【要約と感想】苫野一徳『「学校」をつくり直す』

【要約】学校は、近代社会を立ち上げるには有効でしたが、いまや時代遅れです。みなが同じ内容を同じ場所で同じペースで同じように教えるシステムが賞味期限切れなのです。これからの時代に対応するには、学びの個別化・協同化・プロジェクト化を推進しなければなりません。無理だと言う人がいますが、必ずできます。

【感想】大きな刺激を受ける本だった。
全体的には著者がこれまでの本でも主張していた内容が繰り返されている。立場にまったくブレはない。が、様々な立場の人々との対話と交流を踏まえた上で、ひとつ上のステージから丁寧なフィードバックが加えられており、さらに一回り説得力を増した感じがする。さらに地に足が着いた印象を持つ。机上の空論ではなく、現実を変えてくれそうな期待感を抱かせる。

個人的に特に刺激を受けたのは、教員養成に関する具体的な話だった。私も教員養成課程で授業を持っており、著者と立場を同じくする。大学での教員養成課程にかける著者の姿勢と具体的な授業の様子を垣間見て、大きな刺激を受ける。100人超のマスプロという苛酷な環境でもプロジェクト型の講義をやりきる姿勢に、頭が下がる。私も頑張らなければいけないと、襟が正される思いであった。以前から腹案はあったが、いよいよ今年度の後期からプロジェクト化した授業でやっていこうと、腹を据えた。
評価が「合/否」でいいという話には、激しく同意する。教員が個性的でないのに、学校や子どもが個性的になるわけがない。教職コア・カリキュラムは、天下の大愚策であるように思う。また著者が言うように、教員免許更新講習も、さっさと廃止したほうがいい。誰一人得をする人がいない大愚策だ。(まあ、どっちみちやらなければいけないのなら、少しでも有益な時間になるように努力はするのだけれども。)

専門家として気がついたのは、本書に一言も「人格」と「個性」という言葉が登場しなかったことだ。昔の本ではうっかり「人格」という言葉を使ってしまう個所があったりしたが、本書は徹底的に「人格」および「個性」という言葉を排除している。個人的にかねがね思っていたのは、教育論に「人格」とか「個性」という言葉が登場したとたんに、地から足が離れ、現実感がなくなり、ふわふわした情緒的な議論に陥りやすいということだ。本書が抽象化や一般化のワナにはまっていないのは、「人格」とか「個性」といった情緒的に分かった気になるマジックワードを完全に排除して、著者のコントロール下にある概念だけで議論を構成していることが肝心なように思う。地に足が着いているように感じるのは、本書で用いられる抽象的な概念それぞれにしっかり血が通っているからだろう。

著者と私とでは、最奥の学問的立場においては決定的な相違があるような気はしているものの、そんなものは教育と学校の厳しい現実の前では極めて些細なことだ。著者の活動を、ささやかながら応援していきたい。私も目の前の小さなことから頑張ろう。まずは前期のテストの採点だ……

苫野一徳『「学校」をつくり直す』河出新書、2019年