人格とは何か?―心理学・法学・哲学で絶望的に意味が違っています

人格は「人柄」ではない

 人格は、「個人の心理面での特性」ではありません。また、「人柄」でもありません。Wikipediaの記述は、間違っています。(Wikipediaにはいい加減な情報が載っていることが多いので、あまり信用してはいけません。参考程度に留めましょう)。
 もしも「特性」とか「人柄」という言葉と同じ意味なら、わざわざ「人格」などと言う必要はありません。「特性」とか「人柄」と言っていればいいのです。「特性」や「人柄」という言葉では伝わらない極めて重要な中身があるからこそ、特別に「人格」という言葉が用意されているのです。
 特に、心理学が扱う「人格」という言葉は、世間一般で使用されている「人格」という言葉の意味とあまり関係がない独特な専門用語であることには注意したほうがいいでしょう。たとえば「コトバンク」等のWeb辞書では冒頭に心理学事典等の用例が出てきますが、世間一般で使用されている「人格」という言葉の意味とは根本的に異なっていますので、心理学という専門領域に限って通用すると承知しておくのが無難です。教育に関して言えば、教育基本法が言う「人格の完成」の「人格」と、心理学が言う「人格」とは、まるで意味が違っています。(どっちが良くてどっちが悪いという話ではありませんよ)
 では「人格」という概念について理解するために、まず歴史的な観点から論点を整理した上で、学問分野ごとに「人格」をどう考えているか具体的に見てきましょう。

歴史的に「人格」概念を検討する

明治:お前に人格という言葉の意味が解るか

 「人格」という言葉の意味を考える上で参考になる一節が、夏目漱石の絶筆となった小説『明暗』(1916年)に見られます。

「何を生意気な事を云うんだ。黙っていろ、何にも解りもしない癖に」
 津田の癇癪は始めて破裂した。
お前に人格という言葉の意味が解るか。たかが女学校を卒業したぐらいで、そんな言葉をおれの前で人並に使うのからして不都合だ」
夏目漱石『明暗』1916年

 場面は、妹のお秀の非難に対して、主人公の津田が癇癪を起こしたところです。妹が「兄さん、妹は兄の人格に対して口を出す権利がないものでしょうか。」と非難したところで、兄の方は「お前に人格という言葉の意味が解るか」と切り返しています。女学校を卒業した程度の人間には「人格」という言葉の意味など理解できるわけがないと、酷い言いようです。女学校とは、現代で言えば高校程度のレベルの学校です。つまり津田は、「高校を卒業したくらいでは人格という言葉の意味は解らない」と主張していることになります。もし人格という言葉の意味が「人柄」で構わないのなら、こんな面倒な話にはなりません。実際のところ、明治時代後期の段階では、「人格」という言葉を日常生活で聞く機会などまずあり得ませんでした。主に帝国大学の哲学科のような学問の場で、ヨーロッパ由来の哲学・倫理学・教育学を理解するための重要なキーワードとして研究され始めた、純粋な学術用語でした。津田は、そういう事情を踏まえて、「人格」という言葉は帝国大学以上で扱われる高尚な学問的概念であって、女学校卒業程度の人間が日常会話で軽々しく使っていいものではない、と主張したのでした。津田は嫌なやつですが、明治時代の状況は実際そういうものでした。明治前半の日本には「人格」という言葉すら存在せず、personalityという英語は「人となり」などと翻訳されていました。「人格」という言葉が見え始めるのは、明治も半ばを過ぎた明治28(1895)年頃からのことです。(このあたりの詳しい事情を知りたい方は、私の学術論文をご参照下さい。「日本の教育学説における人格概念の検討」)

大正:人格を認知せざる国民

 しかし実際のところ、明治時代が終わって大正時代に入り、『明暗』が書かれた頃には、「人格」という言葉は一般的にも使用されるようになっていました。特に「大正教養主義」の中で頻繁に「人格」という言葉が使用されました。教養主義を代表する人物、新渡戸稲造が大正2(1913)年に発表した文章を見てみましょう。「人格を認知せざる国民」という、少々物騒なタイトルの文章です。

「時々、胸襟を開いて話をしては馬鹿を見る、度々「お前もか」というような目に遇て、失望することが多い。要するに吾々日本人は、人格なるものを認知し得ないのではなかろうか。
 階級で人を度ったり、衣服で人を度ったり、ないしは成功で人を度ったり、官吏ならば、勅任だの、奏任だのと、官等で人を度ったり、あるいはまた学問や技芸で人を度ったりして、人格で人を度らぬ、附属で人を度って人格で人を度らぬ。全く今の日本には男一匹の交際が少ない。」
新渡戸稲造『人格を認知せざる国民』1913年

 タイトル通り、日本人には「人格」というものが分かっていないという主張で、現代風に言えば「肩書きばかり見て内面を見ない」ということになりそうです。今ではよく耳にする意見ですが、実は明治時代中期までほとんど見られず、明治後期から大正時代にかけて「人格」という言葉を通じて喧伝された新しい考え方でした。これは当時の知識人に共通の考え方だったようで、彼らはいわゆる「大正教養主義」の中で、いかに人格が重要かを繰り返し主張するようになります。これが若者たちを熱狂させました。大正5(1916)年に書かれた夏目漱石『明暗』との関係で言えば、おそらく大正3(1914)年に発表された阿部次郎『三太郎の日記』が極めて重要な意味を持ちます。この本では、「人格」という言葉が連発されます。まさに連発です。ちょっと見てみましょう。

「聖オーガスチンは神の中に憩ふに非ざれば平安あることなしと云つた。自分は要求の點に於て未だ中世に彷徨つてゐる男であらう。思想が欲しい。人格が欲しい。「神」が欲しい。」
阿部次郎『三太郎の日記 第一』1914年

 率直に言って何を言っているかさっぱり分かりませんが、当時の学生はむさぼるように『三太郎の日記』を読んだと伝わっています。この流行書で「人格」という言葉が連発されました。また仮にこういう難しい本を読まなくとも、様々な大衆向けメディア(おそらく特に重要なのが『太陽』などの総合雑誌)を通じて「人格」という言葉や教養主義的な考え方が日常生活の中に浸透しはじめます。こういう背景を考えると、高等女学校で学んだお秀が大正6年の段階で「人格」という言葉を問題なく使っても、まったく違和感はありません。
 あるいは、明治的な兄と大正的な妹の意識の決定的なズレが、この「人格」という言葉に象徴的に現れているということかもしれません。おそらく漱石は、こういう時代状況と世代間格差に自覚的でした。そしてこれを読んだ当時の読者も、「人格」という言葉から、明治時代の古臭い兄と大正時代の新しい妹のセンスの違いを感じとったはずです。
 ちなみにこの時点では、心理学は「人格」を扱っていません。

平成:日本人は「人格」概念を理解したか?

 では「人格」概念の輸入から100年を経た平成の世で日本人がそれを理解していたかというと、残念ながら極めて怪しいところです。西欧中世史家の阿部謹也が平成に入ってすぐ、こう言っています。

「私たちは明治以後、近代学校教育の中で、自分を個人として意識し、一つの人格をもつ存在であることを学んできた。そのばあい、人格とは何かとか、近代以前において日本人は個人の人格をどのように考えてきたのか、などと問うこともなく、私たちは過ごしてきたように見える。とくに周囲の人間関係の中で、一個人が自分の人格をもちつつ生きることの意味について、深い省察はなされていないように思われるのである。」
阿部謹也『西洋中世の愛と人格―「世間」論序説』1992年

 阿部は、日本に「民主主義」や「個人の尊厳」という考え方が根付かない根本的な原因を、「人格」概念に対する無理解だと考えています。
 しかし一方、教育社会学者の苅谷剛彦は、2019年、日本人は「人格」という概念を問題なく理解しているという見解を示しています。

「ここでは「日本国民は人間性、人格、個性を十分に尊重しない」という問題を構築したうえで、「人間性、人格、個性」の三つの言葉にわざわざ説明を加えている。これらの概念が日本人には理解されていなかったという暗黙の前提がはたらいたのだろう。今日これらの言葉にこのような説明が不要なことを念頭に置けば、異様な感のする説明である。」
苅谷剛彦『追いついた近代 消えた近代―戦後日本の自己像と教育』2019年

 阿部謹也は平成の始めに「日本人は人格を理解していない」と言ったのに対し、苅谷剛彦は平成の終わりに「日本人が人格を理解していないとは異様な感のする説明」と言っています。平成30年の間に、日本人が「人格」概念を理解できたということでしょうか、さてはて。

人格を見る3つの観点:心理学・法学・哲学

 さて現在、人格という言葉の意味を掴みにくいのは、3つの観点からまったく異なる意味で使われているからです。逆に言えば、そこさえ整理できれば、全体像がすっきり見えやすくなります。
 その3つの観点とは、
(1)実体的な人格(主に心理学が対象とする)
(2)仮想的な人格(主に法学や経済学が対象とする)
(3)実存的な人格(主に哲学や神学が対象とする)
 です。大雑把には、学問分野によって観点が異なってくるということになります。
 以下、それぞれの立場を確認していきましょう。

(1)実体的な人格:心理学

 実体的な人格とは、主に心理学の分析対象となり、数字で評価できるものです。近年のパーソナリティ心理学ではBIG5と呼ばれる評価規準が設定され、数字によって人格特性を表現することができるようになっています。つまり、この立場では、人格は客観的に測定できる対象です。ロールプレイングゲームに登場するキャラクターたちのステータスが数字で表されているように、実際の人間の様々な特性も数字で表現できるという考え方ですね。

 が、このように人格を実体的に考えてしまうことは、哲学の立場から見れば、ただの勘違いにすぎません。

「人間理性にとって、自分の実体(何であるか)は他者の実体と同様に、けして認識できない。この実体とは「人格」のことである。したがって心理学によって人の性格を調べたとしても、それは人格そのものの認識ではなく、あくまでも人格という実体にともなっている偶性(たまたま他人、ないし他者との関係でその人に生じる性質)にすぎないと見なすことになる。」
八木雄二『神の三位一体が人権を生んだ』春秋社、2019年、30頁

 そして、人格を実体的に見ることは、パーソナリティ心理学の立場からも批判が加えられています。

「しかし、客観的にみるかぎりでは、パーソナリティ(特性)は構成概念として考えるべきものであり、それ自体が実体として(脳のなかに)存在していると仮定することは妥当とは思われない。しかし、現在のパーソナリティ研究の多くは、依然として実在論的なパーソナリティ概念を暗黙の前提としている。」
若林明雄『パーソナリティとは何か その概念と理論』培風館、2009年、47頁

 このような批判があるにも関わらず、学術研究の世界でも、人格を実体的に理解する立場は衰える様子を見せません。一般的にも、人格を実体的に理解する姿勢に根強いものがあることは、間違いないところでしょう。たとえば「スペック」などという言葉には、そういう意識が色濃く反映しています。ゲームのキャラクターの能力を数字で表すことができるのと同様に、人間の能力も数字で表せると考えてしまうわけです。

 ちなみに心理学の領域で「人格」が浮上したのは、オールポートという心理学者が大きな仕事をしたからです。オールポートは人格の定義を分析し、過去に提出された定義を50も示した上で、心理学においてどのようにパーソナリティを扱うべきか、詳細に議論を展開しました。ちなみにこのオールポートの仕事は、大雑把な概説書では本人の意図とは違った形で解説されるケースもあるので、注意が必要です。というのは、オールポート自身は「法則定立的学問」を原理的に批判して特性記述的な方法論の樹立を目指したにも関わらず、後のパーソナリティ心理学は一般的・分析的な法則定立を目指す傾向(いわゆる特性論)にあり、つまり両者は原理原則的に噛み合うところがないのにも関わらず、なぜかオールポートをパーソナリティ心理学の開祖にしてしまうケースがあるからです。オールポートは人格を「実体的」に考えていません。オールポートにしてみれば、人格心理学の祖に祭り上げられるのは、ありがた迷惑といったところでしょうか。(参照:オールポート『パーソナリティ心理学的解釈』)。そんなわけで、オールポートの仕事は教科書を読んで分かった気になるとかなり誤解しやすいので、しっかり原典に当たって本人の主張を捉えたいものです。原典を丁寧に読めば、オールポートが提出する「人格」の定義は、極めて重要な示唆を与えてくれます。

(2)仮想的な人格:法学

 実体的な人格理解に対して、「人格なんてものは現実には存在しない」と言い切るのが、次の立場です。この立場では、人格が現実に存在するなどという非科学的な戯言など、断じて認めません。実際、人格の存在は、どれだけ科学的に分析しても、証明することなどできません。
 しかしこの立場は、いったん人格というものの物理的存在を否定した上で、仮想的に存在を認めます。なぜ仮想的に存在を認めるかというと、あたかも人格というものが存在しているかのように世の中を組み立てておいた方が、世の中がうまくいくからです。
 具体的には、たとえば法学では、人格なんてものは現実には存在しないのだと見切りつつ、それでもあたかも存在しているかのように振る舞います。法学者の安藤馨は、こう言い切っています。

個人の人格は、そこに天然自然のうちに存在しているものではなく、それがあると考えた方が人々の効用が増大する(=気持ちよくなる)から設定されたもの、あると考えられるようになったものであるに過ぎない。となれば、個人の人格を基礎とする自律という観念も、単にそう考えることによってもっとも社会全体における功利が増大するという理由によって正当化し得るものに過ぎないということになろう。」
安藤馨「統治と功利-人格亡きあとのリベラリズム」『創文』2007年1-2月号

 実際、法律というものは、「人格」と「物件」の厳密な峻別を土台にして、全体が構成されています。もしも「人格」という概念を認めないと、法律の体系全体が崩壊します。しかし人格そのものはあくまでも仮説的に存在を認められたもの(カント的に言えば論理的に要請されるもの)であって、現実に物理的に存在するわけではありません。

 また第一次世界大戦から第二次世界大戦期にかけてアメリカで影響力を持った精神科医のハリー・スタック・サリヴァンは、「人格」なる概念が単なる仮説に過ぎず、しかも臨床の場面では役に立たないことを主張しています。

人間が個々独立した個体であるというのは可能性の一つに過ぎないわけです。そして私が言っているのは、その考え方が果たして役に立っていますか、ということです。」113頁
「ここでは「人格の一部分」としたが、「人格」がそもそも仮説である」114頁
ハリー・スタック・サリヴァン『個性という幻想』阿部大樹訳、講談社学術文庫、2022年

 法学という領域では「人格」という仮説を置くことでシステム全体が機能することがあるとしても、精神医学の領域では「人格」という概念を持ちだしたところでクライアントを理解する上で何の役にも立ちません。仮説として導入されていた「人格」という概念が、もはや実践の場面で仮説としても役に立たないのであれば、その限りにおいて廃棄して差し支えないということになります。
 そしてサリヴァンに触れたところで、統合失調症の治療に取り組んだ日本の精神科医、中井久夫を思い出してもいいのでしょう。私たちが自分のことを「個々独立した個体=人格」であると思い込んでいるのは、実は農耕社会以降に一般化した「強迫症」の働きのせいかもしれません。強迫症のメカニズムによって、われわれの人格はかろうじて統合されているように観察できるだけなのかもしれません。

(3)実存的な人格:哲学・神学

 これらに対して、まったく別の観点から、人格が現実に存在していることを主張する立場があります。この立場では、仮説的に存在を認めるなどという生ぬるいことは言いません。しかし、(1)にように物理的に存在しているなどと言いたいわけではありません。この立場では、人格とは、精神的に存在するものです。もっと言えば、霊的に存在するものです。物理の世界を超越したところに、物体よりも遙かに存在感あるものとして存在していると主張します。
 たとえば神学者の稲垣良典は、次のように述べています。

「私自身が根本的に前提としている「人間」理解と、聴講者たちの間で「自明の理」とされている常識的な人間観との間の著しい隔たりは、時がたつにつれて次第に重い問題として私に迫ってきたのである。
その隔たりとは、一言でいえば、常識的な人間観における「人格」概念の完全な欠如であった。(中略)
社会通念ともいえる人間観にひそんでいるこうした欠陥は、いずれも「人格」概念の不在――「人格」という言葉、あるいは「人格の尊厳」「人格の形成」という標語は広く流通しているにもかかわらず――に由来する、と私には思われた。なぜなら、この後の本論で詳細に論じられるように、われわれが「私」「自己」と呼んでいる存在を明確に認識し、その存在に固有な価値を基礎づけることができるのは、人間を「個人」あるいは「個」として捉える立場を超え出て、人間を明確に「人格」として経験し理解することによってだからである」
稲垣良典『人格《ペルソナ》の哲学』創文社、2009年、vii頁

 稲垣のこの言葉は、(1)の立場の批判であると同時に、(2)の立場に対する批判でもあります。(2)の立場とは、「人間を「個人」あるいは「個」として捉える立場」であって、その立場を成立させるために「人格」という観念を仮構したのでした。しかし稲垣は、これを批判して、「人格」とは仮構物などではなく、実際に「存在」するのだと主張しているわけです。
 そしてここでいう「存在」とは、もちろん物理的に存在しているなどという通俗的な意味ではありません。稲垣は次のように述べます。

「このように、「人格」について語ることの難しさは、私が私自身に現存している「私」「自己」を認識し、それについて語ることの難しさであり、精神が精神自身に現存している「精神」を認識し、それについて語ることの難しさである。ということは、少し変った言い方になるが「人格」は自己自身に現存している「人格」を認識し、それについて語ることが難しい、ということであり「人格」とはそのような自己自身への現存という存在の仕方をするものである、ということである。言いかえると、「人格」「自己」「精神」などの名で呼ばれるものは、「存在する者」である限り「一」であるが、それは量的な「一」、数の単位とか点のような「一」ではなく、自己還帰的な「一」、すなわち同一のものが自己に現存し、自己へと立ち返るような仕方で「一」なのである。」
同上書6頁

 つまり、「存在」という言葉の意味そのものが既に(1)や(2)の立場と異なっていることに注意しなければ、稲垣の言う「人格」の意味内容を捉えることはできません。人格とは、「存在」という言葉のもっとも純粋な意味において「存在」しているものです。

まとめ:3つの観点の噛み合わなさ

 以上、3つの観点から人格という言葉の意味内容を確認してきました。そして確認したように、もはや絶望的に、まったく噛み合うところがありません。それぞれ、何も意味が重なっていません。そういうまったく違うものが、同じ一つの「人格」という言葉で呼ばれているために、「人格とは何か?」がまったく分からなくなり、混乱してしまうのです。
 が、その混乱ぶりから、むしろ明確に分かることがあります。それは、「人格」という言葉の意味は、「世界」をどう見るかによって根本から変わるということです。逆に言えば、「世界をどう見るか」という観点が伴わないかぎり、「人格」という言葉だけを取りだして議論しても、あまり意味がないということです。
 学問分野の違いによって「人格」に対する見方がまるで異なるのは、学問それぞれの世界観が異なっている以上、当然のことになります。どれが正しくてどれが間違っているという話ではありません。

「人格の完成」とは何か?

 では、教育学では、「人格」をどう捉えるべきでしょうか? 決定的に重要な事実は、教育基本法の第一条に、日本の教育の目的は「人格の完成」であると明記されていることです。人格の完成という教育の目的を達成するには、そもそも「人格とは何か?」が分かっていなければいけません。
 ということで、「人格の完成」については、ページを改めて考えますが、参考になる文章を見ておきましょう。太宰治が太平洋戦争まっただ中に書いた『正義と微笑』から、主人公が通う学校の黒田先生が授業中に脱線して放った長演説の一部です。

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」
太宰治『正義と微笑』1942年

 引用した文章で言っていることは、大正教養主義が繰り広げていた主張そっくりそのままです。「教養」とは、引用文中に出てくる「カルチベート」を日本語に翻訳した言葉です。ちなみに太宰「正義と微笑」(1942年)は、1935年頃に書かれた若者の日記を題材に採ったものです。作中には「黒田先生は、いまどうしているだろう。ひょっとしたら出征したかも知れない。まだ三十歳くらいの筈だから」ともありますので、逆算すれば、この主張を展開した黒田先生は明らかに大正時代に教養主義の薫陶を受けた世代に当たります。言っている内容からも、新渡戸稲造や阿部次郎ら教養主義の議論から影響を受けていることは、間違いないでしょう。新渡戸稲造が明治44(1911)年、あと1年で大正時代が始まるという時に書いた文章を見てみましょう。

「切言すれば宇宙の言いうべからざる一種異様なる力と交わり、時の要求と共に推移り活社会に活動するの人格を養うを教育の最大目的とせねばならぬ。」
新渡戸稲造「教育の最大目的」『精神修養』1911年

 そんなわけで、「人格の完成」について根本から理解しようと思ったら、大正教養主義が決定的に重要な鍵を握っています。というのはもちろん、教育基本法第一条に「人格の完成」を盛り込んだ文部大臣、田中耕太郎(大正四年に東大卒業)その人も、明らかに教養主義の影響下にあるからです。ただし田中の場合は、カトリック思想の影響も極めて大きいことを踏まえて考える必要があります。
(つづく?)