鵜殿篤 のすべての投稿

【教育学でポン!?】2022年2月3日

成績を付ける作業は、授業より大変なのです。
【本日の歩数】7933歩■自宅と学校を往復。

ICT

■大学のオンライン授業「60単位上限」規制緩和へ 留学生獲得後押し(毎日新聞)
大学間の連携を推進することになるとは思っていましたが、留学生獲得の後押しとは初耳でした。

校則

■厳しい校則で立ち直った元教育困難校が、校則を変える日(前編) スカート丈は「いつでも面接できる長さ」?(47news)
■厳しい校則で立ち直った元教育困難校が、校則を変える日(後編) 「対立ではなく対話」、理想は実現できたか(47news)
なんのためにルールがあるのかという「目的」を見失わなければ、そうそうおかしなことにはならないでしょう。厳しいか緩いかの問題ではありません。

学校

■“学び直し”の場 県内初の夜間中学校を設置へ【熊本】(くまもと県民テレビ ※動画あり)
教育機会確保法の精神が具体化しつつあります。

■【特集】人々の記憶を記録に 「廃校」の写真集に取り組む・宮崎県(mrt宮崎放送)
私が通っていた中学校も廃校になりました。まあ、校舎は別の役割を担っていて、残ってはいます。

学校間接続

■神奈川の公立中高一貫校5校で適性検査 競争率は3~6倍(カナロコ)
■2022年度 神奈川県内公立中高一貫校入試(カナロコ)
大学入学共通テストでやたらと騒いでいる人たちは、おそらくこういう公立中高一貫校の入試がどうなっているかをご存知ないのでしょう。

■進学校の先生の見方⑥ 山手学院 「文章から数学的事項を抜き出す力が必要に」(EduA)
どうして「総合的な探究の時間を充実させる」という模範解答が出てこないのか。

■日本の大学は「ただの就職予備校」…入試科目増加は無意味か?(幻冬舎GOLD ONLINE)
そんなことを言っているうちに、日本がダメになっていくわけです。

■日本の受験を考える 知識詰め込みの時代はもう終わった(WEDGE)
文部科学省の方針を説明しているような内容でした。

教育全般(国内)

■「正解率は55%」教育界に激震…小6が直角三角形の面積を求める問題に大苦戦する理由 図形オンチが1日で解消するドリル(PRESIDENT Online)
「練習が足りていない」と主張する人間が多いようですが、そういう問題ではありません。

■社説:懲戒権の削除 子どもの人格尊重せよ(京都新聞)
ですね。

■節分は虐待? 伝統守る保育園が掲げる教育的意義「怖がらせることは目的じゃない」(ENCOUNT)
「手段と目的を取り違えるな」という話に落ち着いていました。

■時代遅れの“性教育”はどう変わる?子どもを守るために必要なこととは(女子SPA!)
話は性教育に限らず、かつて地域で行なっていたことが機能しなくなった時、その代わりに家庭と学校がどう役割を担っていくかという話で、具体的に性教育に関しては役割を代替するところがない、ということです。

■「子ども家庭福祉ソーシャルワーカー」創設 当面は民間資格(朝日新聞DIGITAL)
この資格を得ることで、安定した仕事につけるかどうか、というところです。

【教育学でポン!?】2022年2月2日

張り切って期末テストの問題を作るのはいいんだけど、採点が大変なのだった。
【本日の歩数】9685歩■自宅と学校を往復。

働き方改革

■「保護者に言えない」が阻む、学校の働き方改革 広がりすぎた学校、教師のサービス減らすには(education×ICT)
「教育はお金で買えるもの」という消費者意識が根強いと、協働に向けての話が難しいんですよね。

ICT

■「障がいある子どもにオンライン家庭教師を」“学びの危機”を救え 津田塾大の学習支援プロジェクト(ABEMA TIMES)
私も少額ながらお小遣いから支援してみました。

■学習の理解を深めるタブレット端末の活用 コロナ禍でリモート授業に備える意味合いも<福島県郡山市>(福島テレビ ※動画あり)
■ITを活用した「SHIBAURA探究」で、理工系人材を育成 芝浦工業大付属中学高校(EduA)
できる学校はこのままやっていただくとして、問題は表面に出てこないできない学校と自治体をどう支援するかですね。

COVID-19

■余った給食のパン、買いませんか 学級閉鎖相次ぐ福岡市で(朝日新聞DIGITAL)
もったいないから、有効に活用したいですね。

学校

■社説:教員の不足 人材確保に本腰入れよ(京都新聞)
ですね。

■小中高に複数紙を配備…文部科学省の“主権者教育のために紙の新聞”政策にジャーナリスト、ネットメディア記者の意見は(ABEMA TIMES)
メディア学では紙の新聞には「想像の共同体」を形成する機能があることになっていますが、それはネットで代替が効くのかどうか。

教育全般

■2023年度の発足を目指す「こども家庭庁」“戸籍本位”の政策の問題点(マネーポストWEB)
危惧が現実にならなければよいのですが。

■東大卒妻が小学校受験に失敗…焦りから子どもに課した「多すぎる習い事」 子どもの成功のために・前編(現代ビジネス)
■高学歴・東大卒妻が陥った「多重習い事」の罠…子どもがへとへと無気力に 子どもの成功のために・後編(現代ビジネス)
数の前に、そもそも「教育を金で買うのが当たり前」という姿勢そのものがどうなのか。

【教育学でポン!?】2022年2月1日

積んである本もたくさん残っているのに、また本を買ってしまった。
【本日の歩数】8237歩■自宅と学校を往復。

学校

■教員不足、ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下げてる」(讀賣新聞オンライン)
その一方で教育産業が栄えておりますが、民間企業を儲けさせたい人々が抜け目なく仕事をした結果、こういうふうに公教育が破綻に向かっているのでしょう。

■高校で必修となる「金融教育」 55.9%が授業は「外部の講師」が担当したほうがよい(日本トレンドリサーチ)
「家庭科の先生が担当するのが良い」が3.4%という、これが現実。じゃあ「家庭」って何?という。

■9校を3校に統合 吉備中央町の小学校再編計画 住民からは不安の声 岡山(KSB瀬戸内海放送 ※動画あり)
■富山市小中学校再編 審議会が再編案のうち27パターンを妥当とする答申まとめる 市教委が再編計画作成へ(富山テレビ)
■氷見市「地域の拠点」の学校存続にICT教育(KNB 動画あり)
統廃合するかしないか、するとしたら具体的にどうするか、しないとしたらどう少子化に対応するか。悩ましい問題ですが、先送りしてもさらに窮するだけです。

学校間接続

■共通テスト問題流出、試験監督側に課題も 「年々、対応しにくくなっている」(マネーポストWEB)
大学教員が試験官を務めること自体、制度設計が間違っているのでしょう。個人的には、高校卒業認定資格を大学入学のための資料にして、運営は中等教育関係者が責任を負うのがよいと思います。

■進学校の先生の見方④ 大分県立大分上野丘 「3年間の積み重ね、生かせる問題設定を」(EduA)
まあ大学入学共通テストの問題には、学生の学力を測定するという表の目的だけでなく、言外に「高校の授業のやり方を根本から見直しなさい」という文科省のメッセージが込められているわけで。

教育全般(国内)

■都が国に先行、子供の命を守り育むこどもの権利擁護機関(こどもコミッショナー)の重要性 #こども基本法(末冨芳)
先行する自治体の事例も積み上がってきているので、国家レベルで実現したいですね。

■民法、子への「懲戒権」削除へ 体罰禁止を明記、改正要綱案(共同通信)
■しつけ口実に虐待、「懲戒権」削除へ 民法見直し案「子の人格尊重」(朝日新聞DIGITAL)
遅きに失した感はありますが、子どもの権利条約の精神の実現にむけて、一歩前進というところでしょうか。

■入試前、中学2年が差し出した問題冊子 「本物?」数学教師は驚いた(朝日新聞DIGITAL)
「問題を作成する」のは、教科の本質を踏まえた確かな力量がないとできないことです。私も、大学の定期テストで、「教員採用試験のような問題を作成せよ」という問題を出すことがあります。学生の力量が如実に現れます。

教育全般(海外)

■「小学校の卒業率を100%に」カンボジアの農村部を支援 市長に活動報告 静岡・三島市(静岡テレビ ※動画あり)
頭が下がります。

【要約と感想】『エックハルト説教集』

【要約】神は否定の否定であるところの一なるものであり、魂もまた同じです。一なるものの内には、神もわたしもなく、私は神であり、神はわたしです。「神」のない最内奥の光こそ、この世界のすべてを超えた浄福です。

【感想】エックハルト「獣を超え、人を超え、そして神になる。」
信徒「おお、言葉の意味は分からんが、とにかくすごい自信だ!」

【今後の研究のための備忘録】新プラトン主義
 言っている内容の大半は、ほぼ新プラトン主義の主張を素直に繰り返しているだけのように見える。具体的には「一なるもの」に対する強烈な信仰と、それに基づく自己言及的な流出論である。プロティノスやプロクロスを直接参照しているというよりも、アウグスティヌスおよび偽ディオニュシオス・アレオパギテースからの影響なのだろうけれども、プラトンという固有名詞にも直接言及している箇所がある。

「ところで、大いなる事物について語るのを好む偉大なる師プラトンは、この世にはない純粋性について語っている。それはこの世の内にも外にも存在せず、それは時間の内にも、永遠の内にもなく、外も内もないあるものである。このものから、永遠なる父である神は、神のすべての神性の豊かさと深遠とを現し出すのである。これらすべてを父はここ、その独り子の内で生み、わたしたちが同じ子となるように働くのである。そして父が生むことは、父が内にとどまることであり、父が内にとどまることは父が外に生み出すことである。常にあるのは、それ自身の内で湧き出ずる一なるものである。「われ(ego)」という言葉は、その一性における神だけに固有な言葉である。「汝ら(vos)」という言葉は、「一性の内で汝らは一である」という意味である。「われ」と「汝ら」、この言葉は一性を指し示している。」p.136

 言っている内容は完全に新プラトン主義の主張そのままではあるが、エックハルトの固有性という観点から興味深いのは、「われ(ego)」および「汝ら(vos)」に対する言及だ。真に主語になることができるのは「神」のみという理屈は古代哲学にも見られるものの、二人称複数型である「汝ら」を一性のうちに捉えるのはユニークな見解と思っていいのか、あるいはこれにも先行例があるのか。そしてこの場合の「汝ら」の具体的な中身は、キリストも共有した「人性=人間の本質」ということになる。「人性」は一つであって、それは私も持ち、あなたも持ち、あるいはその他の誰も彼もが持ち、キリストも持つという、人間すべてに共有のものだ。人間すべてに共有する本質だから、「汝ら」というふうに二人称複数型になる。問題は、この「人性=人間の本質」の共有というアイデアを突きつめていったとき、さて、「人間の平等」を前提に成り立つ近代人権思想に行きつくのかどうか、というところだ。

【今後の研究のための備忘録】神を超える人間中心主義の萌芽
 エックハルトが死後に異端宣告を受けたことは解説でも触れているところで、中身を読んでみると、確かに異端宣告を受けるだろうという、大胆不敵な理屈が並んでいる。なかでも、神がいらないとか、神を超えるという理屈は、かなり強烈だ。

「もしわたしがそう望んだのならば、わたしもすべてのものも存在しなかったであろうし、わたしがなければ、「神」もまたなかったであろう。神が「神」であることの原因はわたしなのである。もしわたしがなかったならば、神は「神」でなかったであろう。」p.173

 このようなまさに神をも畏れぬ物言いは、「わたし」というものの特権性に対する洞察に由来するように読める。「人性=人間の本質」は他人(あるいはキリスト)と共有できるが、「わたしであること」は共有できない。

「わたしがひとりの人間であるということ、そのことは他の人間もまた同様であり、わたしが見たり聞いたり、食べたり飲んだりすること、これもまた動物でもなすことである。しかしわたしであること、このことはわたし以外のだれにも属すことはない。どんな人にも、天使にも、わたしが神と一である場合以外には、神にもこのことは属すことはないのである。それはひとつの純粋さでありひとつの一性である。」p.134

 おそらくエックハルトが「魂」と呼ぶものと「神」との類似性も、この共約不可能な「わたしの特権性・唯一性」に由来する。エックハルトは、「わたし」というものが、他の何ものによっても代替の効かない世界で唯一の何かであるということに対して、強烈な霊感、それこそ「神」の拠って立つところを見ている。この「わたしがわたしである」ことの<唯一性・特権性>(そしてこれが「魂」と呼ばれている何かの根底)が「神が神である」ことの<唯一性・特権性>と同じだということを、エックハルトは繰り返し繰り返し強調する。勢い余って、「わたしがわたしである」という悟りに到った場合、もはや神は必要ないというようなことを言い始める。それはカトリックの論理から言えば、明らかに被造物である分を超えた畏れ多い主張で、異端とされるのも仕方あるまい。が、神を不必要とするエックハルトの異端的見解は、近代人権思想の根底にある「人間の尊厳」(神がいなくても世界が成り立つための根拠)まで、もう一歩のところまで来ているのではないか。

「神が魂の単一なる光(知性)の内で働くただひとつのわざは、全世界よりもすばらしいものであり、神がこれまでにあらゆる被造物の内で働いたすべてのことよりも神の気に入っているものなのである。」p.152

 この魂の働きは、人類に共通の二人称複数である「人性」に基づく。だとすれば、エックハルトが「全世界よりも素晴らしい」と褒め称えているものは、端的には「人間の本質」だということになる。「人間の本質が全世界よりも素晴らしい」という見解は、古代哲学には見当たらない。古代哲学において人間とは、神の前では吹けば飛ぶ塵の如き取るに足らないものにすぎず、だからこそ謙虚になるための教説(ストア派など)が意味を持った。しかしエックハルトは、人間の本質が「全世界よりも素晴らしい」と言う。この新しい感覚は、キリスト教を背景として生じたと考えるべきなのか、あるいはエックハルトの生きた中世の社会経済的な背景が決定的な要因とみるべきところか、あるいはエックハルトだけオカシイのか。しかしこれが近代に入ってからはより広い範囲で聞かれる見解になることも、確かなのだ。果たして、神を必要としなくなった近代の「人間中心主義」に、エックハルトはどの程度踏み込んでいるのか。

【今後の研究のための備忘録】否定神学
 ちなみに否定神学に関する公式見解に満ちあふれている本だった。否定神学とは何かを説明する羽目に陥ったときは、ここから引用しよう。

「ある師は、一とは否定の否定であると語る。わたしが、神は善なるものであると言えば、それは神に何かを付け加えることになる。これに対して、一は否定の否定であり、否認の否認である。「一」とは何を意味するものであろうか。一とは何ものもそれに付け加えられないようなものを意味するのである。魂は、何も付け加えられていない、また何も考え足されていない、それ自身の内で純化されている、神性をつかむのである。一とは否定の否定である。すべての被造物はみずからに否定をたずさえている。つまりある被造物であることは別の被造物であることを否定するのである。ある天使は、別の天使であることを否定する。神はしかしながら、否定の否定である。神は一であり他の一切のものを否定する。なぜならば神の外には何もないからである。一切の被造物は神の内にあり、そして神の固有の神性である。これがわたしがさきに豊かさといった意味である。神は全神性の一なる父である。わたしが一なる神性というのは、そこではいまだ何ものも流れ出さず、何ものも触れず、思惟されることもないからである。わたしが神の何かを否認するとすればそのことにおいて――たとえばわたしが神の善を否認するならば、本当はもちろんわたしは神のいかなるものも否認することはできないのだが――つまり、わたしが神の何かを否認すれば、そのことにおいて、わたしは神ではない何かをつかむこととなるのである。ところでまさにこのなにかが捨て去られねばならないのである。神は一であり、神は否定の否定なのである。」pp.106-108

【今後の研究のための備忘録】同一性と差異性
 フランス現代思想が、近代の哲学を「同一性の哲学」と批判し、意図的に「差異性」の論理を前面に打ち出したことはよく知られているが、エックハルトもそれを彷彿とさせる一文を遺している。

「区別性は一性に由来する。この区別性とは三位一体における区別性である。一性は区別性である。そして区別性は一性である。区別性が大きければ大きいほど、一性もますます大きくなる。というのもこれはまさに区別なき区別性だからである。もしもそこに千の位格があるとしても、そこにあるのは一性の他の何ものでもないであろう。」p.74

 要点は、「区別」と「区別性」の意味の違いにあるのだろう。「区別」とは端的に区別だが、「区別性」とは「区別の本質」のことだ。「区別」と「区別の本質」では、意味がまったく異なる。エックハルトが「一は区別である」と言ってるわけではなく、「一性は区別性である」と言っていることには注意する必要がある。「一の本質」が「区別の本質」と同じだと言っているわけだ。だから仮に感覚的に「区別」のようなものを認めたとしても、それが本質的に「区別」であるとは限らない。「一」か「区別」かを決めるのは、感覚ではないからだ。たとえばいま目の前にある「眼鏡」を「一」とするかどうかは、感覚で決めることではない。というのは、いま目の前にあるのは「一つの眼鏡」ではなく「2つのレンズ」かもしれないからだ。実際に英語では「glasses」と、複数形で理解している。英語話者は目の前にあるものを「2つ」と認識しているのだ。だとすれば、目の前にあるこれは、「一つの眼鏡」なのか「二つのレンズ」なのか。もうそれは感覚で決めることではない。エックハルトが言う「三位一体における区別性」とは、そういう事態を解釈しようとするときに生じる言葉だ。何かが「一」であるかないかを決めるのは、感覚ではなく、「一性」および「区別性」という<本質>であり、それを見極めることこそ「知性」の役割なのだ。
 で、古代からの西洋哲学は確かに「同一性」を土台にして議論を進めて成果を挙げてきた。しかしエックハルトが言うように「一性は区別性」であるのなら、「区別性」を根拠にして議論を展開したらどうなるか。そしてそれは東洋的なセンスが伝統的に表現してきたことなのかもしれないし、「無」とか「空」とか「非連続」とかの哲学が言いたいことなのかもしれない。

『エックハルト説教集』田島照久編訳、岩波文庫1990年

【教育学でポン!?】2022年1月31日

実習巡回指導で訪れた園から1.5km行けば太平洋だったので、海岸を散歩。
【本日の歩数】18446歩■茨城から千葉を徒歩で越県。

ICT

■自費購入撤回署名が1万超/滋賀 県立高校での1人1台タブレット(びわ湖放送NEWS)
本質的には公費から出すべきもので、実際に小中学校はそうなっていますが、高校はなにかと遅れます。構造的な問題です。

■「お金をかけられなくても」「学校に行けなくても」無料で学べるチャンネルを拓く――登録数167万人の教育系YouTuber・葉一さんを取材!(LITALICO発達ナビ)
いい話でした。今後の活躍も期待しています。

■教室でも自宅からでも受けられる コロナ禍で小学校が取り組む「ハイブリッド授業」 岐阜市(CBCnews ※動画あり)
できる学校とできない学校・自治体の格差が広がりつつありますね。個々の先生の資質の問題というより、教育委員会と校長先生の姿勢が決定的な要因です。

学校

■小中学校担任の1割が「臨時教員」 文科省、綱渡りの実態を初調査(毎日新聞)
全面的に文部科学省の責任というよりは、根本的には小泉純一郎「三位一体改革」の責任です。教育行政というよりは、地方行政の問題です。

■文科省調査 教員不足1591校で 専門家「深刻な現実明らかに」(朝日新聞DIGITAL)
主に財務省のせいですが、「教員免許更新制」というバカなことをしたツケも効いています。導入を進めた勢力からは反省の声が聞こえてきませんが。

■2022年度より高校で金融教育がスタート! しかし、現場では…(finasee)
市場や金融など18世紀的な経済学を学ぶのもいいですが、本質的に「商品」とは何かから議論を始めてもいいかもしれません(←それはマル経)。

教育全般(国内)

■「東大合格者は193人→1人に激減」日本一の都立高校・日比谷から天才がいなくなったワケ(PRESIDENT Online)
仮に東大合格者が多いとして、受験予備校化してしまった「旧制一中」に独自の意味を見出せるのかという。