鵜殿篤 のすべての投稿

【教育学でポン!?】2021年1月6日

昨年末から美術館に行こうかと計画していた日だったけれど、ニュースを見て、おとなしく研究室に籠もって仕事をした一日。

COVID19

■厚労省 保育所継続の方向で検討(NHK NEWS WEB)
■宣言でも保育所・学童休止求めず 幼稚園と足並み、政府検討(共同通信)
■緊急事態宣言で学校、保育園はどうなる?萩生田文科相は一斉休校「避けることが適切」(HUFFPOST)
厚労省の方針も固まりそうです。

■冬休み短縮で遅れを挽回…コロナ禍の受験に不安も(テレ朝news)
■始業式はオンライン、電子黒板に校長 校歌「心の中で」(朝日新聞DIGITAL)
■感染対策でオンライン朝会 小学校再開(FNNプライムオンライン)
■“モニター越しの校長先生”小学校で始業式 京都市は臨時休校のしわ寄せで冬休み短縮(MBS)
■「短くてしょんぼり」臨時休校の遅れ取り戻す 3学期始業式繰り上げ(STV)
■岡山市の小学校で始業式(テレビせとうち)
■感染拡大の中、小学校再開 分散登校で密集回避、横浜市(共同通信)
様々な工夫をしつつ、3学期が始まった学校もあれば。

■感染した教師の復帰遅れで“教師の派遣”も…在籍21人中9人陽性の小学校 3学期1/12からに(石川テレビ)
■「より強固な対応が必要」「小中学校を休校に」宮崎県都城市・池田市長が会見(宮崎ニュースUMK)
■福島市、小中学校「始業式」…12日に延期 新型コロナ感染防止(福島民友新聞)
始められない学校もあり。自治体によって判断が分かれるのは、悪いことではありません。

■「子供を自主休校させた」ツイート続々 対応は?問題なし?文科省に聞いた(JCASTニュース)
法律的に言えば「教育を受けさせる義務」は具体的には「就学義務」として規定されているので、現状では自主休校には問題があります。が、その「問題」とは「各家庭の問題」ではなく「制度設計の問題」です。今の制度は、新型コロナウイルスのような状況を想定して作られていません。

■延期、近場、短縮の末に…翻弄される修学旅行 相次ぐ中止、保護者も苦悩(西日本新聞)
悩ましすぎる問題ではあります。工夫するにしても限界があります。しかしこういうときこそ、大人が一方的に決めるのではなく、子ども自身を交えた議論を進めるべきかもしれません。少なくとも当事者である子ども自身の「納得感」は大きく変わるだろうとは思います。

教育全般(国内)

■飛び級、落第を許さない日本の「横並び」主義が生む教育の形骸化(Newsweek)
履修主義と修得主義の問題ですが、各国の比較表(図1)が分かりやすくて、今後も重宝しそうです。

■「掛け算の順序」「×、÷ の書き順」、小学校算数のあきれた規則(現代ビジネス)
実際のところ、学校だけじゃなく、社会全般でわけの分からないローカルルールが幅を利かせていますよね。

■オンライン講義導入で負担が激増する大学教員たちの悲鳴(マネーポストWEB)
私に関して言えば、どれくらい負担が激増したかは、読んだ本が激減したところに如実に表れていますね。

■大学入学共通テストの前に、センター試験の“功罪”検証すべきでは?(大人んサー)
言いたいことは分からないでもないですが、高大接続システム全体の「理念」に関わってくる話なので、こういう「検証」の仕方は論点がズレている気がしないでもありません。

ブロトピ:今日の学問・教育情報

【教育学でポン!?】2021年1月5日

来年度のシラバスを用意し始める。

文部科学省

■小学校、中学校及び高等学校等における教育活動の継続と部活動及び寮や寄宿舎の感染症対策の徹底をお願いします。(文部科学省 ※PDFファイル)
■萩生田文部科学大臣臨時会見(youtube 令和3年1月5日)
学校についての具体的な方針が出ました。全体的に丁寧な説明だったように思います(具体的には、総理大臣の会見より相当マトモに見えます)。PDFファイルには具体的な数字が掲げられて、学校現場で確かに感染事例が少ないだろうことが分からないではありません。文科省の踏み込みとしてはこのくらいで仕方がないので、あとは「地方分権」の精神に基づいて、自治体がしっかり判断していけばよいところです。またあるいは、様々な考えがある各ご家庭のそれぞれの判断を尊重かつ支援できるような体制にもっていけばよいということです。なんでもかんでも文科省に決めてもらって責任から逃れようという体質からは訣別したいものです。
一方「大学入学共通テスト」の実施に関しては文科省が責任を持って決めるところなので、方針が出た以上、末端の現場は粛々と従うしかありませんが、言いたいことはいろいろあります。

COVID19

■心許せる友ほしい 大学1年「オンラインだけでは…」 コロナ下のU22座談会(1)(日本経済新聞)
■大学に入った意味って何? 新入生の自問自答と気づき コロナ下のU22座談会(2)(U22)
これまで見なかったような証言もあって、リアルな気持ちが表現されているように感じました。これを踏まえて来年度の授業を構想しようと思います。

■県立学校の臨時休校が決定(mrt宮崎放送)
■「何もかもが初めて…」感染対策を徹底した推薦入試はじまる 福島県の一部の私立高校で (福テレ)
■名古屋市の小中学校で3学期の始業式 校長あいさつはモニターで(CHUKYO TV)
■ 新様式2021年 オンライン訓示、始業式児童「助け合い大切に」(岐阜新聞Web)
学校で感染事例が少ないのは、子どもがかからないとか偶然とかではなく、現場の先生たちが緊張感を持ってめちゃめちゃ頑張っているからだと思います。おつかれさまです。世間が学校と同じくらい感染対策をすれば、同じくらい抑え込めるだろうと思います。

教育全般(国内)

■4月採用を1月に前倒し 県内の公立初”年度途中”の教員採用 人手不足が背景に【高知】(FNNプライムオンライン)
臨採の人を前倒しで正規採用したということですね。勤務実態そのものは変わらないと思うのですが、民間に流れるのを阻止できるということでしょうか?

■仙台市の小中学校 年度内に学習遅れ解消へ 課題も(KHB)
正確に言うと「学習遅れ解消」したわけではなく、単に「教師が学習指導要領に定められた内容をこなした」ということに過ぎないので、子どもたちに知識が身についたかどうかはまったく別の話になります。

ブロトピ:今日の学問・教育情報

【教育学でポン!?】2021年1月4日

あけましておめでとうございます。

COVID19

■大学共通テストは予定通り実施 緊急事態宣言発令でも 文科省(毎日新聞)
■首都圏緊急事態宣言でも西村大臣「小中学校一斉休校は必要ない」(TBS NEWS)
■緊急事態宣言でも小中高大の休校求めず 政府方針 共通テストも予定通り実施(日本経済新聞)
■西村大臣「小中学校の一斉休校は考えていない」 感染拡大リスクは低いとの認識示す(ABEMA TIMES)
■もし緊急事態宣言が出たら、「大学入学共通テスト」はどうなるの? 文科省に聞いてみた(BUSINESS INSIDER)
大学入学共通テスト、ただでさえ賛否両論異論噴出の大変な改革だったのに、緊急事態宣言下という大嵐の中での出発となりそうです。まあ現実としては、確かに飲食会合等と比較すればリスクも高くないし、ここまで来たら粛々と実施したほうがよいだろう、ということは分かります。ただ思うのは、文科省や政治家は「予定通り」と言えばいいだけですが、しわ寄せはいつも通り現場に押しつけられるんだ、ということです。例年ですら、試験会場内でゴホゴホ咳をする受験生がいると、周りが不穏な空気に包まれます。集中力も途切れます。現場の試験監督は、60代や70代の大学教員が務めます。ただでさえ尋常じゃない緊張感で満たされる試験会場なのに、今回は何が起こるのか。すべて現場にしわ寄せが来るわけです。

教育全般

■公立教員の休・退職が過去最多…「先生と親の溝問題」を解決するもの(現代ビジネス)
教育をお金で買えるような「商品」とか「サービス」と思っていると、必ずおかしなことになります。教師も含めて大人たち全員が関わる「公共財」という共通理解があると、だいたいうまくいきます。

■小学校35人学級 先行茨城、どう変化 法制化で県負担減へ(茨城新聞クロスアイ)
自治体独自の少人数学級先行事例と国の法律改正による35人学級実現との関係および影響が簡潔に分かる記事でした。

■日本の大学「使命を全うしてない」と断言の理由 今こそクリティカルシンキングを教えるべき(education×ICT)
言っていることはよく分かったので、それを実現できるよう、教員一人あたりの学生を減らし、そしてそれでも大学が成立するように公費を投入してください。そういう制度改革が伴わないなら、現在の環境でクリティカルシンキングを教えようとすることは、不可能とは言わないまでも、教員に過労死を強いるものになります。仮に大学が使命を全うしていないとすれば、現場のせいというよりは、教育にお金を使おうとしない政府と官僚の責任だという認識でお願いします。

■エンジニアが育たない国と育つ国の圧倒的違い 中国ではエンジニアが「ヒーロー」になれる(education×ICT)
問題意識はよく分かりますが、この問題は教育の内部をいじるだけでは永遠に解決しないでしょう。ダーウィンの「性選択」という概念をしっかり理解していれば、問題の本質がどこにあるかが見えてきます。エンジニアが異性にモテるようになれば、放っておいても育つようになるでしょう。子どもたちの「憧れの職業」があんなふうになっているのは、教育のせいではありません。

ブロトピ:今日の学問・教育情報

【要約と感想】石戸奈々子編著『日本のオンライン教育最前線―アフターコロナの学びを考える』

【要約】日本のオンライン教育は世界から2周ほど遅れていましたが、2019年からようやく本格的に動きはじめ、そして2020年のコロナ禍によって一気にICT整備が進みました。子どもたちの学びを止めないために、行政、教育委員会、学校、教師、保護者、民間企業、教育産業界など、様々な立場の人々が積極的に役割を果たそうと努力しました。様々な立場の人々が、コロナウイルスによる全国一斉学校休校のさなか、何を考え、どのように動いたか、そしてコロナの脅威が去った後の教育をどのように考えているか、そして日本以外の国々では何をしたのか、インタビュー等で明らかにします。
それらを踏まえて考えると、学校教育が始まってから150年、社会の方が大きく変わっているのに学校がまったく変わっていないのは、やはり異常です。学校を変えていくために、ICTの活用は必須です。

【感想】2020年に何が起こったのか、総合的・俯瞰的に理解できるようになるまでには、しばらく時間がかかるだろう。本書は、様々な立場から見える風景が示されて、その点と点を結ぶことで、何らかの全体像が見えるような気にはさせてくれる。その景色は、これまでの教育の常識が根底から大きく変わるような予感に満ちている。様々に具体的な成果が挙がっている。ICTによって個別最適化の教育が実現し、150年来の学校教育の形が大きく変わっていくような雰囲気が醸成されつつある。本書には、改革への期待と実現可能性が随所で表明されている。示された期待と可能性は、確かに2020年のリアルが感じさせてくれるリアリティであった。
とはいえ、ここに掬い上げられていない声が大量に埋もれているのもまた確かだ。日本社会で格差は確実に広がりつつある。ICTが導入されて「教育方法」に革新が起きたとしても、「公教育のシステム」が根本的に見直されない限り、単に格差を拡大したり隠蔽したりするような働きをする恐れもある。「教育の商品化」という経済的な潮流が続く限り、ICTという技術はその流れを変えるというよりは、その流れに乗って加速度を増していくだけのような気もするのだ。「戦術」の革新によって「戦略」のミスをカバーできるのかどうかという話である。
個人的には、ICT活用の可能性を追究していくこと自体は吝かではない。真剣に取り組む価値も意味もおもしろさもあると思う。自分の授業でも存分に活用していきたい。現場で大きな成果を挙げている方々には頭が下がる。が、教育の専門家としては、技術や方法を真剣に追究するのと同時に、社会経済システム全体に対する目配りも忘れてはならないと改めて思ったのであった。

石戸奈々子編著『日本のオンライン教育最前線―アフターコロナの学びを考える』明石書店、2020年

【要約と感想】マーヴィン・ミンスキー/大島芳樹訳『創造する心―これからの教育に必要なこと』

【要約】「考えること」を考えてみましょう。どんなに大がかりで複雑なシステムでもごく単純な部品から組み立てられるし、小さな部品はそれ自体が何であっても構いません。大切なのは小さな部品同士の関係性によって表現された「状態」であり、「状態の変化」です。どのような「状態」を理想とするかが「目標」であり、「現在の状態」との「差異」を理解してそのギャップを埋めるために試行錯誤を繰り返すことが「学習」です。このような「状態の変化」を起こす構造を身につけるためには、特定のカリキュラムに従って何らかの教科を幅広く学ぶ必要はなく、子ども自身の趣味を突きつめていくのが一番です。大事なのは「目標」に向かって「状態の変化」を引き起す効果的な行動とは何かを理解し、身につけ、実行することであり、それが「創造性」というものです。既存の教科教育では、創造性を育むのは無理でしょう。コンピューター・サイエンスが大きな意義を持つはずです。

【感想】小学生の頃からコンピュータに慣れ親しめる環境にあった私にとってみれば、極めて納得感の高い本だった。言っていることが、よく分かる気がする。逆に、コンピュータにまったく触れたことのない人が理解できる内容と形式なのかどうか、気になるところでもある。

教育学的に言えば、「転移」という概念に対して示唆を与える内容だったように感じた。大昔の教育では、「転移」という概念がしばしば持ち出された。具体的には、「ラテン語のような実際に使用しない言語を学んで何の役に立つのか?」という疑問に対して、「ラテン語で身につけた論理的な力が転移して様々な場面に役に立つ」というような形で持ち出された。これを専門用語で「形式的陶冶」という。なんらかの「形式」を身につければ、それがあらゆる「内容」に適用できるという考え方だ。しかしソーンダイクという心理学者によって「転移」は否定されることになる。学んで身につけた知識は、学んだ領域でしか役に立たない。これを「実質的陶冶」という。ラテン語を学んだら確かにラテン語を話せるようになるが、フランス語やドイツ語など他の語学を学ぶ上ではまったく意味がない。ラテン語を学んで身につけたものは、フランス語やドイツ語の学習に「転移」をしないということだ。
しかし一方、本書では身につけたことの「転移」が発生することが示唆される。ポイントは、単なる「知識」や「スキル」のレベルで転移が起こると言っているのではなく、ひとつ上のメタレベルである「問題解決」の領域で応用が効くということだ。そして単に「条件反射の繰り返しで身についたこと」ではなく、「フィードバックの過程で考えて身についたこと」は転移するということだ。「条件反射」は「S→R」という一方向の単純な結果しか導かないが、フィードバックは双方向で再帰的で複雑な構造そのものを作っていくことが決定的に重要ということだ。古典的な心理学と現代的な認知心理学では、環境との相互的なフィードバックの論理を含み込んでいるかどうかが決定的に異なっているということになるのだろう。

しかしまったく別の部分で印象に残ったのは、著者やその弟子たちが、芸能人やスポーツ選手に対する敵意を隠さず、逆に「オタク」への敬意を高めるよう努力しているところだ。これは認知心理学者の先輩であり、本書でもところどころで名前が挙がっていたブルーナーにも同じく見られた傾向だった。どうやらアメリカでは、日本以上に「反知性的」なスクールカーストの風潮が蔓延しているようだ。いやはや。

【個人的な研究のための備忘録】
人格というものの「一性」に関して示唆をするような文章があったのでメモしておく。

「もし、あなたが自分自身のことを私(単数形のI)だと思っている時には、自分自身を単一の「何か」であるかのように考えていて、その中には部分ごとに変更できるようなものはないとみなしていることになるだろう。しかし、もし「私の何か(My)」からなっていると考えてみれば、自分自身を部品から構成されたものだとみなして、特定の部位を変更しながら考え方を改良できると考えられる。言い換えれば、もし自分の心が修理可能な機械だと思うことができれば、その改良法について考えることができるわけである。」194頁

まず思い浮かべるのは、フロイトが人間の心を「自我/エス/超自我」に三分割したことだ。人間は「単数形のI」ではなく、複数の部品が組み合わさったものだという観点が示されている。また同じくプラトンは、人間の心を「哲学者(理性)/戦士(気概)/生産者(欲望)」に分類した。そして「正義」とは、この三者の調和がとれて、心が統一されている状態のことだと説明した。本書では「部分と全体」の関係については言及されるが、「全体」を全体たらしめる原理については言及されていないように思える。プラトンが「正義」に求めた全体の原理を、本書は直接的に明示しているわけではないが、ひょっとしたら「創造」という言葉に込めているのかもしれない。

マーヴィン・ミンスキー/大島芳樹訳『創造する心―これからの教育に必要なこと』オライリー・ジャパン、2020年