【備忘録と感想】関東地区私立大学教職課程研究連絡協議会2019年度「合同研究大会」

関私教協2019年度「合同研究大会」(2019年5/12於東京都市大学世田谷キャンパス)に参加してきたので、備忘録がてら感想を記す。

苧坂直行「新しい社会に求められる資質と能力~ワーキングメモリと社会脳の視点から」

ご専門の認知心理学の話だった。とても面白く聞いた。分野の最先端を行く人の話は、やはり端々の言葉に宿る知性と教養が段違いだ。個々の心理学的事例がお馴染みのものばかりだったのは、おそらく素人にも分かりやすく話そうとしたからだろう。

で、話の焦点は「認知脳=ワーキングメモリ/社会脳=デフォルトモード」の二項対立的(シーソーモデル)な論理だった。古典的な心理学で扱ってきた「注意(外部環境への気づき)」に当たるのが認知脳で、「自己-他者意識」を対象とするのが社会脳ということだ。従来の心理学では「単独脳」の解明に力を注いできたが、現代の認知心理学では「複数脳」を対象とした研究が発展しているのだそうだ。従来の単独脳研究では「認知脳」の働きしか究明できなかったが、複数脳研究が進展することで新たに「社会脳」の働きが明らかになってくる。
そして心理の三層構造の話で「生物的意識→知覚・運動的意識(認知脳)→自己他者意識(社会脳)」という話があったが、そこで「自己他者意識=社会脳=リカーシブな意識」という説明が出た時には少し興奮してしまった。「リカーシブな意識」というキーワードが、私が常々考えてきた「人格とは<再帰的な一>のことだ」という命題と共鳴したからだ。

そして個人的に思いだしたのは、近年、人間の人間たる所以を「社会性」に求める議論が各分野で広く行なわれているということだ。肉体的に優位にあったネアンデルタール人(旧人)が、より劣るはずのクロマニヨン人(新人)に負けたのは、集団を形成する社会性という点では圧倒的に新人のほうが優れているとか。あるいは教育の世界でも、個々の能力を競争的に上げるよりも、集団の能力を共同的に開発した方が効率が高いとか。(まあ、そんなことはギリシア時代にアリストテレスが既に見抜いていたことではあるが。)
そして今回の講演で聞いた「単独脳」から「複数の脳が一つの心に」という話から、ユングの共同無意識とか「幼年期の終り」とか「ブラッドミュージック」とかエヴァンゲリオンの人類補完計画を想起するのであった。

いろいろインスパイアされたし、日本を代表する碩学と面と向って話ができる機会もめったにないので、お話しを伺ってしまった。で、認知心理学の知見においても「自己を確立する」ことが極めて重要だと考えていることを再確認できたのは大きな収穫であり、励みであった。そしてもちろん「自己」は単独で確立できるものではなく、「他者」があって初めて成立するものだ。「社会脳」の研究は、そういう「自己と他者の相互関係―リカーシブな自己」の謎を解き明かす重要な知見を与えてくれることが分かった。
まあ、思い返してみれば、認知心理学はピアジェやヴィゴツキーからそういうことを言っているわけではあるが。

また、ソクラテス=プラトンの「哲学的問答法」の本質を理解する際にも、「認知脳/社会脳」の二項対立図式は一つの示唆を与えるように思った。というのは、論理的な領域には認知脳が対応するが、それを超越する原理的理解に対しては「対話的」な社会脳が対応すると考えられるからだ。一人の論理(単独脳)では答えに辿り着かなくとも、複数による対話(複数脳)であれば答えに辿り着く。実はソクラテス=プラトン「哲学的問答法」の本質は、認知心理学的洞察と共鳴しているのかもしれない。
認知心理学は、横目にちらちら見ながらも、本格的な勉強の優先順位としては上げずに敬遠してきた領域だったので、今回の話を聞いて、ちょっと優先順位を上げていこうかなと思ってしまった。

松田恵示「社会のシステムの変化と資質・能力の育成―AI時代の教育の視点から―」

AIによって教育がどう変わるかという教育界喫緊のテーマだった。面白く聞いた。まあ「教育の情報化から教育の高度情報化へ」という内容は、アンテナを張っている人にとってはお馴染みのテーマではあるだろう。私としても知識をしっかりアップデートしているつもり(NHKの「人間ってナンだ?超AI入門」を見るくらいだけど)ではあったが、改めて「私の方向は現在のトレンドとズレていないな」と安心する機会になった。
そしてAI化のトレンドの基礎を踏まえつつも、「産業界からの圧力」に対する違和感を教育者として表明してくれたのは、とても心強かった。やはり教育には経済とは異なる教育の論理があるはずだ。

そしてやはり碩学と直接お話しができる良い機会なので、「Agency」について詳しく伺った。個人的にも様々な機会に「Agency」という言葉を聞くようになって(たとえばONGのシンポ)、気になっていたのだが、本公演でも「責任主体」という日本語で説明された。先生のお話によれば、やはり直接関わっているのはOECDということだった。そして、従来から使われているCharacterという言葉は個人の内部的な性向を指し示すのに対し、Agencyは他者や社会との繋がりが意識されている言葉ということだった。確かにそうだ。これは苧坂氏の「単独脳から複数脳へ」の流れと完全に響き合っている話だ。
OECDの背景にあるAgency思想の源について調べるのは、私自身の仕事だ。それはおそらく教育基本法第一条「人格の完成」の捉え方にも影響を与えることになるはずだ。

市川伸一「習得における「主体的・対話的で深い学び」~教授と活動のバランスに配慮した授業づくり」

いちばん教育現場に近い話で、いわゆる「アクティブ・ラーニング」をテーマとした内容だった。従来のアクティブ・ラーニングがいかに誤解にまみれて型に嵌まっていたかという指摘から始まったが、いやいや、良かった。アクティブ・ラーニングに対する私の解釈と、だいたい同じ方向を向いていることを確認できた。

まあ「教えて考えさせる授業」というのは、理屈としてはよく分かる。具体的な実践の数々を見ても、成果が上がっているのは、よく分かる。が、自分自身の授業で実現しようとすると、これがなかなか難しい。私も自分自身の「授業デザイン」を工夫していかなければならない。がんばろう。たとえば、私は100名近くのマスプロ授業を持っていて、これまではなかなか双方向型の授業を好走するのが難しかったのだが、いまはGoogle アンケートを活用するとそこそこ上手く双方向の「教えて考えさせる授業」になるような手応えを感じつつあるのだった。

そんなわけで、研究大会後の情報交換会でも有益な情報(IBは筑波大附属坂戸とか、国泰寺の近くのタケノコが美味しいとか)を得たり、流経大で私の授業を取ってくれた学生が現在では立派な研究者に成長していて教育者冥利に尽きたりとか、様々にインスパイアされて帰ってきたのでありました。研究と授業、さらに頑張りましょう!>私