山田喜一先生を偲ぶ

たいへんお世話になった山田喜一先生が、亡くなりました。あまりに突然のことで、呆然としています。

2011年から6年間、文京学院大学の教職課程センターで一緒に仕事をしました。公私の生活の激変に加え、東日本大震災によって日本全体が極めて困難な時期に、本当にお世話になりました。それまで公私ともにフラフラしていたのですが、山田先生の指導の下で立ち直った気がします。部下に仕事を自由に任せ、うまく運んだときは功績を認め、ミスしたときには自分がかぶって責任を取ってくれるという、上司として極めて理想的な方でした。「学生に力をつける」という運営方針が首尾一貫していて、言うことがコロコロ変わらないので、安心して仕事や研究に専念することができました。
現職に決まった時も、たいへん喜んでくれました。いつでもお話しできるだろうと思っていて、あれからあまりお話しする機会を持たなかったことが、今になって悔やまれます。

山田先生は都内の美味しい店をよくご存じで、様々な機会にいろいろなお店に連れて行ってもらいました。河豚や鱧など、なかなか口に入れる機会のないものを教えてもらいました。山田先生が語る武勇伝の数々は、田舎者の私にはにわかには信じがたいエピソード(東京下町の遊郭とかヤクザとか)が多く、驚いてばかりでした。
ご専門の地理学に対する造詣も極めて深く、様々なインスピレーションを頂きました。まず思い出すのは、家康の江戸都市計画をオランダ都市設計と絡める議論です。江戸は運河を張り巡らした水の都市なのですが、この計画は三浦按針などからアイデアを得ていたのではないかという仮説です。この話をする時はいつもとても楽しそうで、とても印象に残りました。都市計画全般や地政学に関する理論的な話も刺激的でした。恥ずかしながらそれまで地理学に対して大した関心を持っていなかったのですが、山田先生の話を通じて、地理学という学問の創造性が極めて高いことに初めて気づかされました。個人的には、内村鑑三や志賀重昂のような人が地理学を通じて明治日本に与えた影響を改めて考え直す機会になりました。

ようやく退職されて自由になった矢先のことで、たくさん旅行の計画があっただろうに、無念だっただろうと思います。タイミング的に、再課程申請の激務がたたったのかなあなどと、どうしても想像してしまうところでもあります。
ご冥福をお祈りいたします。