【教育学でポン!?】2020年2月6日

今日は妻との食事中、「神仏習合は日本にしかないのか」という話になりました。そこで、マニ教とかグノーシス派とかゾロアスター教など海の向こうでも似たようなことは起こっているという蘊蓄を傾けた結果、なぜか話は「善と悪の起源」へと展開していったのでした。

教育全般

育英西中学校・高等学校で「グローカル成果発表会」  地域と協働でグローバルな視点を(みんなの経済新聞)

国際バカロレアに向けての動きは、どれくらい本格化するんですかね。具体例として興味深いです。

「荒れ狂った」小学校教育を救え 学力向上で問題行動は減少?奇跡のような「陰山メソッド」(まいどなニュース)

メディアリテラシーを働かせながら読むべき記事の典型例でしょう。「荒れ狂った」とか「地獄へ向かって一直線」とか、不必要に教育現場に対する不安を煽るような言葉に対しては、眉に唾をつけて臨みましょう。
まあ、教授に関する技術自体は、目的に対して効果的なら、どんどん使えばいいでしょう。ただ問題は、えてしてこういう技術が「目的と手段を取り違える」という誤りに陥りやすいところです。「目的」をしっかり見定め、臨機応変に「手段」を変えることができるなら、本記事で扱われている技術を「手段」の一つとして理解しておく分には、害は少ないでしょう。

幼児から金銭教育を行うメリット 金銭感覚は絵本などで楽しく学ぼう(Grapps)

こういうのが、教育学の立場からは残念に思う、「足し算の教育観」というものですね。人生に必要なものを、なんでも教育に押しつけようという発想です。教育学(特にカリキュラム論)の方からすれば、プログラミングとか英語とかでも大変なのに、さらに金銭教育ですか、としか思えないんですね。確かに金銭教育は大切かもしれません。しかし大切なものは他にもたくさんあります。すでに学校はいっぱいいっぱいなわけですが、金銭教育をねじ込んだ代わりに何を減らしましょうか?

暗記だけで数学を乗り切った学生の悲しい末路(東洋経済ONLINE)

現場での具体的な経験を踏まえた話なので、なるほどと思いながら読みました。まあ、教育学でも、学習指導要領を丸写しして解答したつもりでいる学生はちらほらいますよ。しかしそれは、彼らが受けてきた教育のせいなのかどうか。

希望の校歌『までい』に歌いつなぐ 飯舘義務教育校の校歌完成(福島民友)

注目していきます。しかし教育学的に考えてみれば、「校歌」というのも不思議なものではあります。