【要約と感想】会田雄次・渡辺一夫・松田智雄『ルネサンス』

【要約】タイトルは「ルネサンス」となっていますが、実はルネサンスを直接検討の対象とした本ではありません。マキアヴェッリ、エラスムス、トマス・モア、ルターの4人の思想と著作に関するエッセイ集です。著者が3人いて、ルネサンス観はそれぞれバラバラです。

【感想】中公バックス『世界の名著』冒頭の「解説」をある共通項に沿って一冊にまとめた叢書で、本書はルネサンスが一応の共通項。中公バックス『世界の名著』の解説は、原著者の履歴や内容の説明だけでなく、学問の歴史における位置づけや、日本が受容した経緯、その時点での最新研究動向などがコンパクトにまとまっている上に、解説者個人の関心や研究姿勢が伺えるエッセイ風の読み物としても読み応えがある。本書も斯学の泰斗の筆が冴えているのではあるが、ただしタイトルにもなっている「ルネサンス」について理解を深めようとすると、肩すかしを食らう。というか混迷が深まる。というのは、そもそも中公バックス発行当初の「解説」がルネサンス概念を明らかにしようという目的で書かれたものではないからだ。そしてもちろん著者3人で打ち合わせたわけもないので、ルネサンス観もバラバラ、共通点が見当たらない。「いわゆるルネサンスと呼ばれる時期に活躍した思想家3人のごった煮」という副題が相応しいかもしれない。

【今後の研究のための備忘録】ルネサンスの定義
 ルネサンスに関わる記述があったので、メモしておく。

ルネサンスとは周知のように、一四世紀のイタリアにはじまって全ヨーロッパにひろがった、ギリシアーローマの古典復興の運動をいう。中世の暗黒時代が去って、人々が封建制とローマ教会によって歪められた人間性を回復し、現実主義、合理主義にのっとって生きようとしだしたとき、かつてそういう立場で輝かしい文化と社会を築いたギリシアーローマ時代を再現しようとした運動である。」17-18頁。会田執筆「マキアヴェリ」

 ブルクハルト(1860年)以来の教科書的な見解である。しかしこの解説が書かれた時点で、既にこの教科書的見解には様々な疑義が寄せられている。著者(会田)もおそらくそのことを知っており、この文章の後にはイタリア・ルネサンスを可能にした北イタリアの経済史的条件についての解説が続く。グローバルな商業活動と羊毛産業による潤沢な資本を背景として北イタリア諸都市に大商人を中心とする共和的な政体が生まれ、それが世俗的で合理的な考え方を育んだという、わかりやすい図式だ。しかし一方その共和的な政体は、もちろん当時ヨーロッパで立ち上がりつつあった絶対王政へは向かわない。その弱点はフランスや神聖ローマ帝国による侵略という形で露呈する。この共和制と絶対王政の相反する2つのベクトルの力学から『君主論』が登場するという筋立てで、マキアヴェッリはこの矛盾の解決を「決断」と「力(ヴィルトゥ)」に見出した、と会田は見る。ここまでくると、実は本当の問題は「いわゆるルネサンス」にはなく、お互いに無関係に急速に発展する経済と政治との間の矛盾であることが分かる。ホイジンガ風に、「内容と形式」の間の矛盾と言っていいだろうか。

【今後の研究のための備忘録】ユマニスムの定義
 ユマニスム(日本語では伝統的に「人文主義」と訳される)の定義についてもメモしておく。著者の意見ではなく、フランス人歴史家の言である。

「ヘブライ、ギリシア、ローマなどの古代の学芸の復興から糧を与えられた人々が、まず具体的には、福音精神の探究と聖書の再検討という形でキリスト教の自己批判を要求し、ひいては既成のさまざまな制度や学芸にも批判を加え、より血の気の通った(humanior)制度・学芸を招来しようと望んだのが、人文主義(ユマニスム humanisme)の最初の姿であると考えたい。」94-95頁

 教科書的な「人文主義」の定義からすると圧倒的に控え目な言い方になっていて、ここからは「中世を脱して近代へ向かう」ような強烈なエネルギーは感じられない。それは著者(渡辺)も踏まえていて、「生ぬるいほどの正気」(95頁)と評している。
 思い返してみれば、ユマニストたちが対峙したスコラ学の形式的表現には、たしかに寸分の血の気も通っていないような印象を持つ。ユマニストたちがスコラ学の「哲学」に対して「雄弁」を重んじた事情もある程度理解できる。しかしそれは、自然科学に通じるアリストテレス主義を批判し、キケロを経由してプラトンを称揚する貴族主義的な姿勢であって、近代の啓蒙主義にも民主主義にも繋がらない。むしろ社会契約説も含めて、近代化への傾向に関してはプラトンよりもエピクロスの方が重要ではないか(だからヴァッラは侮れない)。だとすれば、実はヨーロッパの近代(資本主義と民主主義)は、スコラ学でも人文主義でもないところから立ちあがってくるのではないか。たとえばコペルニクスは、どういうふうに人文主義の文脈に回収できるのか。アリストテレス主義から説明する方が素直に分かりやすいのではないか。むしろいわゆる人文主義は、勃興しつつある唯物主義・拝金主義的な資本主義の世相に対する道徳主義・高踏主義的な反動だったのではないか。ペトラルカが徹底的に批判したようなところ(アリストテレス主義に基づく自然探求)からホンモノの近代が立ちあがってきたのではないか。そういう疑問に本書はまったく答えてくれないのだが、もちろんそれは著者たちのせいではない。
 そんなわけで、ルネサンスや人文主義というものに対する理解がますます混迷の度を増していくのであった。

会田雄次・渡辺一夫・松田智雄『ルネサンス』中公クラシックス・コメンタリィ、2008年