【要約と感想】野田敦敬・田村学編著『学習指導要領の未来』

【要約】1947年に経験主義カリキュラムで始まった「学習指導要領」は、冷戦や高度経済成長等による紆余曲折を経ながらも、子どもを中心とした生活科や総合的な学習の時間を創出し、熱心な指導者の努力で優れた実践を積み重ねてきました。今後も探究的な学習を推進していくために、生活科や総合的な学習の時間の方向性は維持しつつ、さらに弾力性を高めていく必要があります。

【感想】熱量の高い本だった。多くの著者が関わっていて、細かいところを見ていくと当然違いもあるのだが、大まかにはみんな同じ方向を見ている。一致しているのは、生活科と総合的な学習(探究)の時間を軸にカリキュラムを構想することがSociety5.0時代の教育にとって決定的に重要だ、と考えているところだ。私もその流れに棹さすものである。

【要確認】カリキュラム・オーバーロード
 本書の本筋とは関係ないが、日本教育史プロパーとして気になってしまったのでメモしておく。

「現象としてのカリキュラム・オーバーロードへの気付きとそのメカニズムの解明は、さらにさかのぼって1930年代に存在する。」39頁、奈須正裕執筆箇所

 いや、私の研究では、カリキュラム・オーバーロードへの気付きは、既に初代文部大臣森有礼の段階で存在する。森有礼や、そのブレーンであった教育学者・能勢栄はカリキュラム・オーバーロードのことを「学科多端」と表現していた。そして問題の所在をペスタロッチー主義を直輸入した「開発主義」カリキュラムと特定し、制度改革に着手している。この森・能勢の段階では学科多端の問題を解決することは叶わなかったが、明治33年に文部省普通学務局長だった沢柳政太郎が携わり、ヘルバルト主義のアイデアを取り込んだ小学校令改正によって一定の解決を見ることになる。ややもすると教職課程の教科書レベルではヘルバルト主義は「五段階教授法」という形で授業方法にのみ関わっているかのような記述も散見されるところだが、実際にはカリキュラム構成の論理に深く影響を与えている。「学科多端」の問題に対するヘルバルト主義の回答は、「多方の興味」と「開化史的段階」の理論だった。これにより、開発主義の時代にはありとあらゆるサイエンスの成果を教え込もうとしていた系統的(演繹的)カリキュラムが、教育学の論理によって開化史的(発生論的)カリキュラムへと整理されることになる。(このあたりの詳細は私の論文「「教育的」及び「個性」-教育学用語としての成立-」を参照)
 まあ、専門的な細かい話に過ぎず、本書の大筋にはまったく影響しないのではあった。

■野田敦敬・田村学編著『学習指導要領の未来―生活科・総合そして探究がつくる令和の学校教育』学事出版、2021年