【要約と感想】佐藤学『学力を問い直す-学びのカリキュラムへ』

【要約】「学力低下」を大袈裟に嘆く前に、まず問題の所在を正確に認識することが大事です。本当の問題は、「圧縮した近代」を経て日本の近代が頂点に達し、勉強の見返りが得られないことから「学力神話」が崩壊し、子供たちが学びから逃走しているところにあります。「学びからの逃走」のほうが、「学力低下」よりも深刻な問題です。状況を変えるには、「勉強」から「学び」へと転換しなければなりません。

【感想】大雑把な歴史観から本書を見れば、近代化=産業主義の過程が終わって「成熟した近代=ポスト産業主義社会」に突入することで、近代化の推進力として機能していた学校の役割が終わるという議論の一種のように思える。本書のユニークなところは、「圧縮した近代」では有効だった「東アジア型の教育」が現代では賞味期限切れを起こしているという見立てを、「学力という通貨の暴落」として表現したところだ。「学力」が3つの観点(同一尺度の評価基準、受験や労働市場における交換手段、投資の対象となる貯蓄手段)から「貨幣」と似ているという指摘は、なるほどと思った。「圧縮した近代」では問題なく流通していた貨幣としての「学力」が、現代では評価基準としても交換手段としても機能しなくなり、誰も貯蓄の対象として期待しなくなったというストーリーは、「学力低下」や「意欲低下」の説明として、うまくできているように思う。さすがだなあ。

具体的な対策としては、著者は「勉強/学び」を二項対立的に理解した上で、東アジア型教育の「勉強」から「学び」への転換を提唱し、「学びの共同体」という概念を提出している。そして「学び」を支援するために、少人数学級の実現や教科書の充実、「評価」の廃止や高校入試の廃止を提言する。大学人に対する苦言には、背筋が伸びる。

佐藤学『学力を問い直す-学びのカリキュラムへ』岩波ブックレット、2001年