【要約と感想】林竹二著作集1『知識による救い―ソクラテス論考』

【要約】アテナイでは、甚大な社会変動に伴って、従来の道徳規範は説得力を失いました。道徳規範の混乱に対する特効薬を示したのがソフィストたちで、彼らは初めて旧来の階級制度を超える普遍的な人間形成を行ったと言えます。しかしソクラテスはそこに根本的な批判を加えます。ソフィストたちは単に教育方法の変革によって事態に対応しようとしていましたが、ソクラテスは道徳の内容そのものを課題とします。そしてソクラテスは一人一人との直接的な対話を積み重ね、魂を向け変えることによって問題を解決しようとします。しかしそれは逆に人々の怒りを買い、ソクラテスの処刑という悲劇によって挫折します。ソクラテスの課題を引き継いだプラトンは、すべての人間に本物の道徳を備えさせることは断念せざるを得ず、習慣と訓練によって身につくような別種の道徳教育を考案せざるを得ませんでした。

【感想】ソクラテスとプラトンの関係について、独特の考え方を示しているように思う。個人的には、なかなか説得力を感じる。

まずソクラテスに関しては、バーネット=テイラー説を踏まえた上で、定説に若干の修正を加えている。定説ではソクラテスは自然学を離れて人倫の学を開始した人物ということになっているが、著者が主張するところでは、中年時のソクラテスは本格的に自然学に熱中し、他のソフィストと見分けがつかないと言われても仕方ないような状態にあった。これはアリストファネス『雲』を精査することによって導かれる結論となる。

プラトンに関しては、ソクラテスとの違いが強調される。特に「知識」と「真なるドクサ」の扱いと、それを踏まえた本物の教育(パイデイア)の構想に、両者の違いが浮き彫りになる。ソクラテスが一人一人との直接の対話を通じた魂の向け変えに徹底した一方、プラトンは一般大衆の教育可能性に対して悲観的だ。プラトンにとってしてみれば、尊敬するソクラテスに処刑判決を下したような無知蒙昧で愚かな一般大衆に、真の知識が身につくなどとはとうてい思われない。愚昧な一般大衆に徳を身につけさせるには、真の知識を呼び覚ますような哲学的方法はなんの役にも立たない。彼らには、政治的な制度の下、習慣と訓練によって暫定的な正しさ(真なるドクサ)を身につけてもらえれば充分だ。こうしてプラトンは、支配者向けの真なる徳と、一般大衆向けの暫定的な徳に、教育を分割することになる。

私としても、「真なるドクサ」の扱いに関して、ソクラテスの原則からの逸脱を感じていたわけだが。これまで見てきた先行研究では、この「真なるドクサ」に対して原理的なツッコミを入れたものを見たことがなかったが、本書のように「真なるドクサ」を教育原理に絡めながら、さらにソクラテスとプラトンの違いに話が及ぶに至っては、感心するしかない。なるほど、と。今後は、ありがたく引用させていただくことにしたい。

林竹二著作集 1『知識による救い-ソクラテス論考』筑摩書房、1986年

→参考:研究ノート「ソクラテスの教育―魂の世話―」