【要約と感想】戸瀬信之、西村和雄『大学生の学力を診断する』

【要約】大学生の学力は低下しました。特に数学力は完全崩壊しました。文部科学省の官僚主義的で中央集権的な教育行政のせいです。その結果、塾や私立一貫校に行ける階層と行けない階層の分化が進行しました。

【感想】2001年、学力論争が賑わっている中で出版された。いわゆる「ゆとり教育」が学力を低下させたということを、具体的な調査で得られた客観的なデータを元に訴えた本。確かに、数学の力(特に計算能力)は大きく低下し、諸外国と比べても悲惨な状況になったようだ。

まず注意が必要なのは、本書で言う「ゆとり教育」が、世間一般で言うところの「ゆとり教育」とは範囲がかなりズレているという事実だ。世間一般で言う「ゆとり世代」とは、1998年の学習指導要領改訂当時に義務教育を受けていた人々、つまり1980年代半ばから1990年代に生まれた人々を指す。一方、本書が「ゆとり世代」としているのは、1977年の学習指導要領改定時に義務教育を受けた人々、つまり1970年代前半から1980年代前半に生まれた人々を指す。本書の言う「ゆとり世代」と世間一般がイメージする「ゆとり世代」は、まるまる一世代ズレているのだ。ここを読み誤ると、本書の趣旨がまるで分からないはずだが、どこまで正確に伝わっているか。

さて、どうして学力低下が起こったかという原因について、本書が挙げている理由の一つは、大学の受験体制である。数学を受験科目に課さない少数科目入試によって、高校生の数学力が落ちたと言う。一方で、小中学校の教育も原因だと言う。基礎的な計算力を育成しようとしない姿勢が問題だという。返す刀で、「総合的な学習の時間」はイギリスで失敗したと言い、諸外国の宿題の多さを示し、日本人の勉強時間が極めて少ないことを指摘し、アメリカの『危機に立つ国家』を評価して、ゼロトレランス政策も支持する。親の経済資本と文化資本が子供の学力を左右すると指摘し、階層分化を危惧する。

まあ、学力低下に対する危機感を切実に強めたことは分からなくもないが、論点がとっちらかっている印象も否めない。特に、一方で「新自由主義」的な施策を評価しながら、一方で「新自由主義」が引き起こす結果を危惧するというところが、いちばんチグハグではある。『危機に立つ国家』という文書は、その背景となっている新自由主義イデオロギーに対する批判的検討を経ずに学力低下論争に引き込んでよい類の文書ではない。また、教育による階層分化を危惧する本書の立場を貫徹しようとするなら、本来は「臨時教育審議会」が果たした役割と機能について批判的な検討を経なければいけないはずだが、それも行われていない。大学生の学力低下に関する議論を、そのまま義務教育における議論に持ち込むところは、かなり乱暴だ。高等教育と義務教育の区別は丁寧に考えたほうがいい。

論点がまだぼやけていたところも含めて、2001年当時の「学力論争」が醸し出していた雰囲気を味わうのに良い本であることは間違いない。

戸瀬信之、西村和雄『大学生の学力を診断する』岩波新書、2001年