【要約と感想】相馬伸一『コメニウスの旅<生ける印刷術>の四世紀』

【要約】コメニウスは、教員採用試験レベルでは『大教授学』や『世界図絵』のみに依拠して「近代教育学の祖」とされてきましたが、それは近代的な関心からコメニウスの一部を都合良く切り取って歪めた語りに過ぎません。また近代批判の文脈に巻き込まれてコメニウスが非難されることもありますが、これも現代的な関心からテキストの一部を恣意的に切り取ったものです。さらに民族主義や史的唯物史観など、コメニウスは時代によって様々に異なる立ち現れ方をします。しかしだからといって、コメニウスの実像を客観的に記述するべきという単純な話にはしてはいけないのです。
コメニウスの語られ方を四世紀に渡って確認することで、教育と歴史が実践的な関心にどう応えるかという課題が浮き彫りになっていきます。

【感想】とてもおもしろく、かつ勉強になり、様々な霊感を与えてくれる、素晴らしい本だった。一点突破全面展開のお手本のようなスピード感溢れる内容で、一気に読み終わってしまった。
いやあ、教育原理の授業でコメニウスをどう扱うかヒントを得ようと思って読み始めた本だったわけだが。もともとは、ヤン・ジシュカを扱ったマンガを枕にして、ミュシャに着地しようかなんて安易な考えを思っていたけれども、そんな小手先の工夫でコメニウスを扱うのではすまなされないような衝撃を受けた。とはいえ、二十歳前の学生に伝えるにはどうしても情報の縮減をしなければならないわけで、私自身が実践的な課題の前に立たされるのであった。いやはや。

私自身の年来の関心に引きつけて言えば、「教育の<教>は宗教の<教>」であることが強烈に再確認できたのが極めて大きな収穫であった。たとえば東洋の教育思想(具体的には儒教と仏教)を語る上でも、「教育(教)=宗教(天)」の全体像をイメージしておかないと、本質を見失う。教育を単なる「技術=手段」であると見なすと、とんでもない見当違いに陥る。またあるいは、プラトンやアリストテレスを考える上でも、教育は単なる「技術=手段」なのではなく、それが国家存在理由の「目的=本質」でもあることを押さえておく必要がある。要するにかつての「教」は、現代の「教育」とは射程距離がまったく異なっている。そもそも「教」という漢字は、神の声を聞くための占いをしている形象に由来するのだった(※諸説あります)。私の関心に引きつけて恐縮ではあるが、コメニウスも同様に、「教育」ではなく「教=神の声を聞く」の射程距離で理解しようと努める必要があることが、よく分かった。この「教」の射程距離の話を、「教育=手段」という近代的な学校経験で凝り固まった学生たちにどのように伝えるのか。いやはや。

本書が手法として用いた「メタヒストリー」は、様々な対象に施すことができる。私の関心に引きつけて恐縮ではあるが、たとえば具体的に、日本教育史では「足利学校のメタヒストリー」なんかは、かなりおもしろいのではないかと思う。(※参考「【栃木県足利市】足利学校は日本最古の学校じゃないよね?」)

【今後の個人的な研究のための備忘録】
私の専門の明治日本教育史の話も出て来た。谷本富が明治28年の著作で「コメニウス/ペスタロッチー」を「実質陶冶/形式陶冶」の対として理解していたという話だ。本書には出てこなかったけれども、谷本が本当に言いたかったのは、その実質陶冶と形式陶冶の統合を実現したのがヘルバルト教育学だという理屈だったはずだ。
しかしところで、日本人がこのように「実質陶冶/形式陶冶」を理論的に理解するようになったのは、私の観察では明治25年頃のことだ。そもそも日本人が「形式」という言葉を頻繁に使用するようになったのは明治25年前後のことだ。明治10年代には、「形式」という言葉自体に出くわすことが極めて希だ。また「内容」という言葉は影も形もない。たとえば福沢諭吉は一切使用していない。ところが明治25年を過ぎると、いたるところに「形式/内容」の二分法が現れるようになる。谷本が「コメニウスは実質陶冶」と主張したのは、まさにこの黎明期に当たる。「形式/内容」二分法的思考の黎明期に、コメニウスは実質陶冶代表として登場せしめられた瞬間、ヘルバルトによって止揚されることとなった。ヘルバルト教育的教授の前座としての「コメニウス=実質陶冶/ペスタロッチー=形式陶冶」という扱いだったわけだ。なるほどなあ。
私の年来の追究課題である「形式/内容」二分法思考の日本での定着過程を考える上でも、ちょっとしたインスピレーションを受けたのであった。

相馬伸一『コメニウスの旅<生ける印刷術>の四世紀』九州大学出版会、2018年