【要約と感想】ホメロス『オデュッセイア』

【要約】トロイア戦争に参加した英雄の一人オデュッセウスは、自らの知謀でトロイエを滅亡させることに成功したものの、神々の怒りに触れたために故郷に帰ることができない。一方オデュッセウスの故郷では、愛する妻と子供が無法者たちのために危機に陥っていた。オデュッセウスは10年間の苦難の流浪の末にようやく故郷に帰還し、息子のテレマコスと共に無法者たちを討ち果たし、愛する妻と再会する。

【感想】個人的な感想だけ言えば、『イリアス』よりもこっちのほうが圧倒的に好き。もう段違い。『イリアス』はウンザリしながら「教養のため…」と我慢して読んだけれども、『オデュッセイア』は純粋に夢中になって読めた。
客観的に出来がいいかどうかという問題ではなく、私の個人的な興味関心の有り様に関わっているんだろうけれども。とはいえ、その好き嫌いの理由は、明らかに『イリアス』と『オデュッセイア』の作品の質の違いにも関わっているので、以下、どうして好き嫌いが生じたのか、理由は分析しておく。

(1)『イリアス』は主人公がアホすぎるが、『オデュッセイア』は賢い
まず、私はアホな登場人物が嫌いだ。『イリアス』の主人公であるアキレウスの低脳ぶりには目を覆うばかりだ。低脳だけならともかく、残虐で短慮で浅はかで自分勝手でマザコンという、もはや人間のクズと言っても過言ではない、酷い主人公だ。
一方オデュッセウスは、慎重で賢く、しかも勇気がある。主人公として共感できる資質の持主なのだ。感情移入しやすいキャラクターという点で、アキレウスよりもオデュッセウスのほうが圧倒的に優れている。

(2)テレマコスのキャラクターが素晴らしい
『オデュッセイア』ではオデュッセウスの息子テレマコスがもう一人の主人公として大活躍するのだが、このキャラクターが素晴らしい。純真で清々しく、健気で若々しい。こういう素直に応援したくなる若者は、『イリアス』には一人も登場しない。テレマコスが徐々に男らしく成長していく姿は、読んでいて実に気持ちがいい。ルソー『エミール』にはテレマコスにハマって婚期を逃す女性のエピソードが語られるが、分かる気がする。こんな男性を理想像としていたら、そりゃあ現実の男性に魅力を感じることはないだろう。

(3)「遠山の金さん」あるいは「水戸黄門」的なおもしろさ
オデュッセウスは自分の正体を隠して故郷に帰還し、自分の家で乱暴狼藉を働く無法者たちの悪行を自分の目で確かめた上で、最後に正体を明かし、ばったばったとやっつける。その爽快さたるや、これぞエンターテインメントの真骨頂だ。その痛快活劇のあり方は、「遠山の金さん」や「水戸黄門」の面白さと完全に同じだ。高貴な自分の素性を隠している間は悪者たちに侮られ続けるが、いざ正体を明かしてからは完全無双状態。裏切った女中たちが12人並んで首を吊られるところなんかは、まるで必殺仕事人。痛快極まりない。

(4)そもそも戦う理由に共感できる
『イリアス』が酷いのは、そもそも戦う理由が意味不明なところだ。どうしてアカイア勢とトロイア勢が戦う必要があるのか、わけがわからない。立派な人間がわけのわからない理由で次々と殺戮されていく描写が延々と続き、ゲンナリとする。かわいそうすぎて、見てらんない。特にアキレウスが戦う理由は私利私欲と私怨でしかないのだから、どれだけ活躍しようと、いや活躍すればするほど「死ねよ」としか思えない(まあ、ほんとに死んじゃうんだけど)。
が、『オデュッセイア』では、オデュッセウスとテレマコスが戦うのは「家族の絆」のためなのだ。家族の絆を守るために傍若無人な無法者と戦うのだから、戦う理由に正当性がありすぎる。特に健気なテレマコスには、無条件に「がんばれ」と応援したくなる。

まあ、『イリアス』と『オデュッセイア』の作劇上の違いについてはアリストテレス『詩学』が相当つっこんで議論しているところだけれども、以上書き連ねたのは客観的な作劇上の問題ではなく、あくまでも個人的な感想が生じる理由についての分析でありました。

ホメロス『オデュッセイア(上)』松平千秋訳、岩波文庫、1994年
ホメロス『オデュッセイア(下)』松平千秋訳、岩波文庫、1994年