【要約と感想】伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス―政治と宗教のいま』

【要約】「ライシテ」とは、辞書的にはフランス革命後に成立した「政治と宗教の分離」と理解されていますが、ライシテの本質を個々人の信教の自由を保証するものと考えるか、逆に宗教を国家の管理下に置くものと考えるかで、支持層や社会で果たす役割がまったく異なります。
フランスの歴史をふりかえってみると、カラス事件、ドレフュス事件、ヴェール事件と、宗教的マイノリティに対する偏見に基づいた事件と、それに対するリベラルな立場からの反省が繰り返されています。単純に政教分離が成立していたわけではなく、生活に根付いた文化に対する宗教の影響についても繊細に理解する必要があります。具体的にはムスリムへの対応や、ムスリム自身の自己理解が参考になります。
ライシテは、決してフランスだけの問題ではありません。特に生活習慣や文化に根付いた宗教的儀礼に関する取り扱いについては、日本でも葛藤が見られるところです。

【感想】私が受け持っている教育概論でも、「ライシテ」の話をする。コンドルセの思想と絡めて公教育の原理について話をするときに、(1)学習権(2)教育費無償(3)ライシテの三原則について言及し、旧教育基本法第8条(政治教育)と第9条(宗教教育)の規定について説明している。
そんなわけで知識をアップデートしようという目的で本書を手に取ってみたわけだが、なかなか勉強になった。ライシテが現代社会で複雑な様相を呈していることも認識しつつも、教育と学校(つまり私の専門)にとっても相変わらず大問題であるとの思いも強くした。近年では「18歳選挙権」が実現される中、学校教育においてどのような政治教育を目指すべきかは焦眉の問題なのだが、これまでの教育で「個々人の信条の自由」を尊重する姿勢をとってこなかったツケが祟ってきたのだろう、「思想・信条を管理する」ような形での理解が目立つように思う。
ライシテを「多文化共生」と訳してみたらどうかという著者の結論には、深く頷く。「政教分離」という言葉では誤解しやすいようなニュアンスを、「多文化共生」のほうは上手に言い表しているように思った。

【眼鏡学に使える】本書の趣旨とはまったく関係ないのではあるが。公共空間でのスカーフ着用が宗教的かどうかが問題となった文脈で、以下のような文章があった。

「これに対し、サイード・カダは、スカーフは非ムスリムとのあいだに分断ではなく絆をもたらすと主張する。人間関係とはお互いの考えを交換することに基づいている。自分にとってスカーフは内面の延長で、自分を語ることに向けての跳躍台である。実り豊かな相互理解のためには、各人が等身大で受け入れられることが必要だが、自分としてはスカーフを外せば、自分ではないところの者になってしまう。相手との間に分断の壁を作ってしまうのはスカーフではなく、スカーフについての固定的な考え方である。むしろスカーフがあってこそ、より深い人間関係を築くことができる。」152頁

この文章の「スカーフ」を「眼鏡」に置き換えると、1970年代の少女マンガが繰り返し描いてきたモチーフをほぼ正確に言いあてるように思う。要するに、なにか普遍的な要点に触れた記述であるような感じがした。

伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス―政治と宗教のいま』岩波新書、2018年