【要約と感想】武井哲郎『「開かれた学校」の功罪―ボランティアの参入と子どもの排除/包摂』

【要約】善意のボランティアが学校に入ることで、むしろ意図とは逆に、社会的弱者のスティグマ(否定的烙印)が強化されてしまうケースがあります。ボランティアに一対多の関係構築が許されていない場合や、教室の中に強固な同質性が前提されているとき、社会的弱者の立場はむしろ悪化します。ボランティアの参入によって社会的弱者の立場を改善しようとするなら、ボランティアが教室内の全ての子どものサポートに当たれるようにする(一対多の関係形成)ことや、全ての子どもが同じように課題をこなせるという「同質性の前提」を崩す条件を整えることや、ボランティアが弱者の側に立って教育的ニーズに対する認識を常に更新することが必要です。そのためには、ボランティアが教師に対して意見表明や改善提案(アドボカシー)ができるような環境作り(ネットワーキング等)が大切になります。

【感想】「チーム学校」とか「コミュニティ・スクール」という掛け声の下、学校運営の在り方が根本的に変わりつつある。たとえば校長先生の立場が、かつては教員の一員のようだったものが、今では経営者・管理者へと大きく変化している。このように学校運営の在り方が大きく変化する中で、学校外から教員免許を持たないボランティアが大量参入してくるようになった。こうした制度的な変化についてはいろいろ調べていたつもりだが、学校や教室の内部に具体的にどういう影響が出るかについてはよく知らなかったので、本書を手に取ってみた。なかなか一筋ではいかないな、ということがよく分かった。無原則にボランティアを入れればいいというものではなく、しっかり役割と機能を考えて全体的な制度設計の中に組み込まないと、逆効果になりかねない。「同質性の前提」の下で「一対一」の関係が固定されたとき、社会的弱者の否定的烙印が強化されるメカニズムは、よく分かった。

本書はもっぱら社会人ボランティアについて扱っているわけだが、個人的には学校インターンシップも含む学生ボランティアの効果と機能について気になっている。文科省の調査等では、教育委員会や学校現場は学生ボランティアに大きな期待をかけていることが分かる。まあ、忙しすぎて猫の手も借りたいということなんだろう。ただ、専門的な訓練が終わっていない学生ボランティアが入って、現場の子供たちに対する教育的効果にどれほどの影響を与えるのかについては、実はほとんど検討されていない。個人的に危惧するのは、現場の子供たちにとっては、むしろシロウトの手が入ることが教育的に逆効果になるんじゃないかということだ。
本書は、学生ボランティアについて直接言及しているわけではないけれども、参考になるところが多かった。たとえばボランティアが弱者であるという意識を持つことで級内に異化作用をもたらす可能性は、学生ボランティアにも当てはまりそうだ。また、アドボカシーに結びつくためにもボランティア同士のネットワーキングが重要だという見解は、学生にも当てはまるだろう。お互いの経験や困難を共有する機会を十分に作ることで、学生ボランティアの役割と機能も向上するかもしれない。逆にそういう機会が設けられていないとき、ボランティアは単に学校や教室内の権力関係を維持・強化するだけに終わるだろうことも容易に想像できた。学生本人の経験を積むという点では「やりっぱなし」でいいのかもしれないけれども、「チーム学校」という観点から考えれば、大いに問題があるところだ。

着実な実態調査に丁寧な考察が伴って、いろいろ考えさせられるいい本だった。

武井哲郎『「開かれた学校」の功罪――ボランティアの参入と子どもの排除/包摂』明石書店、2017年