【要約と感想】浅野和生『ヨーロッパの中世美術』

【要約】世界史の教科書はヨーロッパ中世美術をまったく理解していません。中世的な「神に捧げる作品」からルネサンスの「人間性の開花」という教科書的な理解は、間違っています。中世の美術も人間くさいし、ルネサンス美術もキリスト教の影響下にあります。中世美術のレベルは、従来言われているほどには低くありません!

■確認したかったことで、期待通り書いてあったこと=写本の値段が、人件費と材料費を考えると、一冊あたり数百万円すること。

■要検討事項=中世ヨーロッパの美術のレベルは低くないと本書では強調しているけれど、すみません、主観的には下手にしか見えません。
あと、ビザンツ帝国に関しては改めてしっかり理解する必要がある。

【感想】本書の関心は「中世とルネサンスの連続性と断絶性」に貫かれていて、決して中世が暗黒時代でなかったことについては、一定程度の説得力を持つように読める。そしてルネサンスが客観的な基準でもって中世と断絶しているわけではなく、プロパガンダ的な意図でもって恣意的に中世と切り離されているという主張も、よく分かる。ルネサンス期はむしろ中世との連続性の相で理解する方が実践的だという見解も、分かる。そうなれば、実際にヨーロッパ近代が駆動するのは18世紀半ば以降ということで、腑に落ちる。

しかし、それでもやっぱりルネサンス期に対しては、他の時期には認められない何かしらの独特さを感じざるを得ない。本書でも最後にその決定的に重要な核心に触れられているけれど。たとえばミケランジェロのピエタのすごさは、もちろん超絶技巧にもあるけれど、本質的にはキリストを弱々しく表現しているのがすごいんだと思う。人間の弱さとか醜さというものを、神の立場から俯瞰するのではなく、人間として直視するような。そういう意味で、ルネサンスの特徴を語る本書のオチには、深く頷く。

もうひとつは、ビザンティン帝国の存在。本書は「ヨーロッパの中世美術」と銘打ちながら、かなりの分量をビザンティン帝国の美術に割いている。これは少なくとも日本人が明治以降に理解している「ヨーロッパ」ではない。現在でも、日本人が理解するヨーロッパからは、正教会が完全に欠落している。たとえば正教会のクリスマスに驚く日本人が毎年のように大量に現れる。ビザンツ帝国をヨーロッパの概念に含めているかそうでないかで、「中世」や「ルネサンス」や「近代」や、あるいは「ヨーロッパ」や「アジア」に対するイメージは決定的に変わる。日本人の通俗的な中世理解やヨーロッパ理解は、なるほど表面的で貧弱ではある。(良いか悪いかは別にして)

そんなわけで、本書は冒頭で「中世とはいつのことか」と問題意識を明確にしているけれども、同時に「ヨーロッパとはどこのことか」も明確にする必要がある気がする。私が思うに、ルネサンスとは、ビザンティン帝国の伝統を完全に忘却して、あたかも最初から存在しなかったかのように振る舞い、自分たちの起源がギリシャ・ローマにあるかのように捏造する歴史観の要だ。明治以降の日本人は、完全にこの歴史観に浸っている。「中世」も問題だけれども、同様に「ヨーロッパ」も問題なのだ。

ビザンティン帝国の重要性を再確認する上でも、この本を読む意味は深かった。

浅野和生『ヨーロッパの中世美術―大聖堂から写本まで』中公新書、2009年