【要約と感想】リヒテルズ直子×苫野一徳『公教育をイチから考えよう』

【要約】日本の公教育は完全に時代の流れから取り残されています。19世紀的な産業社会では画一一斉授業で作られる没個性的な人材が歯車として役に立ったかもしれませんが、ポスト産業化社会では自分の頭で判断し行動できないような他律的人間はもはや必要ありません。グローバル社会で生き抜けるホンモノの力を育むには、オランダで行なわれている「教育の自由」の思想に基づいた諸実践(イエナプランなど)が参考になります。本書が言う「教育の自由」とは、単なる学校選択制のような消費者的自由ではなく、教員や学校の自由に基づいた市民的な「精神の自由」に基づいています。

【感想】これからの教育の拠って立つ基盤は「自由の相互承認」にあり、具体的には「個別化・共同化・プロジェクト化」が成功の鍵を握っているという苫野氏の論理に対し、リヒテルズ氏が紹介するオランダの教育実践が見事に噛み合っている。今後の日本の教育の在り方を考える上でも、大いに参考になる。

【今後の研究のための備忘録】
とはいえ、気になるところは、なくはない。本書で紹介されているオランダの教育行政は、単純に見れば「学校選択制」以外の何物でもない。しかも私立学校に対しても公費を投入していることから、実質的にはバウチャー制やチャーター・スクール等に似た制度のようにも見える。

オランダで、「教育の自由」によって、多様な教育理念に基づく学校が公教育費で運営され、子どもや親が自分にとって最もふさわしいと思える学校を選ぶ自由が保障されていることは重要です。(52頁、リヒテルズ担当部)

しかしながら、現在の日本の教育制度や教育文化を前提としたままで学校選択制を採用すると、むしろ教育がおかしくなってしまう。そしてそのことにもちろん二人とも気がついている。

「日本における学校選択制についていうと、私自身は、これには長らく基本的には反対の立場です。いまの段階では、学校の序列化とその固定化が生まれやすいため、リスクが高すぎると考えています。」(苫野、204頁)
「日本に選択制をすぐに導入することについては、私も否定的です。その理由は、日本の学校教育は長らく上の学校への進学率という尺度だけで測られてきており、保護者の学校への期待も、大部分はそこに焦点が当てられているからです。」(リヒテルズ、205頁)

だから、単純に制度を真似しようという話にはできず、その制度を成立させている「自由」の質の違いについて言及せざるをえない。単なる「経済的な自由」ではなく、教員や学校の自由に基づいた「精神的な自由」でなければならないのは、重要な条件だ。とはいえ、本書内では、オランダ国内ですらその条件が怪しいことに触れられている。

また、「自由」といいつつも、それは店で商品を選ぶような消費行動面での自由にとどまることが多く、必ずしも自分自身の「良心」にしたがった行動を選ぶという意味での自由、かつて啓蒙思想の広がりとともに議論された、どんな権威のも屈しない個人の「精神の自由」であるとは限りません。(97頁、リヒテルズ担当部)

本書の記述から察するに、オランダ国内で採用されている学校選択制とは、日本の規制緩和論者が盛んに導入を訴えていた「チャーター・スクール」のようなもので、確かに従来の硬直した公立学校を壊すものではあるだろうが、公立学校と同時に地域社会をも破壊するものだ。おそらくオランダでは、仮に地域社会が破壊されたとしても「市民社会」や教会が代替機能を果たせるから問題がないのだろう。しかし一方日本では、はたして地域社会が破壊し尽くされた後で人々の絆を取り結べるような代替団体があるだろうか。教会や「市民社会」が地域社会の代わりを担えないところでチャーター・スクールを導入したら、単に住民のエゴが野放しになり、生活基盤が破壊されるだけだ。
ここまで考えると、結局問題の要点は「市民社会」の成熟度や定着度なのであって、教育制度をいじることにあまり意味がないような気がするのだ。無い物ねだりをして他の国の教育制度を羨ましく思うのではなく、どうしようもなく変わらない我々自身の環境や条件を踏まえた上で理想の制度を模索し続けなければいけないのだろう。そういう意味で、オランダの教育制度を理想視しすぎるのも危険だと思った。公立学校の解体を目論んだ過激なチャーター・スクール導入を目指した規制緩和論者の野望が砕け、現在のように穏健なコミュニティ・スクール導入に落ち着いてきたのは、あるいは日本独自の在り方を模索し続けた結果なのかもしれない。地域社会で住民の絆をとり結ぶ核になるようなコミュニティ・スクールが構想されているのを見るにつけ、オランダの「教会」が果たしてきたような機能と役割を日本では「地域社会に根付いた学校」が担ってきたのかもしれないと思うわけだ。
とはいえ、そういう教会としての学校の役割も終りを告げつつあるのだろう。あるいは「地域社会」は、もはや滅びなければならないのだろう。地域社会消滅後の公教育の在り方を考えるときに、「教育の自由」を基盤としたオランダの学校選択制は一つの参考となる。

リヒテルズ直子×苫野一徳『公教育をイチから考えよう』日本評論社、2016年