様抜きの自由意志」の萌芽であったとしても、彼自身にはそういう意図はまったくない。ルネサンスは、未だ中世に属している。

【今後の研究のための備忘録】人文主義の位置づけ
 「人文主義」とは、乱暴に言えば、中世に忘れ去られていた古代ギリシャ・ラテンの知恵を学んで甦らせようという知的ムーブメントだ。それが政治的・宗教的なスキャンダルになってしまうのは、この古代ギリシャ・ラテンの知恵が無色透明の中立的な知ではなく、キリスト教とは相容れない多神教の異端という点にある。だからキリスト教保守派は、異端の匂いがする古代ギリシャ・ラテンの知恵そのものを排除しようとする。その動機は単純明快で、よく分かる。
 しかし逆に、古代ギリシャ・ラテンの知恵をキリスト教に結び付けようという人文主義に共通する知的行為を成立させるためには、単純明快とはいかず、アクロバティックなこじつけを必要とする。こじつけのロジックを放棄したときに、人文主義は容易にキリスト教から乖離し、「神様ぬきでの人間」を語り始めることになる。
 エラスムスは、この難解なこじつけのロジックを放棄せずに、人文主義とキリスト教を統合しようと試みた、最後の世代に当たるようだ。最後の世代とは、その直後からキリスト教が宗教改革によってまったく新しいステージに突入することになるからだ。宗教改革によって、人文主義はキリスト教のロジックから切り離されていく。
 こうしてみると、ルネサンスだけでも近代は訪れないし、宗教改革だけでも近代を招来することはできない。両方の合わせ技によって18世紀啓蒙主義が用意されたことが理解できる。勉強になってナルホドと思ったところを以下に引用しておく。

「エラスムスの決定的に重要な特徴点は、人文主義の方法をキリスト教神学に適用し、両者を統合したことであり、さらにそれによって神学における根本的変革を創造したことに求められる。この統合過程はペトラルカにはじまりエラスムスにおいて完成する。それはキリスト教的人文主義に結晶した思想として提示されている。」15頁
「この人文学[イタリア・ルネサンスの新しい人文学]の復興こそエラスムスの生涯にわたって遂行された事業であったが、そこには新しい人間観が誕生してきていた。この人間観は、この時期の全過程を貫いている共通の主題で表現すると、「人間の尊厳」(dignitas hominis)であると言うことができる。ルネサンスは最初14世紀後半のイタリアに始まり、15世紀の終わりまで続いた文化運動である。」22頁
「こうした状況にもかかわらず、わたしたちがルネサンス思想を全体として考えるならば、それは中世思想よりもいっそう「人間的」であり、いっそう「世界的(世俗的)」であったといえよう。」23頁
「彼[ペトラルカ]の人間の尊厳についての論考はルネサンスにおけるこの主題を先取りするものであった。」26頁
「[ピコの言う]世界を超えて無限に上昇しようとする魂の運動は近代的主体性の根元に見られるものであり、一方において神性の意識を生みだし、他方において自律的な自由意志を確立して来たものである。」39頁

エラスムスとルターの訣別とを以て、「ここに人文主義と宗教改革の二つの運動の統一は最後の可能性を失い、分裂する。その結果、人文主義はキリスト教的宗教性を失って人間中心主義に変質する道をとりはじめ、他方、宗教改革も神学という狭い領域に閉じこもり、ドグマティズムによって人間性を喪失する方向を宿命的に辿らざるをえなくなった。」201頁
「ルターはエラスムスが力説する「人格の尊厳」(dignitas personae)は恩恵による義と矛盾するので、神の前には通用しないという。ルターは人間のdignitasではなく、「神の荘厳」(majestas Dei)の前に立っている。二人の間の論争は実にこの二つの存在の関係を明らかにするものであるが、そこには人間性の偉大さと卑小さ、栄光と悲劇が語られているということができる。」224頁
「ルターはノミナリズムのビールの神学のなかに育ち、このセミ・ペラギウス主義を批判的に超克することによって宗教的な高次の自由に到達した。この自由は罪の奴隷状態からの解放を内実にしているため、献身的に隣人に奉仕する強力なエートスを生みだしていった。他方、エラスムスは人文主義を土台にして新しい神学を形成し、人格の尊厳のゆえに神と隣人とに向かいうる主体的自由と責任、およびそこから生じる実践的倫理の確立の必要を説いた。しかし両者とも神への信仰によって人は根源的には自律しうることを徹底的に信じていた。そこに「神律」(Theonomie)の立場が共有されており、自由意志を最終的に「恩恵を受容する力」として把握していた。ここに近代自由思想の共通の源泉が見えてくる。自由は神律においてはじめて可能である。これこそノミナリズムの自由論が哲学的な「偶然性」に自由の源泉を求めたのとは異質な、もう一つの源泉であり、二つの流れが合流することによって近代の自由思想の源流が形成されるのである。」240-241頁
「ここには人文主義に固有なヒューマニズムにまつわる問題が剔抉されたことによって、古代から現代にいたるヒューマニズムの歴史は、真に意義深い決定的瞬間に到達したといえよう」273頁
「エラスムスは自律を可能とみる理想主義者である。このような自律は近代的な自主独立せる個人の特徴であって、カントの倫理思想において最終的に確立されるに至った。」276頁
「すでに明らかにしたように、神の恩恵は人間の自由意志を助けてよいわざを実現させると説いて、少なくとも最小限において人間の主体性は肯定されていた。それゆえ神中心的と称された彼のヒューマニズムは、やがて人間中心的ヒューマニズムとして18世紀啓蒙主義の思想を生んでゆくことになる。」278頁

 上記引用部で個人的に気になるのは、やはり「人格の尊厳」というものが浮上してくる経緯だ。エラスムスの段階では既に人文主義の文脈で洗練されており、浮上のポイントはもっと前、ペトラルカ、ヴァッラ、ピコ、フィチーノが鍵を握っている。だとすればやはり古代ギリシャ(特にプラトン)の異教的な知恵が決定的な意味を持つことになる。
  しかし一方で、人文主義とはまったく関係なく、キリスト教の三位一体の教義から「人格の尊厳」が浮上してくると言う人もいる。果たして異教的センスが外から加えた圧力が重要なのか、それともキリスト教神学の内側から盛り上がるエネルギーが重要なのか。ともかく、論点は絞られてきたような気もする。
 個人的に思うところでは、古代ギリシャ・ローマの知恵とキリスト教の教えを統合することはむちゃくちゃアクロバティックな無理難題にしか見えないのだが、その無謀を可能にするロジックの要に来るのが「人格の尊厳」という観念ではないだろうか。人文知とキリスト教を統合しようとすればするほど、その無理無茶無謀でアクロバティックな知的行為の過程から「人格の尊厳」なるものが剔抉されてくるのではないだろうか。だとすれば人文知とキリスト教のどちらかに「人格」の種のようなものがあると決めつけるのは悪手で、実は両者をむりやりすり合わせているうちに隙間から立ち上がってきたと考えるべきものではないだろうか。

【今後の研究のための備忘録】自由意志に関する論争の歴史
 おそらく著者の別の研究所で詳述されているのだろうが、自由意志に関する論争の歴史が簡潔にまとめられていて、勉強になったので、引用して忘れないようにしておく。

「近代以前においては人間的な自由は主として「自由意志」(liberum arbitrium)の概念によって考察されてきた。それはアウグスティヌス以来中世を通して哲学と神学の主題となり、とくに16世紀においては最大の論争点となった。今日では自由意志は選択意志として意志の自発性のもとに生じていることは自明のこととみなされる。この自発性についてはすでにアリストテレスにより説かれており、「その原理が行為者のうちにあるものが自発的である」との一般的命題によって知られる。そして実際この選択意志としての自由意志の機能を否定する人はだれもいないのであって、「奴隷意志」(servum arbitrium)を説いたルターでもそれを否定してはいない。
 では、なぜペラギウスとアウグスティヌス、エラスムスとルター、ジェスイットとポール・ロワイヤルの思想家たち、さらにピエール・ベールとライプニッツといった人々の間で自由意志をめぐって激烈な論争が起こったのか。そこでは自由意志が本性上もっている選択機能に関して争われたのではなく、自由意志がキリスト教の恩恵と対立的に措定され、かつ恩恵を排除してまでもしれ自身だけで立つという「自律」の思想がこの概念によって強力に説かれたからである。こうして自由意志の概念はほぼ自律の意味をもつものとして理解され、一般には17世紀まで用いられたが、やがてカントの時代から「自律」に取って換えられたのである。
 近代初期の16世紀ではこの自律の概念は、いまだ用語としては登場していないけれど、内容的には「恩恵なしに」(sine gratia)という表現の下で述べられていたといえよう。ところで、このように恩恵を排除した上で自由意志の自律性を主張したのはペラギウスが最初であった。」284-285頁

 やはり16世紀ルネサンスの段階と18世紀啓蒙主義の段階で、自由意志に関する態度も根本的に違うことが分かる。そしてその分岐点に立つのがエラスムスとルターだということも分かる。個人的には明解な見取り図であるように思えるので、しばらくはそういう歴史観で以って勉強していく所存。

【今後の研究のための備忘録】
 ほか、気になる記述が散見されたのでメモをしておく。

「エラスムスにはホッブズの社会契約という思想は未だ認められていないが、それに近い思想が芽生えている。」248頁

 私の理解では、いわゆる「社会契約」という思想は古代ギリシアのエピクロスに既に見られる。そしてエラスムスはエピクロスに関して様々な言及をしている。だとすれば、著者がエラスムスに感じた社会契約に近い思想とは、エピクロスからもたらされている可能性はないか。

「エラスムスは君主たちが臣下の民族意識を利用して戦争を企てていることに気付いてた。パウロはキリスト者の間に分離の生ずることを望まなかったが、問題は民族感情である。」263頁「「私たちがトルコ人と呼んでいる人々の大部分は、半ばキリスト教徒と称してもよく、あるいはむしろ、わたしたちの大部分以上に、真の意味でのキリスト教のそば近くに位置するかも知れない」」267頁

 確かにエラスムスは著書のそこかしこでヨーロッパ各国の民族的な特徴をあげつらって記述していて、興味深い。民族性の自覚は主権国家の成立以後のことと言われる場合があるが、実はエラスムスの生きていた時代に既に民族感情がかなり明確に自覚されていたことが分かる。
 いっぽう、トルコ人に対する記述も、特にエラスムスが生まれる直前にトルコがビザンツ帝国を滅ぼしているという事情を考え合わせると、たいへん興味深い。滅びたビザンツ帝国からギリシア人学者がヨーロッパに流入してきたおかげでヨーロッパ全体の人文学の水準が上がったことは周知のとおりだ。ただしエラスムスがトルコ人やビザンツ帝国をどう思っていたかは、私の乏しい読書の範囲ではほとんど出てこない。なんとも思っていなかったという可能性もあり得るか。たとえば、同時代のヨーロッパは新大陸発見で沸き上がっていたはずなのだが、その痕跡がエラスムスにまったく見られないのはどういうことか。

「エラスムスはもう一つの例をあげて説明する。それは妻に対する愛で、三つに分けられる。(1)名目上の愛。妻であるという名目だけで愛する場合には異教徒と共通したものである。(2)快楽のための愛。これは肉をめざしている。(3)霊的な愛。」94頁

「愛」は、言うまでもなく、アウグスティヌス以来の伝統を誇るキリスト教神学の中心テーマだ。御多分に漏れずエラスムスも言及していたという事実は覚えておきたい。

金子晴勇『エラスムスの人間学―キリスト教人文主義の巨匠』知泉書院、2011年

【要約と感想】ダンテ『神曲【完全版】』

【要約】ダンテは地獄・煉獄・天国を巡る数奇な体験を得て、詩を詠みました。
 まず古代詩人ウェルギリウスの案内で地獄を経巡ります。地獄では、カトリック法王を始めとして、様々な罪を犯した人々が呵責ない責めにあって苦しむ様子を見ます。中には旧知の人々もいましたが、地獄に落ちて当然の奴らなので悲しんではいけません。
 煉獄では、天国に行くまでに様々な罪科の禊ぎを済ませるために苦しんでいる人々を見ます。中には旧知の人々もいて、地上に戻ったらよろしく伝えてくれと言われます。
 天国に入ると、それまで案内を努めてくれた頼もしいウェルギリウスの姿は見えなくなり、代わって初恋の女性であったベアトリーチェが至高天まで先導してくれます。ご先祖様から激励されたり、キリスト教の聖人たちと学理問答をしたりして、最終的に神の領域に辿り着きますが、それは言葉にできません。

【感想】予習をぬかりなくしたので噂には聞いていたものの、初恋の人ベアトリーチェをここまで神々しく描くというのは、いやはや、ちょっと私の感覚からは理解しがたい。やり過ぎ感がすごい。単に好きというレベルを遙かに超えるストーカー的偏執も含みこんだような情念を感じて、そこそこ怖い。

 地獄編は、訳者もノリノリに翻訳している感じが伝わってきて、けっこう楽しい。コントのような展開も多い。地獄に落ちた人々は基本的にダンテの独断と偏見で選ばれている。露骨に党派性が現れていて、槍玉に挙げられた人たちがちょっとかわいそうではある。しかし一方、党派性を離れて、キリスト教の原理原則に従って地獄に落ちざるを得なかった人々の立ち居振る舞いには、見所が多い。具体的には例えば男色などカトリック教義的に許容できない人々は、原理原則に従って地獄に落とされるものの、人格的矜持は高潔に保っていたりする。そういうところにキリスト教原理主義をはみ出す「人文主義」の臭いを感じる。
 天国篇は、訳者も言っていたように、確かに抽象度がくんと上がって、物語的に興趣が減じる上に、人文主義の臭いもなくなる感じがする。まあ個人的にはキリスト教神学の構成に興味があるので、そこそこおもしろく読める。

 文体的には、いわゆる「直喩」のオンパレードで、意外性のある喩えも多く、とても楽しい。現代で言えば、お笑いのくりぃむしちゅー上田のツッコミ(まるで○○のようだな!)を想起させる直喩だ。具体的な次元では遠くかけ離れていても形式的には似ている、というものを繋げて表現する才能は、ダンテと上田はよく似ているのかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】子どもに関する言及
 各所に子どもに関する言及があったので、サンプリングしておく。というのは、子どもに対する意識が中世と近代を切り分けるメルクマールだ、というアリエス『子供の誕生』が示唆するテーゼを検証する資料になるからだ。ダンテが属するのが中世なのか近代なのか、あるいはアリエスのテーゼそのものが信用に足るのかを検証するために、『神曲』の記述は有力な資料になる。

ウゴリーノ伯爵がおまえ〔ピーサ〕を裏切って
 城を敵方に明け渡したという風評があるにせよ、
 おまえは子供をああした刑に処するべきではなかった。
ああ第二のテーバイよ、ウグイッチョーネやブリガータ、
 また前に詩に出たあと二人の子供たちは
 年端もゆかず無邪気だった。
(地獄編第33歌85-87)

 ウゴリーノ伯爵と共に塔に閉じ込められた幼い子どもたちが餓死に追い込まれるという陰惨な場面で、よほど印象深いのか、訳者も何回も繰り返し言及している。ただ個人的に注目したいのは、ダンテが子どもたちを「年端もゆかず無邪気」と表現し、父親との連帯責任を取らせることに批判的な姿勢を示しているところだ。アリエス的な理論枠組みからは、少々外れている。

そこで私は、人間の罪から免れる〔洗礼の〕前に
 死の歯にかまれてしまった
 あどけない幼児たちと一緒にいる。
三つの聖なる徳に身を包むことをしなかった人たちと
 そこで私は一緒なのだ。
(煉獄篇第7歌31-35)

 ダンテの案内役ウェルギリウスがどうして天国に行けないかを説明している箇所で、子どもへの言及がある。イエス降誕前に死んだウェルギリウスはもちろんイエスに対する信仰を持てるはずがないわけだが、それを理由として天国に行かせてもらえない。日本人からしたらわけが分からない変な理屈だ。ダンテも同じように感じていたらしく、何カ所かでこの理屈に言及して疑問らしきものも呈しているが、最終的には神の摂理として受け容れている。問題は、天国に行けない人々の中に、洗礼を受ける前に亡くなった「幼児」も含まれていることだ。これもやはり日本人からしたら意味が解らない理屈だが、ダンテも不審に思いつつ神の摂理として受け容れている。キリスト教の子ども観を考える上では重要なポイントになる。

だから、自分たちの行いやその功徳とは関係なく、
 もっぱら最初の視力の鋭さの違いによって
 子供たちは違った段に据えられている。
世界がまだ創られたばかりのころには
 ただ両親に信仰がありさえすれば、
 無垢な子供たちはそれで十分救うことができた。
そのはじめの時代が過ぎた後は
 罪のない男の子は割礼を受けることにより
 天へ舞いあがる力をその羽に得た。
しかし恩寵の時代が到来した後は
 キリストのまったき洗礼を受けぬ場合は
 このような無垢な子供たちもあの下界にとどめおかれた。
(天国篇第32歌73-84)

 いわゆる「洗礼」というものの秘儀を担保するためには、洗礼前の用事を犠牲にしても構わない、というところか。目の前の人間に対する救いよりも神学の論理的一貫性の方が大事というカトリック教義。

信仰と清純は幼児たちの中にしか
 見あたらなくなりました。しかもそのいずれもが
 頬に髭が生えるよりも前に逃げ出してしまいます。
口がまだまわらないころは、断食を守る子供も、
 舌がまわりだすと、食物の如何や月日の如何を問わず、
 大食らいとなってしまうのです。
口がまわらないころは、母親になついて言うことを
 よく聞いた子供も、弁が立つようになると、
 母親は墓にいる方がよい、などと思うようになるのです。
(天国篇第27歌127-135)

 子どもたちにピュアさを見出すのは近代的な心性だという見解があるが、これを見るとダンテは近代的だということになってしまう。アリエスのテーゼが間違っているのか、本当にダンテが近代的なのか、あるいは別の解釈があるか。

【今後の研究のための備忘録】個性に関する記述
 「個性」というものを考える上で興味深い箇所があったのでサンプリングしておく。

すると彼がまた尋ねた、「では訊くが、もし地上で人が
 市民生活を営まないとすれば、事態はさらに悪化するだろうか?
 私が答えた、「むろん悪くなります」
「とすると人がさまざまの職務についてさまざまの生活を送ることなしに
 地上で市民生活が満足に営まれるだろうか?〔答えは〕
 否だ。その点は君らの師の書物にもはっきりと出ている」
こうして彼はここまで演繹的に論をひろげ、
 ついで結論をくだした、「そうしたわけだから
 君らの職務には職掌柄さまざまの根が必要とされるのだ。
それである人はソロンに、ある人はクセルクセスに、
 またある人はメルキゼデク、またある人は
 空中飛行をこころみて子をなくした人のように生まれつくのだ。
天球は回転しつつ、正確に仕事を営み、
 人間という蝋に型を捺すが、
 ひとりひとりが生まれる家に区別はつけていない。
それでエサウとヤコブは体内にいるうちからすでに違っていた。
 それでクィリヌスのような男が生まれ出たりするのだ。
 実父の身分が賤しいからマルスが彼の親ということになっている。
もし神の摂理に力がなかったとするならば、
 生まれ出た子は必ず生みの親に似、
 かつ似通った道をたどるはずだ。
これで前に見えなかった点が見えるようになったろう。
 君の訳に立てば私には嬉しいのだ。だから
 いま一つ補足して君の身に着けさせようと思う、
運命が性に合わないと、性に合わぬ土地にまかれた
 種と同じで、およそ生命のあるものは
 どうしても育ちが悪くなる。
自然によって人々各自の中に据えられたこの基盤に
 もし下界の人が留意し、かつそれに従うならば、
 人々はみなその処を得るはずだ。
しかるに君らは剣を帯びるべく生まれついた人を
 無理強いに宗門に入れ、
 説教をするべく生まれついた人を国王に仕立てたりする。
君らが道を踏みはずす原因は実はそこにあるのだ」
(天国篇第8歌115-148)

 人それぞれに持ち味や特徴があって、それに応じて相応しい役割が与えられるのが一番理に適っているという主張だ。これはたとえばガチガチの身分制では成立しない考えで、脱中世的な発想なのかもしれない。またあるいは119行に「市民生活」とあるように、適材適所の経済活動を想定した理屈なので、フィレンツェの卓越した商業活動が背景にあるのだろう。これが「個性」という概念の展開とどう関係してくるのか。

【今後の研究のための備忘録】近代科学観?

実験こそ人間の学芸の流れの変わらぬ泉なのです。
(天国篇第2歌96)

 訳註によれば「フィレンツェ市は(中略)ルネサンス期には自然科学の研究が非常に盛んになった学芸の都市である。その種の実験の精神ははやくもダンテのこの詩行に観取される。」とされる。一般的に科学的な実験で最初に名を挙げたのはイギリスのロジャー・ベーコンで、生年は1214年~1294年だ。ダンテはベーコンの約半世紀後に生まれているので、ベーコンの影響があっても不思議ではない。が、註が指摘しているとおり、ベーコン云々というより、フィレンツェの先進的な学芸を観取するところなのだろう。「ルネサンス」というものを考える上でもかなり気をつけるべき論点になる。

【今後の研究のための備忘録】三位一体

その時が来るに及び、神は造物主から離れていた人性を
 永遠の愛の働きによって
 神に、神の位格において、結びつけました。
(天国篇第7歌31-33)

 三位一体の秘儀について語られているところだが、訳者はペルソナを伝統通り「位格」と訳している。

この人性が結びついていた
 〔神の〕位格が蒙った非礼を考えてみると、
 かつてなく不当な罰といえるわけです。

 こちらは人性と神性の結びつきという観点から神のペルソナについて語った部分だ。問題になるのは、この「位格」という言葉の具体的な中身になる。

ダンテ/平川祐弘訳『神曲【完全版】』河出書房新社、2010年<1966年

【要約と感想】平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』

【要約】ダンテ『神曲』の日本語翻訳者による連続講義です。『神曲』のストーリー全体を概観できる構成になっている上に、訳者ならではの適切な読書案内がありがたいことこの上ないのですが、本当の見所は、著者の学問や文学や教育に対する姿勢を垣間見ることができる様々なエピソードです。
 『神曲』そのものについては、特に地獄篇を大きく取り上げて、煉獄篇と天国篇については触りだけ扱っています。これは作者の『神曲』観が深く関わった処置です。また随所で様々な日本古典文学や西洋の詩作品との比較を行っており、これこそ著者の本領発揮です。特にボッカッチョとの比較を行って、世間的にダンテを高く祭り上げる傾向があるのを批判し、むしろ好感を持ってボッカッチョを遇すのは、ダンテに精通している著者だからこそ可能な真摯な身振りです。

【感想】500頁二段組の大著なのだが、著者の洒脱な語り口や豊富なエピソードのなせる業のせいなのかどうか、飽きずに読み通すことができた。私はダンテ『神曲』を読む前に本書を手にとって予習してしまったが、著者の文学観によればあまりよろしくない行為だったようで、失礼いたしました。

 で、そもそも私がダンテ『神曲』に手を出したのは、作品そのものに興味があったというよりは、「ルネサンス」という概念を批判的に検討するための材料を手に入れるのが目的であった。教科書的にはルネサンスは14世紀初頭、ダンテやペトラルカの人文主義から始まったとされることが多いが、個人的にはこれに大きな違和感を持つ。個人的な意見では、メディア論的に考えて、印刷術を経た15世紀末から16世紀がルネサンスの本丸であって、ダンテやペトラルカは本質的には中世に属するのではないかと思っている。で、こういうことを『神曲』も読んだこともないくせに主張するのは最悪なので、最低でも翻訳には一通り目を通しておくべきだと思いつつ、まずは予習として本書を手に取った次第。
 ちなみに本書では、『神曲』のことをルネサンスともルネサンスでないとも言っていない。そんなことは著者の関心にはない。ただただ、作品そのものに対してまっすぐに向きあう姿勢が大切なのだというメッセージが力強く繰り返される。なんだか私の動機が邪だったように思えてきて、ちょっぴり恥ずかしい感じになったのであった。

平川祐弘『ダンテ『神曲』講義』河出書房新社、2010年