【要約と感想】岡田尊司『なぜ日本の若者は自立できないのか』『子どもが自立できる教育』

【要約】なぜ日本の若者は自立できないのか? 日本の教育がクソだからでファイナルアンサーです。

【感想】まあ言いたいこと(個性を大切にしよう)は分からなくもないけれども、専門家から見ると論証が雑だなあというところではある。
問題の根本は、日本人が陥りがちな「隣の芝生は青く見える」という認識と「たらいの水と一緒に赤子を流す」という解決策の提示にある。いずれにせよ、本書の底にある「善意」が素晴らしいとしても、あるいは仮に精神医学の専門家としての知見に問題はないとしても、「善かれと思って放った教育への苦言」には残念ながら問題が多い。

特にまずいのは、認識パターンの三類型に学修方法を合わせるべきと言い切ってしまっているところだ。著者は人間の認識パターンを「視角空間型/聴覚言語型/視角言語型」に分けているが、もちろんモトネタはNLPのVAKタイプ理論だ。まあ、精神分析の領域では意味がある分類なのだろう。しかしVAKタイプ理論に合わせて開発された教育手法に有意な効果が現れていない悲しい事実は、教育界ではよく知られている。というか、そもそも原理的に考えて、教育方法をVAKタイプに合わせること自体が不合理な発想なのだ。なぜなら最適な教え方とは、子どもの個性を考慮することはあるにしても、それ以上に教育内容の性質にこそ従うべきものだからだ。子どものVAKタイプに合わせて教え方を変えようなんて、ちょっと考えれば成立するはずがないことが分かろうというものだ。
(まああるいは、直接診察したわけでもない歴史上の人物をVAKタイプ理論に当てはめて自説の論拠とするのは、精神医学的な観点からも如何なものか、とは思う)

「一事が万事」という言葉は個人的には好きではないのだが、残念ながら本書ではこの言葉が当てはまってしまう。著者があまりにも日本の教育システムを憎みすぎていて、客観的な評価ができていないのだ。実は日本の教育システムは、他国から極めて高く評価されている。著者は他国から絶賛されているところも、全部まるごと否定してしまう。明らかに冷静さを欠いている。
そして仮に著者が主張するように、日本が「個性」を尊重していないとしても、それは教育だけの問題ではない。日本の社会全体が個性を尊重していないだけのことだ。実は著者の主張するような政策は、文部省が1960年代からさんざん試みていたことだ。著者が主張する程度のことは、官僚はみんな気がついている。官僚の意図を挫いたのは、日本国民の民意だ。たとえば文部省はずっと普通科を減らして職業科を増やそうとしていた。それを拒否して普通科を目指したのは、日本国民だ。教育システムだけ普通科と職業科を平等にしたとしても、社会に出てから差別されることが目に見えているからだ。社会が変わらなければ、教育システムだけ変えても、かえって矛盾が増幅するだけだ。

なぜ日本の若者は自立できないのか。私から見れば、「そもそも日本社会が若者の自立を望んでいないから」でファイナルアンサーだ。教育システムのせいにしても、なにも見えてこないし、むしろ本質的な問題が覆い隠されるだけだろうと思う。
一人ひとりの子どもの個性が輝く世の中を実現したいのはやまやまではあるが、そのためにも本質的な議論が望まれるところだ。

ちなみに3年後に出た文庫版は、内容はほぼ同じだが、中国の事例などが新たに加わっている。

岡田尊司『なぜ日本の若者は自立できないのか』小学館、2010年
■文庫版:岡田尊司『子どもが自立できる教育』小学館文庫、2013年