【要約と感想】松浦明宏『プラトン後期的ディアレクティケー―イデアの一性と多性について』

【要約】従来の研究では、イデアに対して一性ばかり注目されてきましたが、イデアの「多性」に注目すると、それまでアポリアと捉えられてきた問題を整合的に理解できます。そのことによって、プラトン中期から後期への連続性も確認できる上、二つのディアレクティケーの相互関係も論理的に整理できます。
それもこれも、従来の哲学研究が方法論に対して無自覚だったのが大問題で、本来ならプラトンのテキストに即して理解するべきです。

【感想】痒いところに手が届く、けっこうありがたい本だった。イデアには「多性」もあると専門家に断言してもらって、しかも「一性/多性」=「本質/関係」という図式も示してもらって、個人的にはとても助かるのであった。
本書ではもちろん一切言及されていないが、この考え方は明らかにキリスト教の「三位一体」と同じ発想に基づいている。三位一体とは、神の本質は一つだが現れ方(つまり人間に対する関係)は3つ(父・子・聖霊)あるという教義だ。後期プラトン→新プラトン主義→キリスト教神学という流れを踏まえると、本書の主張はキリスト教三位一体まで射程距離に入れて考えてもいいような気がした。もちろん厳密な立証はできないが。

【この論理は眼鏡学に使える】
本書の内容は、眼鏡学に対しても多大な霊感を与える。「イデアの多性」と「分割/総観」という論点からは、「眼鏡っ娘がメガネを外したら眼鏡っ娘でなくなるのか?」という疑問に対して、一つの回答を与える。確かに眼鏡っ娘を「分割」したら、「眼鏡/娘」になって、眼鏡っ娘そのものは消失したかのような印象を与える。しかし「イデアの一性と多性」を踏まえると、仮に眼鏡っ娘を分割して「眼鏡」および「娘」に分かれて「眼鏡っ娘の多性」が確認できたとしても、しかしその手続きによってもともとの「眼鏡っ娘の一性」が失われたわけではない。
そして「イデア界が現実界にどのように関わるか」という関心から「瞬間」という論点が扱われていたわけだが、眼鏡っ娘に関しても、「眼鏡をかけたり外したりする瞬間」という特異点が大きな問題となっている。仮に眼鏡をかけていると眼鏡っ娘だとしたとき、では「眼鏡をかけた瞬間とはいつのことか?」という問題があるわけだ。これは「眼鏡っ娘ではなかったものが眼鏡っ娘になる」という意味で「イデアが現実界に影響を与える」という具体的な事例と言える。

松浦明宏『プラトン後期的ディアレクティケー―イデアの一性と多性について』晃洋書房、2018年