【要約と感想】阿刀田高『やさしいダンテ<神曲>』

【要約】700年前のヨーロッパ文学古典中の古典であるダンテ『神曲』のおいしいところだけを抽出し、日本人にも分かりやすくアレンジしました。ダンテは、美少女ベアトリーチェの加護の下、案内役の詩人ウェルギリウスに伴われて、地獄→煉獄→天国と辿り、歴史的偉人や同時代イタリアの人々が死後どうなったか、神の裁きを目の当たりにします。が、まあ、現代日本人には、当時のキリスト教の価値観には納得いかないところが多いですな。

【感想】まあ、手っ取り早く分かった気にはなれるのかな。

【要検討事項】ルネサンス
 ルネサンスについて言及している文章。

「まことに、まことにルネッサンスはダンテから始まりペトラルカ(1304-1374)やボッカッチョ(1313-1375)に受けつがれてイタリアで顕著となり、ヨーロッパに広がっていったのである。」24頁

 歴史家ではない著者に言っても仕方ないのだが、こういうルネサンス観に対して、20世紀後半には専門家たちが違和感が表明している。さしあたって著者の言葉は、陋巷に広がる一般的なルネサンス理解の典型としてサンプリングしておくのがよいのだろう。

【研究のための備忘録】子ども観
 子ども観について、気になる言葉をサンプリングしておく。

「清純さは子どもの中にしか見当たらなくなりました。」268頁

 キリスト教の原罪観からすれば、子どもであろうとも清純さのかけらもない。アウグスティヌスもそう言明している。子どものことを清純だと認識するようになったのは、思想史的には、ルソーあたり、啓蒙思想から近代に入りかけの頃のはずだ。ダンテが本当に言っているとしたら、けっこうな問題だ。原典で確認する必要がある。

「洗礼のないままでは無垢な幼子もここには入れません。」283頁

 これがキリスト教の原罪観である。しかし洗礼を受ければ大丈夫だというのは、アウグスティヌスのころにはなかった考え方ではある。このあたりの幼児洗礼の変遷については研究書があったように記憶しているが、内容を忘れたので再確認である。

阿刀田高『やさしいダンテ<神曲>』角川文庫、2011年<2008年