流通経済大学「教育学Ⅰ」(6)

■新松戸キャンパス 5/25(金)
■龍ケ崎キャンパス 5/28(月)

日大タックル問題を教育的に考える

・タックル問題はあくまでも「教材」であって、問題そのものをh評論するというよりも、それを教育的素材として利用し、具体的な検討を通じて、教育の「本質」に到達しようとするもの。
・仮に百歩譲って「解釈の違い」としても教育する側の責任は極めて重い。教える者と学ぶ者とのディス=コミュニケーション。しっかり教えたつもりの事柄がまったく伝わらず、教えたつもりのないことが身についてしまう。←大人や経験者にとっては当たり前のことが、必ずしも子供や学生にとっては当たり前ではないことを踏まえる必要がある。一般論としての「発達段階」に対する理解と、個別的な「児童理解」が重要になる。
・ディス=コミュニケーションの構造を考えるときに、「正式なカリキュラム/隠れたカリキュラム」の理論が役に立つ。学ぶ者は「正式なカリキュラム」は学び取らないのに、「隠れたカリキュラム」は強烈に学び取る。教えた方としては「教えたはずだ」とか「そう受けとられるのは不本意」と思うかもしれないが、完全に力量が不足していたことを自覚しなければならない。
・ディス=コミュニケーションを避けるためには、「対話」が重要になる。対話のための窓口が開かれていて、コミュニケーションの回路が繋がっているときには、お互いの真意や理解度を相互に確認し、調整することが可能となる。対話が閉ざされているとき、予想しなかったことが起こる。
・そもそも、何が一番大事なのかを分かっているのかどうか、不安になる。人生にとって大事なものの優先順位の付け方が決定的に間違っているのではないかという恐れ。

前回のおさらい

・義務教育。
・メインカルチャーとサブカルチャー。
・教育の3類型。

働くことと生きること

・「働く」ということの意味が、いま分かりにくくなっている。働くことが「金を稼ぐこと」とほぼ同じ意味になっているが、それで大丈夫か?
・何のために働くのか?→生きるため。
・生きるために、どうしてお金が必要なのか?
・お金がなくても生きる方法はいくらでもある←自給自足。
自給自足:生活に必要なものは、全部自分(家族)で調達する。他人の仕事にまったく頼らない。だから、生きるために「お金」はまったく必要がない。
衣食住:生活する上での基本。かつては、すべて自分(家族)で調達していた。
・生活に足りないものを補うために「交換」が行われ、交換のための道具として「貨幣」が使われることはあった。が、補助的なものであって、生活の全体が貨幣でまかなわれることはなかった。
・ところが、自給自足体制が決定的に崩れる。→分業。何をするにもお金が必要な世の中。生きるために、何よりもお金を必要とする世の中。

産業革命と階層分化

産業革命:ワットの蒸気機関やアークライトの紡績機などの発明。製造業が決定的に重要になった転換点。
・自給自足の世界から、分業の世界へ。
・土地利用法の変化。生活(衣食住)のためにあらゆるニーズを土地から生産→換金するために商品価値のある単一作物を生産。
・余談:生活(衣食住)の市場化。「家事」とは何か? 市場化されないものなどあるのか?
・年貢(モノ中心経済)から賃金労働(お金中心経済)への変化。
・エンクロージャー(囲い込み)。農村からの人口流出。労働力しか売るもののない人々(→労働者)の発生。
・労働力を購入するのは、工場。大量の労働力を必要とする産業。急速な都市の形成(たとえばマンチェスターやリバプール)。腐敗選挙区問題。都市スラム問題。浮浪者問題。
・ヒトとカネとモノの大量移動と流動化=原始蓄積。「二つの国民(資本家と労働者)」の形成。
・産業革命が進行すると、独立自営農民がいなくなり、資本家と労働者に分解していく。→階層分化。

復習

・自給自足の世の中と分業体制の世の中がどのように異なるかを押さえておこう。

予習

・自給自足の世の中の教育と、分業体制の世の中の教育がどう違うか、考えておこう。