【要約と感想】稲富栄次郎著作集9『人間形成と道徳』

【要約】道徳教育には大きく分けて二つのルーツがあります。全人教育に由来する道徳教育は、特に道徳だけを教える教科を設けることなく、すべての教科を通じて人格の完成を目指すことにより実現します。が、社会的な倫理に由来する道徳も教えるべきであり、こちらを扱う場合には特に道徳だけを教える時間を設ける必要があります。

【感想】1958年の特設道徳開設に直接関わった教育学者の道徳教育論であり、その時の回顧録も収めてあって、なかなか興味深く読む。現在の学習指導要領にも記載されている道徳的行為の三要素(道徳的判断・道徳的心情・実践的意欲)にも原理的な言及があって、このあたりが出所なのかな?と興味を持つ。

理論的には古代ギリシャのプラトンとアリストテレスの教育論に依拠していて、その部分ではナルホドと思わせる説明が多い。教育課程編成において道徳をどのように位置づけるかという問題、特に全教科に渡って教えるべきであって特設時間は必要ないか、はたまた特設時間が必要かという議論に関しては、その対立に実践的に関わった学者の論理だけあって、なかなか周到に構成されているように思う。この部分は現在でも(あるいは現在だからこそ)有効な議論のような気はする。

また、道徳と宗教の関係についてもかなりの分量を割いて論じているが、こちらは古代ギリシャの道徳論を語る歯切れの良さとは打って変わって、奥歯に物が挟まったような微妙な発言が続く。教育勅語の位置づけも関わってきて、立場は揺れている。この微妙な論点は、もちろん現在に至るまで精算されていない。火傷必至の危険物に手を突っ込んでいる感じが文面に溢れている。道徳を語るのは、たいへんだ。ヒトゴトではないのだが。

稲富栄次郎著作集(9)『人間形成と道徳』学苑社、1979年