教育概論Ⅱ(中高)-7

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前回のおさらい

・学習指導要領の変遷。1947年版=法的拘束力なし、道徳科なし。
・1958年/1968年版=法的拘束力あり、道徳科登場。←逆コースと高度経済成長。

学習指導要領の変遷(2)

学習指導要領(1958・60年版)・(1968・69・70年版)

高度経済成長

・1955年~1973年にかけて日本は圧倒的な経済成長を遂げます。1964年=東京オリンピック、1970年=大阪万博。
・日常生活が急激に変化しました。三種の神器(白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)
・大卒初任給が急激に増えました。貧乏→豊か。
・産業構造が転換しました。農業→工業。3チャン農業。出稼ぎ。
・進学率が上昇しました(高校:50%→90%、大学:10%→30%)。半分しか高校進学できなかった時代から、ほとんど高校進学する時代へ変化します。
・親の権威の低下します(親が子供に教えてやれることは何もない)→教師の権威が増大します(高校進学・大学進学の実態について知っているのは教師だけ)。
・教育に関して親が頼れるのは学校と教師しかないという状況になり、学校と教育の黄金時代を迎えます(見かけ上)。
・実態は、「でもしか先生」でした。教師に「でも」なるか。教師に「しか」なれない。
・受験競争が激化し、詰め込み教育が横行します。
・親が子供にかける期待が増大します。マンガの事例。
・「ムラを育てる教育」から「ムラを捨てる教育」へと変わりました。

学習指導要領(1977年版)(1989年版)

・いわゆる「ゆとり教育」が開始されます。「個性」の尊重が合い言葉となります。
*「ゆとり教育」という言葉が意味するものについて、注意しましょう。見かけの教育現象ではなく、日本社会で本質的に進行していた事態に目を向けましょう。
・この時期(あるいは現在まで)の教育を理解するには、1984年の「臨時教育審議会」が決定的に重要です。

オイルショックと産業構造の転換

・1973年にオイルショックが起こり、高度経済成長が終わ、低成長時代に入ります。ただし日本だけ早期に復活します。Japan as No.1(1979年)からハイテク景気とバブル景気へ。
・重厚長大型産業(石油を莫大に使用する産業、少品種大量生産)から軽薄短小型産業(ロボットとコンピュータ、多品種少量生産)への転換に成功しました。
・生産主導から消費主導へ=マーケティングと宣伝広告の重要性。
・人材雇用の転換=アウトソーシング。終身雇用から流動的な雇用へ。
・知識観の転換=知識や技術の賞味期限の短縮。暗記型(知識の量)から検索活用型(思考力・判断力・表現力)へ。
・教育観の転換=「まじめ」から「個性」へ。
→1977年の学習指導要領改訂:「ゆとりある充実した学校生活の実現=学習負担の適正化」
→1989年の学習指導要領改訂:新学力観個性
・どうしたら「個性」を育てることができるのでしょうか?

臨時教育審議会

*中曽根康弘総理が1984年に総理府に設置し、教育改革ブームとなります。
・中央教育審議会(文部省)と臨時教育審議会(総理府)。内閣が直々に「教育改革」の前面に出てくるとはどういう事態なのでしょうか。
・キーワード=民営化、自由化、規制緩和、構造改革、小さな政府。
・電電公社→NTT(1985年)、専売公社→JT(1985年)、国鉄→JR(1987年)。
・自由化、民営化のメリット=公共部門の縮小による歳出削減。市場原理(競争原理)により、個性が伸張し、サービス全体の質が向上します。
・自由化、民営化のデメリット=後述します。

教育における市場原理

学区制を廃止して学校選択制に転換しようとします。学校選択制の導入によって個性が伸張し、全体的にレベルアップします。
・たとえば、いじめはどうしたらなくなるでしょうか? 大学の授業がつまらないとしたら?
→バウチャー制度。私立学校も含めて競争原理に巻き込みます。
→学校民営化。すべてを競争原理に委ねます。
・学校機能の民間委託=学校週五日制など授業時間削減。公的な学校の時間を削減した分、私的に自由に使える時間が増えました。
・ゆとり教育の本質とは、「公・官/私・民」の配分の問題です。

復習

・いわゆる「ゆとり教育」に関して、実際には臨時教育審議会(1984)による規制緩和と構造改革が進行していた事実を認識しておこう。
・1977年と1989年の学習指導要領改訂の背景について押さえておこう。

予習

・民営化のデメリットについて考えておこう。