【要約と感想】Alessandro Marzo Magno『そのとき、本が生まれた』

【要約】ルネサンス期ヴェネツィアの印刷業界は、生産性が高いだけでなく、国際的だった。

■確認したかったことで、期待通り書いてあったこと=印刷術が発明されたのはドイツのマインツだが、印刷出版の中心地はルネサンス期のイタリア、特に貿易で栄えた国際的な都市ヴェネツィアだった。

教科書的にはイタリアのルネサンスはダンテやペトラルカ、ボッカチオ等14世紀から始まったように書かれることが多いが、彼らの本が実際に広い影響力を持ったのは印刷術によって大量に出版されて市場に出回ってからだった。

印刷術の黎明期から既に娯楽に特化した本がたくさん出版されており、売れっ子作家が登場したり、ポルノ小説も16世紀中に出版されて話題になるなどしていた。

■図らずも得た知識=ルネサンス期ヴェネツィア出版業界の実力は、特に際立った国際性にあった。アラビア語のコーラン、ヘブライ語のタルムード、アルメニア語、クロアチア語、ボスニア語の書籍等、輸出を見込んだ上での商業的な印刷業が成立していた。楽譜の印刷もヴェネツィアで始まっていた。

【感想】先にルネサンスの特別な意義を否定するような本を読んだから特に感じるんだろうけれども。ルネサンスを称揚するにしても否定するにしても、いずれにせよ単にヨーロッパを実体化するパフォーマンスに過ぎないな、と。現実の国際都市では、バルカン半島のギリシア正教会や、ユダヤ教や、さらにはオスマン・トルコのイスラム教までも含めて、市場経済の中で蠢いている。ヨーロッパの実体化は、これら異教的要素を全て切り捨てて、純粋なギリシア・ローマ文化(と近代が認定したもの)のみを吸い上げたところに成立するわけで。となれば、どこまで中世とかどこから近代とか議論するよりも前に、まずそもそも「ヨーロッパって何だ」ってところをしっかり反省した上で臨まないと、まともな話にならないと思った、改めて。

日本が近代化する過程では、西洋の純粋な上澄みだけ理想化して追い求めていれば用は足りたので、特に日本人がこんなことを意識する必要はなかったんだろうけれども。しかし他山の石。現代では、日本の歴史を語ろうとするとき、「日本って何だ」ってところは始めにしっかり考えておかないと、噛み合う話にはならない。

アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ/清水由貴子訳『そのとき、本が生まれた』柏書房、2013年