【要約と感想】モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』

【要約】歴史を動かすのは個々の英雄ではなく、その国の一般的精神です。たとえばローマの共和政は、仮にカエサルが倒さなくても、遅かれ早かれ別の誰かが倒していたはずです。国が小さく発展過程にある時(共和制ローマ)には適していた法律や制度も、国が大きくなって属州を獲得すると不適切なものとなり、帝政に移るしかなくなるのです。それに伴って質実剛健だった一般的精神も惰弱となり、西ローマ帝国は衰亡に向かいます。いっぽう東ローマ帝国が長持ちしたのは、地政学的な要因と、強国同士の牽制のおかげです。

【感想】amazonレビューに小谷野敦の辛辣な感想が載っていて、笑った。まあ個人的には、彼の感想には賛同しない。ローマ史そのものが単なる受け売りだとしても、しかし歴史の法則性に対する自覚とか、最後半の「東ローマ帝国」の記述が現代的に見ても重要で、今でも読む価値があるように思うからだ。
 歴史の法則性に対する自覚については、やはり自然科学の発展が背景にあるように思う。そしてモンテスキュー自身としては同時代のフランスが小国(メロヴィング王朝)から帝国(ブルボン王朝)へと展開する過程を経てローマ人と同じく衰亡へ向かっているという認識を示しているのだろうが、それはそのまま大日本帝国が明治維新後の小国から植民地経営を行う帝国に移行して大失敗した過程とオーバーラップする。石橋湛山などは「小国主義」を主張して無謀な植民地経営に対する警鐘を鳴らしたが、モンテスキューを読んでいたりしたか。
 そして東ローマ帝国(ビザンツ帝国)について、本書内では「ギリシア帝国」と呼んでいるが、認識そのものは近代ヨーロッパ的なスタンスを示している。しかしこれがたかだか200年前のルネサンス期には、ビザンツと言えばイタリア半島のさらに先からギリシア古典をもたらしてくれる未知の先進地域という程度の認識だったはずで、キリスト教の教義解釈を巡ってカトリックと対抗しているという理解くらいはあっただろうけれども、その実態はイギリスやフランスでは掴めていなかっただろう。しかし印刷術革命を経てビザンツの歴史書が容易に手に入るようになったからだろう、本書ではズタボロで散々な統治形態と宗教的混乱がしっかり把握されている。それに伴っているのかどうか、ルネサンス期には確かにあったギリシア古典的なものに対する憧れや敬意みたいなものは見当たらない。
 総じて、歴史学という古来から人文的な領域だったところに、あからさまに科学的で啓蒙的な合理的精神が見られるわけで、それが本書の見どころになるはずだ。

【個人的な研究のための備忘録】人格
 「人格」と「人間性」に関する極めて興味深い発言に出くわした。さらに「教育」という概念まで関わってくる。

「穏和な性質をもっていたのに、あれほどの残忍さを発揮したこの皇帝の例は、彼の年代の教育が今日と異なっていたことを十分に示すものである。
 ローマ人は、彼らの子供や奴隷たちの人格のうちにおける人間的性格を常に軽んじていたので、われわれが人間性と呼んでいるあの美徳をほとんど認識しえていなかった。」158頁

 ルネサンス期までは、「人間性」という言葉は即座に「美徳」と結びつくものではなかった。たとえば古代のアウグスティヌスにおいては、「人間性」は即座にキリスト教の原罪観念と結びつき、克服するべき対象となっていたはずだ。それが18世紀初頭においては、「人間性」という言葉が無条件に「美徳」や「人格」という言葉と結びついている。何かが決定的に転回している。この転回は、教科書的には18世紀啓蒙主義の文脈で理解されているが、モンテーニュやパスカルの流れも考慮したほうがいいのかどうか。ともかく、「人格」と「人間性」という概念が18世紀前半の時点で結びついていることを確認できたことは、大収穫だ。

 ほかの「人格」という言葉の用例もサンプリングしておく。暇なときに原文と対照しよう。

「彼らは、気遣いをも希望をもゲルマニクスの人格に寄せていた。」155頁
「(前略)ネストリウス派はイエス・キリストの人格の統一性を、(後略)」238頁

【個人的な研究のための備忘録】近代の自覚
 テクノロジーの発達に伴って人間の生活の在り様が根底から変化したことに自覚的な表現が見られる。

「郵便制度の創設によって、通信はあらゆる場所を飛びかっている。
 大事業は資金なしにはなされないし、為替手形の発明以後は大商人が資金を左右するようになっているので、彼らの取引は非常にしばしば国家の秘密と結びついている。そして大商人は国家機密に入り込むために虎視眈々としている。
 為替の変動は原因がよく分からないまま生じているが、多くの人々がそれを探求し、最後には発見するにいたる。
 印刷術の発明は書物を万人の手のうちにおいた。彫版術の発明は地図をかくも広く普及させた。そして、新聞事業が確立されて、一般的利害関心が十分に各人のものとなり、秘密の事柄もずっと容易に理解されるようになった。」241頁

 またビザンツ帝国の堕落と絡んで、「ルネサンス」と「宗教改革」の関係が示されている。正しい物の味方かどうかはともかく、18世紀啓蒙主義のものの見方の一端が伺えて興味深い。

「今からおよそ二世紀前に西洋で起ったとほとんど同じ革命が東帝国においても生じた、と思われる。それは、文芸の復興に際して、人々が陥っている悪弊や無秩序が痛感され始め、それらの害悪に対する矯正策が求められるようになって、その結果、大胆で、あまり従順でない者が、教会を改革しようとするのでなく、それを分裂させるにいたったことである。」247頁

【個人的な研究のための備忘録】一般的精神
 「一般的精神」は『法の精神』を理解する上でカギを握る重要概念なわけだが、本書でも歴史の法則性を語る重要な場面で出てくる。およそ50年後のルソー『社会契約論』の「一般意思」という概念とどう関わっているのか、気になるところだ。少なくともnationを一つの個体的な実体と理解している点では共通しているように思える。

「国民それぞれに一般的精神があって、権力自体その基盤の上に立っているのである。権力は、この精神と衝突する時、自分自身と衝突することになる。」255-256頁

モンテスキュー/田中治男・栗田伸子訳『ローマ人盛衰原因論』岩波文庫、1989年