流通経済大学 教育学Ⅰ(6)

■龍ケ崎キャンパス 5/15(月)
■新松戸キャンパス 5/19(金)

前回のおさらい

・ヨーロッパが強くなったのは、「人間の欲望」を積極的に肯定したからだった。
・だがしかし、人間の欲望には際限がなく、放置していたら世の中が成り立たなくなってしまう。
・人間の欲望を肯定し、利己的な人間だらけでも世の中が壊れないような仕組みはあるのか? →民主主義
・民主主義とは何かを考えるとき、その成立過程を捉えるために市民革命について見ていく必要がある。

社会契約論

市民革命重要人物政治思想書教育思想書
清教徒革命1642トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』
名誉革命1688ジョン・ロック『市民政府論』『教育論』
アメリカ独立戦争1776トマス・ペイン『コモン・センス』
フランス革命1789ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』『エミール』

・現実に世の中を変えたのは市民革命。市民革命の理論的根拠となったのが、社会契約論
*社会契約論:アプリオリに世の中の存在を前提することが不可能となったとき、「剥き出しの個人」という理想的な状態を仮説的な考察の土台として、個体としての人間の本質から合理的に結論を演繹した、理想的な世の中のありかたを考える政治思想。
・ホッブズ『リヴァイアサン』→ロック『市民政府論』→ルソー『社会契約論』

「社会」とは何か?

*社会:もともと日本語には存在せず、sociaeyやassociationの翻訳語として普及した。ヨーロッパで成熟した個人主義(人間の欲望を積極的に肯定する考え)を土台として組み立てられた世の中。
・「社会」と伝統的な「共同体」の違いとは何か。個人優先か、世の中優先か。
・そもそも、伝統的な共同体理論においては、共同体から独立した「個人」なるものは想定されるべくもなかった。アリストテレスが言うように、「人間はポリス的な動物」であり、ポリス(=政治的共同体)から独立した人間本性は考えられなかった。しかし貨幣経済の進展の末に人間の欲望が解放された結果として、どうしても利己的な人間の姿を人間性の正体として想定せざるを得なくなる。
・逆に言えば、人間の欲望が解放されず、「人間はポリス的な動物」と言って皆が納得するような状況においては、民主主義はそもそも必要とされない。

「契約」とは何か?

・自由で平等な個人同士が合理的な判断を下した結果として成立する合意と約束。自由や平等が損なわれているところでは成立しない。
・西洋社会における「契約」の伝統。
・神と人との契約から、人間同士の契約へ。

ホッブズ『リヴァイアサン』

自然状態においては、人間は自由で平等だった。→自然権
・しかし人間の欲望には制限がなく、放置していたら人々は他人の自然権の根幹(いちばん大事な生命)を侵害してしまう。→万人の万人に対する闘争
・そこで人々は理性的に考えて、自分の生命を守るために、自らの自然権を放棄し、契約を結んで、共通権力を作り上げる。→自然法
・もしも自分の生命を脅かすものがいたら、この共通の巨大権力に懲らしめてもらう。
・自分の生命を保護してもらう代わりに、人々は共通権力が決めたルールには従わなくてはならない。

ロック『市民政府論』

・共通権力(政府)は、単に人々の生命を守るというだけの必要悪に留まるものではなく、積極的に人々の私有財産を保護する義務を持つ。
・所有権の理論的根拠を、身体の所有権と労働に求める。(ただしここでロックの言う労働が、本当に彼自身が働くことかどうかについては注意。実際に肉体労働に従事したのは、彼が私有財産として所有している奴隷たちかもしれないのだ。)
・もしも政府が個々人の生命・自由・財産を侵害するのであれば、もはや政府としての役割を果たしていないのであって、人民には契約を破棄する権利がある。→抵抗権

ルソー『社会契約論』

一般意志:単なる生命の保障や、私有財産の保障は、社会契約の基礎的な理由にはならない。自由な討論の過程を通じて、個々の利害には関係がないような、全ての人々に共通する人間性に照らして妥当する普遍的な法則が引き出される。社会契約は、この一般意志を社会の根本的なルール(公共の福祉)として、普遍的な人間性を最大限に保障することを目指す。
・この一般意志が、単なる多数決とはまったく異なることに注意。多数決で得られる利害調整は、全ての人々に共通する人間性から引き出されているわけではない。そもそも、全ての人間に共通するようなものは、当然一つしかありえないのであって、最初から多数決に諮れるはずがないものである。
・人間が身分制や地域性によってバラバラに分断されていては、全ての人々に共通する普遍的な人間性を抽出することはできない。全ての人間は、自由で平等で独立した「個人」でなければならない。
・単なる欲望の単位としての人間から、共通する人間性を持つ自由で平等な主体としての人間へ。

新しい社会を作るために、まず新しい個人を作る

・「個人」とは、身分や地域の特殊性にはまったく関係がない、普遍的な人間。伝統的共同体から切り離された、剥き出しの人間=自然人。
・新しい社会を作る=新しい「個人」を作る→普遍的な人間のための教育=人格の完成を目的とする教育

教育の自由

・個人の自由を最大限に保障する→国家の権限と責任を最小限度に抑える。夜警国家。
・教育もまた同じ。普遍的な人間性を最大限に尊重しようというとき、個々に独自な内面の信仰(=道徳教育)に対して国家が積極的に関与することは認められない。
・教育の目的とは、全ての人々に共通する普遍的な人間性を引き出すことである。それは、身分制や地域性に支配された中世的な世界観を乗り越えて、人間を中心とした新しい社会を作り出すことである。
・全ての人間に対して普遍的に妥当することは、教育によって教えることができるし、教えるべきだろう。→理性によって導かれた、普遍的に妥当する諸原理。全ての人間は自由で平等であるということや、演繹的に導かれる数学的命題、自然科学的真理など。

結論:近代教育(自由権としての教育)の原則

・教育とは、特定の身分や職業に必要な専門的知識を身につけるための営みではない。身分や地域の違いを超え、あらゆる職業や立場に共通する、普遍的な人間性を身につけるものである。社会及び国家の形成者として、自由で平等な個人となるために、人格の完成を目的とする。
・よって、教育は個人の自由を尊重して行われるべきであり、国家の積極的な関与は否定されなければならない。

復習

・「社会契約論」の理屈を、おさらいしておこう。
・ホッブズ、ロック、ルソーについて、調べておこう。

予習

・「憲法」の存在理由と、その働きについて調べておこう。
・「憲法」と「法律」は、どこがどのように異なっているのか、考えておこう。