【要約と感想】三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』

【要約】時は10世紀、アルプス北方の辺境地域ザクセン王族から身を起こしたオットー1世は、度重なる内乱を抑えて周辺領域の統治基盤を固めながら、異教徒ハンガリー人の侵攻を退ける大戦功を挙げてキリスト教普遍世界の守護者の名声を得ると、アルプスを越えて先進地域イタリア半島へ侵出して「皇帝」の称号を得ます。イタリアでは二枚舌を弄するローマの統治に手こずりながらも三度の遠征を経て「皇帝」としての実権を固め、東ローマ皇帝(ビザンツ帝国)との関係も構築し、のちの神聖ローマ帝国の礎を築きました。

【感想】個人的にはとても勉強になったけれども、西洋史初学者にはちょっとお勧めしにくい。10世紀のビザンツ帝国や東欧情勢について大まかなあらましを知っているくらいには世界史の基礎的素養を持っていないとあらゆる点で「?」の連続だろうと思うし、ナショナル・ヒストリー(国民史)の枠組みをある程度相対化できるくらいには歴史学研究史の意義を理解できている人でないと、端々の表現で本当に言いたいことの意味というか叙述スタイルの前提そのものから伝わらないのではないか。
 が、世界史に対する基礎的素養を持っている場合には、痒い所に手が届く非常にありがたい本だと思う。単にオットー個人の事績を丁寧に理解できるだけでなく、それが近代史まで射程に入ってくるような長い文脈の中で持つ歴史上の意義に対する理解や、日本人が見落としがちな東欧やビザンツとの関係も含めたいわゆる「ヨーロッパ」という概念そのものを反省するための基本的な知識と観点が手に入る。逆説的な「ドイツ人」(およびイタリア人)概念の形成過程など、なかなかスリリングな行論だ。とても勉強になったし、痒いところに手が届いて気持ちいい。まあ、ここまで視野を広げて議論の射程を伸ばして深堀りしようとすると、ある程度は一見さんお断りのようなスタイルにならざるを得ない、ということなのかもしれない。
 とはいえ、やはりビザンツ帝国の「東ローマ皇帝」という称号と立場の意味が東ローマ教会(ギリシア正教)との関係を踏まえて理解できていないと、西ローマ教会(カトリック)によるオットー戴冠(あるいは遡ってカール戴冠)の歴史的意味は理解できないのではないか。そのあたりの事情が本書では触れられていないので、東西教会の分裂と相克の事情を知った上でオットー戴冠の意味を深めるべく本書を手に取った私のような立場であれば「痒い所に手が届く」と言って喜んでいればいいのだけれど、その基本的な背景を知らないで本書を読んでもカトリックにおける「皇帝」の本質的な意味や教皇との関係というものはぜんぜん分からないのではないかと思ってしまうのであった。

【個人的な研究のための備忘録】ギリシア語
 著者は文化史についてはほとんど触れられなかったと言っているが、少しだけ記述の中に入り込んでいたのでサンプリングしておく。

「リウトプランドが学んだパヴィーアの宮廷学校は、当時のイタリアではミラノと並んで最も高い学問水準を誇っていた。(中略)949年、リウトプランドは、ベレンガーリオにギリシア語能力を買われ、二人の父と同じくコンスタンティノープルに遣わされることになった。」133-134頁

 このあたりはビザンツ帝国についての基本的な素養がないと何を言っているのかチンプンカンプンだろうが、知っていると少しテンションが上がる。古代とルネサンスを繋ぐ道が見える。

三佐用亮宏『オットー大帝―辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ』中公新書、2023年