【要約と感想】稲富栄次郎著作集2『ソクラテス、プラトンの教育思想』

【要約】『ソクラテスのエロスと死』『ソクラテスの教育的弁証法』『プラトンにおける哲人君主の国家』を収録。海外の先行研究の到達点を踏まえて批判的に検討した上で、統一的なソクラテス・プラトン像を描いている。哲学論と政治論を総合するものとして教育を捉え、ソクラテスの教師的人格を核心に据えて統一的に全体を構成しているところが顕著な特徴。

【感想】この分野の開拓者として敬意を払わざるを得ないわけだが、特にソクラテスを教師的人格と断定し、プラトン対話篇(特に『国家』)の主題を教育だと断ずるところなどは、とてもありがたい先輩。この姿勢は引き継いでいきたい。

ということで全体的な構想に関しては概ね同意ではあるが、気になる点も。ソクラテスの言うところの「真理」について、それは「知識の知識」だとか、内容ではなく「形式」ということは概ね問題ないし、産婆法に「内容」を懐胎する妊婦と「形式」を判断する産婆との弁証法を見るのは卓見だと思うけれども、痒いところには手が届いていない。この場合の「形式」とは何なのか、突っ込んで吟味してもいいとこだろう。あと、「皮肉」の位置づけ。著者に限ったことではなく、「皮肉」をソクラテスに本質的なものと見ている論者がいるけれども、まだ納得いってない。それは「無知の知」の根源的な理解とも結び付くからだ。「皮肉」を本質的と把握すると、まるで「無知の知」が人々を対話に巻き込む為の方便になってしまうような気がする。私としては、ソクラテスは自分が無知であると本気で信じており、そこに「皮肉」が介在する余地はなかったと思っている。

まあ、教育分野でソクラテスとプラトンを語る際には無視できない研究だと思っているけれども、一般的な哲学領域でのソクラテス・プラトン研究では無視されているという。教育思想史研究全体が軽く見られている気はするけどね。

稲富栄次郎著作集2『ソクラテス、プラトンの教育思想』学苑社、1980年

→参考:研究ノート「プラトンの教育論―善のイデアを見る哲学的対話法
→参考:研究ノート「ソクラテスの教育―魂の世話―」